第8話 何故其れを正しいと思うのか

メアリ嬢が厨房から退出したのを確認して私は皿を洗い始める。明日の朝食はスープを作るというのは決定だが、病人が食べやすい物を作らなければならない。刺激が少なく、栄養化が高い食材を組み合わせ。当然だが私はこの国の食材に明るくない。現在知っている食材は、と考えているうちに自分が副食で食べていた物を思い出した。


「・・・大豆か」


鳥のガラスープに豆乳を合わせたスープを作ろう。具は柔らかく煮た野菜とつみれ。


私は乾燥した大豆を取り出し、容器に開けて水に漬ける。確か10時間以上は漬ける必要があったはず。腕時計を見ると現在20時。今から漬けて明日の6時には浸漬完了か。布は明日にでもメイドの何方かに持ってきて貰おう。メニューが決まったので厨房の中を物色する。様々な野菜や果物が多様に収められているし、冷蔵庫のような冷凍施設もあった。冷凍施設は不可思議な場所で、氷が無いのに一定の気温を保ち続け出入り口に不可視の膜でも貼られているかのように出入り口から冷気の流失を確認することが出来ないと言った科学で証明できない現象が多々見受けられた。しかし、この世界は何処かちぐはぐに感じる。今日という日を振り返ってみると、水瓶や窯といった原始的なものに混じってこのような冷凍施設があるという事がどうにも腑に落ちない。食事に関しても血を使った食事という中世的なニュアンスを感じさせるモノに対して中にまで火が通っていない小麦の塊というのは何処か不自然で、薄く焼いたナンやガレットの様な火が通りやすい形状というのが見つけられていないというが疑問で仕方ない。しかし、考えてみると高層ビルが立ち並ぶ都会に100年以上前に作られた城が現存している事を当たり前の様に認識している私も可笑しいと言われたら反論できない。この世界に来てから考えすぎると自分の思考がどこかに行ってしまうという事が多い。私の認識が何かしらの変化を遂げているのだろうか?日記は日常的に付けているが読み返すと言ったことはあまりしていない。スマートデバイスに保存されている日記を読み返した方が良いのだろうか。思考は行動に変わる。矯正するなら早い方が良いに違いない。


様々な気付きをスマートデバイスに記録していると厨房にギボンが現れた。もう時間か。


「お疲れ様。スープが多少残っている。夜食にいかがかな?」


「ええ、いただきましょう。こんなに夜遅くまで働いたのは久しぶりです。メアリは夜更かしだと言って興奮していましたが」


私はスープを温め直す為に火を着けた。


「普段はもっと早くに業務は終了するのか?」


「ええ、普段はティベリス様が就寝なさったら業務は終了です。夜間は小間使い達が働く時間ですから」


「小間使い?」


「我々メイドには位があります。その位を持っていない者達をまとめて小間使いと呼んでいます」


「ついでに、ギボンとメアリ嬢の位は?」


「上から2番目です。メアリは貴族令嬢なので雑務などやらせる訳にはいきませんし私は市井のメイド学校を卒業した国が認める正式なメイドですので、トップであるメイド長が実力重視なので私を重用してくれています。普通なら年齢で序列を考慮するので私の年齢でこの地位に居るのは珍しいことなんですよ」


