第六抄 逢偶・切蟲


「えっと……」


 瑠璃と凜静は声の発した正体を見て暫くぼうっとなってしまった。


 なぜなら目の前のその”声の正体”の容姿が瑠璃にはもちろんそして凜静にもよく見慣れない姿だったからだ。


 透き通ってしまうのではないかと思えるほど白くなめらかな肌に、翡翠色のふわりとした綿のような髪、色は空の色の混じる髪と同じ色の、水晶でできているとも思える瞳にその睫はまた軽やかで長い。


 体格は小柄で華奢で女人のようにも見えるが筋肉のつき方で少年だとやっと分かる。


 あの長蛇の列の中にいる人々とも、そして瑠璃や凜静とも違うと分かるその容姿は確かに「この世のものとは思えない」と形容されるものだった。同じ人型だがまるで全然違っていた。劣等感を本能で感じてしまうほどに。


「俺は軟派でも変質者でもない」


 瑠璃よりも先に我にかえった凜静は理性的に自分の身の潔白を表明した。


「否定が一番怪しいんすよね、こういう場合」


 違うと主張したい凜静だったが二の句が継げなかった。


「あ、あのね、本当に凜静は……あ、凜静ってこの人のことなんだけどね、何もしてないの、本当だよ!」


 瑠璃が凜静を擁護しようとし、凜静はそのまま誤解を解いてくれと願った。


「ただ私の肌を見ようとして服を脱がせようとしただけなの」


「それただならぬことじゃないすかね?正統派のヤバイ奴じゃないすか」


 少年が凜静を軽蔑の眼差しで見やった。当の凜静は両手で顔を覆いながら天を仰ぐことしかできなかった。


(こいつに期待した俺が馬鹿だったーーー!!)


 心中でそう叫んでも声に出す気力はない。


「本当に本当に大丈夫、ね」


「アンタがそういうなら別にいいすけど、面倒に巻き込まれないで済むし」


(だったら最初から話をややこしくするなよ……)


 天然で残酷な瑠璃と気だるげで容赦のない少年を前にして凜静は体力を使い果たしていた。


「そういえば、あなたは誰なの?見たところ、その、綺麗な人だなと思うけど」


 正直にそう瑠璃が少年に対して告げれば、容姿に触れた際に少年が微かにぴくりと反応した気がした。


「オレは、」


「オレ?!男の子だったの?」


((今気づいたのか))


 凜静と少年の心のつっこみが重なった。


「嘘、声も姿もあまりにも綺麗で女の子かと、気を悪くしたらごめんね」


「あー、いいすよ、そんな間違われることないんでびっくりしたすけど……。アンタ悪気なく言ったみたいだし別に気にしないすから」


「あ、でオレはそうすね……『ハムシ』って呼ばれてるんで、それで」


「『ハムシ』?それが名前なの?」


「まぁそうすね。そんな感じす」


「そんな感じって、適当だな」


 凜静は怪訝に思う。この国ではまず男児の名で三音の者は限りなくいないと言ってもいい。四音の名が常識的だ。もし仮に三音のその名であるならば、卑語である可能性が高いと考えた。


「何でもいいでしょ。そんでそこの流れ屋……あそこの長屋っぽいとこすね。あそこで一応護衛?見張り?まぁそんな感じのやってるす。アンタらは?大門から離れたこの隅っこになんか用でもあるんすか?」


 瑠璃と凜静はお互い顔を見合わせた。


「丁度良かった。俺らの用ってのはこいつをその長屋で一時的に住まわせてもらおうとしていたんだ。お前があそこの関係者なら話が早い。取り合ってくれないか」


 ハムシという少年は凜静の言葉を聞いて眉間に皺を寄せた。


「正気すか、アンタら」


 疑問符が頭上に浮かぶ二人だった。


「どういうこと?」


「流れ屋と呼ばれるあの長屋が、どういう場所かちゃんと分かってんのかって話すよ」


「身寄りのない人たちだったりが住める場所……違うの?」


「アンタもそう考えてんすか」


 ハムシは凜静に向きなおり、冷ややかな瞳で見つめ問うた。


「物騒だって話は聞かなくも無い。それでも女に野宿しろとは言えんだろ」


「だったらアンタが宿か何か手配すりゃいいんじゃないすか」


「そんな金銭的余裕はねぇんだよ俺だって。俺といたら野宿確定だし」


「私は凜静といっしょなら野宿でもいいんだけどな……」


「ちゃんと屋内で休める場所があんならその方がいいんだっての」


 二人のやり取りを聞いてハムシは「はぁ」とため息をついた。


「それにハムシ、お前がそういう警備をしているんだろ?だったら安全だって多少保障されるんじゃないのか」


「あのねぇ娘さん一人だけ守るわけじゃないんすよ、それに」


 じっとハムシが瑠璃を見つめた。


「あんな不貞の輩が集っているような小汚い場にこんな器量良しの娘さんが入ってたらどうなるか考えたら分かるじゃないすか。それにこの娘さん見たところきむ「ボウグァガーーーーーッ!!」」


