第七節~大天使召喚~


 巫女たちの笑い声はしばらく続いたが、それはふいに絶叫へと変わった。その原因はむろんケルトたちの死闘である。


「おおおおお! きさま、ふざけるな!」

 怒りの沸点をこえたサタンの体が紫の魔力で燃えあがり、放たれた彼の光線は異常な速さだった。

 ケルトの魔力充填はほぼ同時に終わったようだが、魔の光線は天使に届いている。激しい爆発がおこり、大将軍の姿は爆炎に包まれた。

「くはははは! 油断したな大将軍よ。きさまの敗北だ!」

 高らかに笑うサタンの顔には、数分前のいやらしい笑みが舞いもどっている。



「「――っ! ケルトーっ!」」

 巫女たちの叫び声が月夜に駆けぬけていった。爆炎はまたたく間にひろがり、夜空をおおい隠す。

「お、お母さん、ケルトがあ!」

「……うそでしょ? ケルト~っ!」

 暦は唇をふるわせ、がくりと膝をついた。彼女にとって完全に想定外の決着だったのだろう。 

「ふふふ、はははは! 多少はやるようだが、最後はあっけないものだったな」

 サタンの高笑いが入里夜たちの敗北を決定づけたかのように思われたが、ちょくご形勢は逆転した。決着のときである。

 

 誰もがケルトの敗北を悟ったとき、彼を包んでいた煙のヴェールが振り払われた。

「なんだ!」

 明らかに煙を払った風が自然風ではなかったので、サタンが声をあげる。果たしてそこには、無傷のケルトが不敵な笑みを浮かべていた。

「ケルト~っ!」

「よかったあ!」

 巫女たちは眼をうるませて大将軍の無事を喜んだ。サタンは険しく顔をゆがませる。

「……きさま、それは」

 彼が魔剣でさし示すのは、ケルトの背後にいる金色こんじきの巨大な天使だった。サタンの光線はその天使によって防がれ、ケルトにはまったく届いていなかったのだ。

 天界と契約を結び、自身も天使族であるケルトは、好きな天使を召喚できる。

「こやつは天界の大天使、ラファエル……の疑似召喚だ」

「なに……ラファエル、だと?」

 サタンの表情はいっそうけわしさを増した。

 悪魔属性をもつ彼にとって天使族は天敵だ。ケルトだけでも強敵だというのに、疑似召喚とはいえ、大天使など召喚されては撤退も考慮しなければならない。

 無理して悪魔の力を浄化されることがあれば、これほど滑稽なはなしはないだろう。

「きさま、まだこれほどの余力を残していたのか」

 サタンは心のどこかで己の敗北を感じたが、大魔界の王という誇りがそれを素直に出すことを阻止した。

「だから言ったであろう。おぬしに勝つ術はないと。このラファエルは疑似召喚。本物を召喚するには儀式が必要なのでな、私とて魔力も時間も惜しいのは事実。此度はこれで許せ」

「おのれ、大言を!」

 サタンは魔剣を構えなおしてケルトに突撃する。お前など、本物を使うに値せぬ。などといわれては、我慢できるものではなかった。


 だが。


 サタンはケルトに届くことすら叶わず、ラファエルの吐息に触れたしゅんかん後退を余儀なくされた。

 疑似召喚は確かに本物ではない。ケルトが魔力で天使の型を造り、その依り代にラファエルの半身を降ろしたもの。ゆえに能力も本体の半分だった。

 だが疑似召喚ゆえの利点がある。依り代を自分で造るので大きさが自由なのだ。ケルトは長い魔力充填と引き換えに、自身の二倍はあろう体長の天使を召喚したのだった。

 天使の力が実際の半減とはいえ、サタンにとって分が悪すぎた。

「だが俺は大魔界の王だ、ここでむざむざ退くわけにはいかぬ!」

 不利だというのは見なくてもわかる状況だが、彼は魔剣を構え直した。その動きに一切の怯みは無く、実にきれのあるものだった。

「そのような見せかけに過ぎない天使など、俺には通用せぬ!」

「果たして本当にそうか?」

 ケルトは相手の言動に動じることなく答えた。その瞳には最後の警告めいた光が揺らいでいたが、サタンもこのていどの眼光で怖気おじけづくものではない。

 

 戦いに最終局面が訪れた。


 ケルトはふっと口もとに笑みを湛えると、左手に金色の魔方陣をやどした。そこから金色に輝く魔導書が現れる。


 より強い高等魔術を使うとき、使い手は強大な力を制御する魔導書を用いた。

 ケルトは宙に浮く魔導書に左手をかざし、必要な項を開いた。彼がその項に指で星を描くと魔導書に文字が浮き上がり、強烈な魔力で突風や稲妻が発生する。

「では行くぞ、サタン」

「何をしようと無駄だ、きさまは魔法名すら口にできず息絶える。くらえ!」

 サタンが魔剣を魔炎剣に変え、ケルトへ突っ込んでいった。


 ――そのとき。


ケルトの魔導書が光をはなち、ケルトの瞳に鋭い眼光が宿った。

「我と契約せし偉大なる大天使、ラファエルよ。汝の契約者である我が力を授ける。この天宮卦流音に、ひと時その偉大なる力を貸したまえ。『天使の分身レミール=トミリックス』!」