スープは少量だったためすぐに温まった。私は皿にスープを掬いスプーンと共にギボンに手渡す。


「どこに行っても社会構造の根本は変わらないんだな。私もこの国に来る前は年齢で役職が決まっていたよ。どんなに無能でも歳さえ食っていれば役職に就けた」


ギボンがこちらを向いた。何となくだが驚かれているようだ。


「貴方が社会に属していたと言うのは意外ですね、目上の人間にあんなに横暴に振舞えるなんて私には考えられません」


私は肩を竦めた。


「その社会が自分にどうしても合わなくて、結局はこうやって飛び出して旅してる」


「自由人ですね。少し羨ましいですが」


「自由とは他人を害さぬ・・・・・・すべての中にあると言う言葉があってだな」


ギボンがジト目でこちらを睨む。


「では、今日バーベンハイル家の長男を殴ったのは?」


ギボンの言う通り、確かに彼を害している。


私は彼女の突込みが面白くなり頬を緩ませて答えた。


「彼にとって私の行動は横暴ってやつだった。私にとって彼の行動は殺人だった」


「認識の違いですか?」


「知識の違いだ。例えば、館が燃えていたとする。消火する為には何が必要かな?」


「水ですね」


「あいつは油と思い込んでいた。彼は油が火災をより悪化させるという事を知らなかったんだ」


「国が認める医師の家系ですよ。」


「状況と目的の不一致は客観的な根拠に基き判断するべきだろ?放火したいなら油を注ぐのが正解で消火したいなら水を掛けるのが正解だ。では、何故それが正解と言えるのか?油が火を強くし、水が火を弱くするという事を知っているからだ。つまり消火したいのに油を注ぐのは間違えと言える。彼の処方した下痢止めは体の中に入った毒を排出する働きを阻害するので間違いだ。同時に水分を補給しなくてはいけない状況下で水分を輩出させる働きを持つワイン及び熱い湯に入れたという事も間違いだ。正しくは毒を体外に出し失われる水分を効率的に補給する事だった」


「それが知識の違いと言うのですか?」


「通常の腹痛よりも長引いているならそれだけ多くの毒が入ってきたか強い毒が入ってきたという事だ。排出しなければより長引くし、排出した分は補給しなければならない。処方の話を聞く限りでは、彼はそれを知っていたとは思えない」


「消火したいのに油を注いでいたと?」


「違いない。正しい知識は力だよ。君も大人になったら思い知ることになるさ」


ギボンが口を尖らせた。


「私は14歳です、もう成人しています」


「成人している事と大人であることは違うのだよ。成人とは唯一定の年齢になったというだけだ。大人になるとは別の部分にある。私から見れば君はまだまだ子供だ」


「では大人とは?」


「何が正しいかを客観的に判断することが出来て分析を元に論理的に行動できる人間だ。この国の事を考えると知識に関しては仕方ないにしても理性に関して君は未熟だとしか言えない」


私はギボンの食べ終わった皿を受け取る。この娘も夜食を全て綺麗に平らげたみたいだった。


「まあ、お前たちには時間がある。脳を鍛えれば自然と良い悪いが判断できるようになっているさ。常に新しい考え方を学ぶ事だ。君たちの常識は他人にとっての非常識であることだってあるのだ。態々狭い世界に閉じこもっている必要はない」


私はギボンの頭にポンと手を乗せた後に皿を流しに持っていく。


今日は疲れた。皿は朝にでも洗うとして適当に寝床でもこしらえるか。


「私はここで仮眠をとる。明日は早いのでお前も早めに寝ておけ」


私は椅子を壁際に持っていく。壁にもたれかかれば簡易的な寝床となるだろう。


横になることはできないが致し方ない。部屋に関してはティベリスの体調が安定するまでは借りないつもりだった。直ぐに動けないなど笑い話にもならない。


私が椅子に座り壁にもたれかかるのを確認するとギボンは椅子から立ち上がると私の元に来る。


「・・・どうした、部屋にでも戻らないのか」


「お客様を厨房に一人に出来る訳ないでしょう。小間使い達も朝早くから働き始めるのですから見知らぬ人間が居たら怪しみます。その点私が居れば問題ありませんので貴方が厨房で寝るというなら私も此処で寝なければなりません」


私が来たことを小間使い達は知らないという事だろう。確かに身分的に会う機会がないなら解るが、公的にティベリスと会見をしているのだ。小間使いとはいえ、万一を考えるなら連絡して然るべきだと思うが。