 凜静がハムシの発しようとした何かの単語を言わせまいと喉をひんむいたような叫び声をあげる。思わず他の二人は耳を手で覆った。


「凜静何?どうしたの?」


「何でもない答えない何も聞くないいな絶対だ分かるな」


 矢継ぎ早に繰り出される忠告の言葉をこれは一大事なんだと瑠璃は素直に聴き入れる。


「こいつはそこらへんの知識疎いんだ、おかしなこと吹き込むなよ」


「おかしくないでしょ。健全なせ「いいから!」」


(こいつ、いたいけな顔して耳年増かよ!)


 瑠璃の教育上悪いと考えてうっかり保護者となっている自分に自己嫌悪を抱く凜静であった。


「まぁ、いい、とりあえずこいつのこと頼む」


「凜静……」


 凜静の簡素に吐き出された言葉に心の根が軋む。


「…いいすけど、責任はとれんす」


「出来る限りでいいから。なんとかしてやってくれ。できるなら定住できる場を用意してくれるとそれが一番こいつのためになる」


「それこそアンタが一緒にいてやればいいでしょ」


 瑠璃がハムシの言葉に同意すべく凜静へ視線を移した。


「俺には他にやらなきゃいけないことがある。女と道中をお気楽闊歩する立場にはないんだ」


 瑠璃が凜静の裾を掴む。


「また会える?」


 凜静はしばらく答えに迷った。


「……どこかでな」


 言いながら瑠璃の手をやんわりと引き離した。


「それじゃあ頼む。じゃあな」


 凜静はそのまま歩き進んでいった。瑠璃は引き離された手とその背中をただ見送った。


「……薄情な男すねー。フツー女子を置いてはいかんでしょう。しかもあんなあっさりと。じゃあアンタも……」


 二人の様子を見ていたハムシだったが、置いてけぼりにされたような瑠璃に声をかけその表情をふと見ると、


「アンタ、泣いてるんすか」


 ポロポロと、瑠璃の形のいい頬を滑りおちていく水滴が見えた。それは紛れもなく涙だった。


「そんな泣くほど離れんのが嫌なら引き止めればよかったでしょ。何我慢してんの」


 泣き声を抑えながらも、う、と漏らす声は悲しみを隠すこともなかった。


「分からないの、こういうときにどうすればいいのか」


 年端のいかぬ子どものようにただ泣き続けている瑠璃にハムシはうろたえた。


「わからないって、嫌だったら嫌って言えばいいんじゃないすか」


「うっううぅ……っ」


 堰をきったのかさらに溢れるように泣き出した。本当に子どものようだとハムシは思った。


(あーあー……こんな純粋そうで大丈夫なんすかねえ。大丈夫なわけないすよねえ)


 涙に濡れてぐしゃぐしゃになりながらもその様もどこか妖艶にみえる瑠璃を心配した。それに加えあの場所へこの娘が住まうことで起こりうる最悪の場合を想定して同情を禁じえなかった。


(何事も起こるな、なんて不可能な望みなんか考えちゃ駄目すよねえ)


 何せあの場所は言うなれば無法地帯。何が起きても誰も知らぬ存ぜぬの屑寄せ場なのだから。


(でもこの娘がこちら側に染まっていくのは流石に見てらんないかなあ……どうしたもんか)


 「誰かのために」を考えるのはいつぶりだろうか。そんな思いが少しだけ頭を掠めた。


 泣きじゃくる瑠璃の肩にやんわりと手を置くと、瑠璃はそれに反応し振り返った。その表情は頬を上気させ目を潤ませている。ただそれだけなのに、並みの人間と同じ表情であるはずなのに瑠璃のその顔は異様に美しく、色香のあるように見えた。


(あの付き添いの男、よくこの娘さんと一緒にいて変な気が起きなかったものすね)


 それはハムシも同じことだったが、他人事のように、意外とあの男も曲者なのかもしれないと考えた。


「それじゃあ行くすかね。あんまいいとこじゃないけど、いい?」


「…あなたがいるんだよね」


「ずっと一緒じゃないすけどね」


「…うん」


 俯いた瑠璃の頬に留まる水滴が気になり、ハムシは薄い生地でつくられた衣服の袖でそれを拭ってやった。


「できるだけ近いとこにいるようにするすから」


 確実ではない約束を迂闊にしてしまったのは、何故だろうか。


「ありがとう」


 少し微笑んだ瑠璃は、まだどこか寂しそうな顔を浮かべていた。


 そうして二人は流れ屋と呼ばれる場所へと少しだけ重たげな足取りで向かっていく。



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