「なに、分身だと!」

 サタンは顔色を変え、突撃を急停止して後退した。魔力が全盛の時ならさして問題ない。

 しかし魔力を浪費し、体力も削られた状態で分身した天使と戦っては、悪の魔力を浄化されかねないのだ。

 常人にこそ天使は癒しの存在だが、悪魔である彼にとって弱体化していてはむしろ天使こそ恐ろしい悪魔のような存在だった。

 ケルトの詠唱が終わると、ラファエルが光の塊となり、四つに分かれてラファエルは四体に分身した。


 サタンは険しい表情で疑似召喚されたラファエルたちを見据えた。彼女たちが放つ浄化の光は、サタンにとって迷惑極まりないものである。

 ケルトが静かに右手を上げると、ラファエル四体がサタンの方へ進みはじめた。サタンは魔剣を握りしめ、さらに後退する。

たび重なる後退は、大魔界の王である彼にとって屈辱の極みだったがいたし方ないことだ。

 その悔しさは容易に隠しきれるものではなく、煮えたぎるような感情で、サタンの歯が鈍い音を立てた。

「……おのれ、ここまで魔力を失っていなければ、遅れは取らぬものを!」

「残念だなサタンよ。おぬしらの計画は今回も成就しない。ラファエル、いけ!」

 ケルトはラファエルに一斉攻撃を命じ、とどめの準備を始めた。

 

 ラファエル四体はサタンに迫ると、浄化の光を振りまきながら悪魔を取り囲み、高速回転を始めた。

「ぬううううっ! おのれ!」

サタンは素晴らしい剣技で応戦したが、大天使の前では無意味な抵抗だ。ほどなくして彼は、魔剣を取り落としてしまった。

「くそう、やめぬか! ぐわああああああああああああ! 

 ラファエルたちに密着されたサタンは、先刻までの態度からは想像のつかない悲鳴を上げた。

 ラファエルたちの回転速度はあがり、サタンといえどもそこからの脱出は不可能だ。

凄まじい天使の大旋回は、月界中に大旋風を巻き起こした。

「「きゃああ!」」

 その風は戦いを見上げていた巫女たちの髪を吹き流しの如くあおる。入里夜たちが髪を抑えている間に、ケルトは動いた。

「本来ならいま、おぬしの悪を浄化するのだが、今は月界に平和を取り戻すのが先決。ゆえにおぬしには、一度シャンバラから出てもらうぞ」

 ケルトは魔導書の『天使の分身』とは違う項を開いた。彼は同時に魔剣を抜く。


 そこからは刹那のできごとだった。ケルトは剣を縦横に振って光の十字架を描くと、微笑して指を鳴らした。同時に、高速回転するラファエルたちの上に巨大な魔方陣が浮き上がる。

「……発射準備、完了」

 ケルトは金の魔剣をかまえた。

 高速回転する天使の輪の中から猛烈な苦痛と憎悪の叫び声が響いてくる。

 ケルトがついに剣を高々と振り上げたとき、下の方では巫女たちがケルトを見守って……いや、見とれている。

「「ケルト~っ! やっちゃえ~」」

 入里夜たちは無邪気な子どものように、拳を振り上げて叫んだ。


 だが巫女たちは、調子に乗りすぎて痛い目にあうことになる。

「はっ!」

 男らしい掛け声で、ケルトは剣を振り下ろした。振り下ろされた剣は凄まじい速さで光の十字架を撃つ。激しい衝撃音とともに弾き飛ばされた十字架は、ラファエルの上にある魔方陣へ飛んでいく。

「『天使の裁断レミール=エクストリーム!』」

 ケルトは叫ぶと、長麗な髪を風になびかせながらふっと体を反転させ、静かに目を閉じた。

 その動きに巫女たちは心を奪われたが、入里夜にはささやかな疑問がある。

 ケルトには、防衛軍の兵士に説く言葉があった。

「戦いに絶対という言葉は存在しない。どれほど優勢でも戦いが終わるまでは決して油断してはならぬ。戦いの最中に相手から目を離すなどは、命知らずの愚者の行為だ。これを忘れたとき、その代償として冥界への道が開かれるであろう」

 というものだ。

 彼は常にそう言っているのに、本人が戦闘中に後ろを向き、敵から目を離しているではないか。

「ねえお母さん。ケルトはどうしてまだ勝負は終わっていないのに、後ろを向いているの?」

 入里夜は碧玉のような瞳で母を見つめた。

 しかし暦も、ケルトの心中などは察することはできない。輝く目線を向けられても困るだけだ。

 ふと暦の目に外の景色が映った。光の十字架が魔方陣に到達しようとしている。それをみて暦が叫んだ。

「入里夜、目をつむりなさい、ケルトが後ろを向いているのは――」

 暦がそれ以上喋ることはなかった。十字架の到達のほうがどう見ても早い。

 






 

 

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