「そうか、解った」


彼女に対して遠慮はしない。優先順位は弁えていた。


ギボンが座っていた椅子を私の椅子の隣に置く。こいつ私の隣で寝る気か。


私は念のためもう一つ椅子を隣に置き、3列に並ぶように設置した。


「これは?」


「寝返りを打とうとして椅子から転げ落ちるのも嫌だろう?」


ギボンは納得して私の隣の椅子に座り壁にもたれかかった。


「私は夜中に何度か鍋の様子を見る。気にせずに寝ていてくれ」


ギボンはクスリと微笑む。


「言われなくてもそうしますよ」


要らぬ心配だったか。


「では、良い夢を」


「ええ、貴方も」


暫くするとギボンの寝息が聞こえてくる。寝付きは良いみたいだった。


ギボンが寝たのを確認すると私も瞼を閉じる。今日の振り返りをしている内に私も睡魔に飲まれて意識を失った。


腕時計を確認すると4時間ほど寝ていただろうか、竈の火は消え仄かに温かさだけが残る。左肩に重さを感じ振り向くとギボンが私の肩を枕にしていた。終電に揺られながら帰宅している時を思いだす。おっさんに枕にされるのよりは幾分か気分的にマシだが疲労感が拭えなくなるのは違いない。私は鍋の様子を見るためにギボンの肩を支え、そのまま椅子に横にさせる。上着を脱いだ後腹に掛けてやった。3列並んだ椅子は彼女の上半身を支えるのには十分な距離を持っていた。


鍋の中を覗くと黄金色に煮立ち、鳥の脂が浮く見た目に良いスープになっていた。


私は老人用にやや薄目になるように味見をしながら塩分を足していく。骨を取り出し野菜を細かく刻んだ後加える。野菜は食感が無くなるまで火を通す予定なので早めに投下したのだった。後はつくねと豆乳を入れ煮込むだけでこのスープは完成するだろう。調理場を改めに確認すると香辛料の類が無い。貴族の調理場に


無いとは思えないのでマギは下町にしか流通していないのだろうと予測できた。


私がスープの味見をしていると厨房のドアから30歳程度の恰幅のよい男性がのっそりと姿を現した。ぼさぼさの茶髪を揺らし、青色の瞳を擦りながらそれでも厨房に居る私を警戒している様である。男を観察すると右手を体で隠している。凶器だろうか。身の危険を感じるので早めに対応しておく。


「御機嫌よう、ティベリス様の要請を受けてこの場にいる者です。ギボン嬢が起きた時にご確認ください」


そういってギボンが寝ている場所を指し示す。男は私が指さした場所を見つめると驚いたような表情をして、私に振り返った後無言で頷いた。私は中断していた作業を開始する。水を十分に吸った大豆をすり鉢で液状にしていく。そうして出来た豆乳を別の鍋でゆっくりと沸騰させないように温め湯葉を作り串で引き揚げる。湯葉を作るのは3回ほどが限界らしく、それ以上はいくら温めても表面に膜が浮いてこなかったので掬った湯葉を小皿に移す。湯葉を掬った後の豆乳は味を見ながら鶏がらスープの中に入れて塩で味を調えた。小皿に移した湯葉は私の腹に収まった。時間は朝7時、後は食事の時間まで待つだけだ。私はギボンを揺り起こし男に説明をさせた後に湯浴みをさせた。私も湯浴みを済ませた後に改めて鍋を温め直す。十分にスープを煮立たせ皿に注ぎギボンを起こした後、共にティベリスの寝室に向かう。


「ティベリス様。失礼いたします」


ギボンがノックをした後に部屋に入る。私もそれに倣い入室した。


「ヒロシか今日も頼むぞ」


擦れた声でティベリスが話した。中度の脱水症状か。


「ティベリス、頭痛か吐き気はあるか?」


「両方ある、意識に靄がかかったような感覚だ」


嫌な予感がする。症状の急変を考えて準備するべきか。


「なるべく腕の良い鍛冶屋を紹介してほしい。必要な道具が出来た」


「何が必要なのだ?」

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