第32話 救いと金
君が今医者に若しくは経験として、後数カ月で死に至ると言われたらどうだろうか。別に数日後でも数年後でも良い。
そしてその間、激しく四肢が痛み続け、苦しみの中で死んで行くとするなら・・・。
今、此処に君の痛みを取り除き天寿を全うさせてくれる薬が在る。
但し、寿命が続く限り飲み続けなくてはならない。そんな薬があったとしたら。
人は幾らでも金を払う。
金など人の顔が書いてある唯の紙切れ、若しくは装飾にしか使えないような金属でしかない。元々、価値など無い。
故に、人は苦しみから逃れる為に幾らでも、借金をしてでも金を払う。そうして進歩してきたのが現代医療であり、医者であるのだ。
では、市井の人間にその薬を信じさせるにはどうすれば良いか。
正直、アクィタニア帝国の知識は独占傾向にある。皇帝を頂点として貴族階級の維持の為に市民に知識を付けて欲しくないというのが理由だ。知識を独占する事で専門職が生まれ、学校が生まれ地域社会に貢献する。こうして金が世間を回っているのだから態々一般に知識を流すことは馬鹿な事だった。
知識階級にない民衆は何を信じるのかを考えれば、噂である。
バイアスの掛った知識は所謂思い込みとして人の脳に強く刻まれるのだ。
では、科学知識を持たない民衆が信じる噂とは何かと言えば神秘である。
西暦1999年。日本ではノストラダムスの大予言と言われる人類滅亡の通説が蔓延っていた。
人は嘘を吐く生き物だ。故に騙されることに対して恐怖感を抱く。
「この病気に効く薬が在る」と言われても、私を騙し、金を奪おうとしているのでは?と疑うのは必然。
しかし、「この病気は神が治療してくれる」と言うと、人は試したくなる。
神秘と言う期待感が人の疑いの気持ちを覆い隠し、判断を鈍らせるからだ。この手の技術は高額当選する宝くじや現代の宗教でも良く使われる。
学校の七不思議、こっくりさん、ひとりかくれんぼ、占い。
神秘とは人を惹きつけ、愚かにする。そして、その技術の集大成が宗教である。
私は医療ギルドで火炎病に罹っている患者の居場所を調べ、新興宗教として現地に赴いた。
場所は貧民街を避け、中流家庭の集合住宅である。
「ご主人。なんで、此処に来たの?路地裏の方が患者さんいっぱい居るよ」
「私はね、コロ。私の人生で学んだ事の一つに、貧乏人に施してはならない。と言うものが在るのだ」
「どうして」
コロは真っすぐと私を見つめる。これは、コロ自身と私との考えに乖離があった場合にする仕草である。
コロの両親は確か、村の貧民階級であると聞いている。村全体での助け合いが必要不可欠であり、集落のコミュニケーションを尊重する村社会との認識の違いを感じているのだろう。
「人は他人の善意を受け取った時、それを過小評価する。そして、善意を与えた時、それを過大評価する傾向にある。この時点で小さな不幸が生まれる。施しとは対等な人間がそれを必要とするときに、必要な分だけ与えなければならない。与えすぎてはならないし、恩は還されなければならない。それが対等って事だ。はっきりと言うが、人は平等でない。人の集まりの中では位が在るが故に付き合う人間は選ばなければならない」
以前、教会の炊き出しで貧民が自分勝手に暴れていた事を思い出す。あの貧民とは関わりたくないし、誰と付き合うのかは他人に強制されるべきではないと思っている。
「ご主人は・・・だから、弱い人を助けないの?」
私を見つめるコロは何とも言い難い表情だった。
恐らくだが彼女自身、この質問は正しくないと思っている。聞きたい事を巧く言葉に出来ていないのだろう。
「お前は自分の家に知らない人間が勝手に入ってきたらどう思うか・・・。その時点で家族と他人と言う序列が出来ている。私は大切な物には優先順位を付けているだけだ。私は他人が1000万死のうが1億死のうが知った事では無い。知っても泣きもしないだろう。だが、家族1人が死んだら悲しいし、泣いてしまうかもしれない」
言外の意志が伝わったのかコロは頷き、私の手を握る。
・・・結構な事だ。
私は其の侭、集合住宅へ向かう。
外観は石造りの頑丈な物で、窓の数を確認するに3階の高さ。ガラス窓では無く、布製のカーテンが靡いているだけで木窓の枠組みさえ無かった。大通りに銀行や貸金庫店が無い事は確認しているので、この時点で家の中に貴重品を置かない、給与は早めに使い切るという江戸時代スタイルである事が想像できる。
私は定職についている人間を中流家庭と判別しているが当然、所得の差異はある。屋台では銅貨3枚で食事を提供しているが、ティベリスとのブランド戦略に於いて銅貨3枚は大した金額で無い事が解っている。そこから逆算するに薬の値段は銀貨を払う必要があるという事は想像できる。
私は薬の事や銀貨を支払う必要があるという部分を隠し、客の利益を解り易く提供する事で信者を獲得する事が出来ると考えた。
集合住宅の玄関口、木版で仕切られているだけの住みかをノックし、声を掛ける。
「此方に、火炎病の患者が居ると聞いたのですが」
如何にも人のよさそうな声で、はっきりと告げれば1人の女性が此方へと向かって来た。
「何方様でしょうか?」
「ええ・・・私、もちゃめちゃ教の牧師をしておりますナイハラと申します」
さて、洗脳の始まりだ。
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