第1話 大道芸
◇
私が調べる限りでは、およそアクィタニア帝国の征服事業はその大体が終了し、戦いは主に貴族が各々の領地の防衛に専念する事で一応の終息を迎えていた。
今や周辺の蛮族よりむしろ、我が身を危うくする征服事業などは企てぬ事が貴族の義務とも利益ともになっていた。
かくして豊穣の地に住むアクィタニア人は大きくなり過ぎた国土を、平等宣言でもって集まって来た凡ゆる種族に労働の義務を与え、耕させた。
「ってところかな」
ナイハラ・ヒロシは城下町を一通り見学し終えるとおおよそ自分が知る限りの知識を総動員して纏めた。
城まで続く一本の大通りの路肩では、様々な店が軒を連ね、多種多様の知的生物が群れをなす蟻の様に溢れている。
大きな噴水広場では哲学者達が自身の考える道を目の前の大衆に大声で示していた。
私は噴水の脇にあるベンチに腰掛ける。
目を閉じると水音と共に聞こえる哲学者の主張。
「人間とは二本脚で羽根の無い動物である」
私はクスリと笑うと姿勢を楽にした。大衆は「成る程、確かに!」と話し合い中々好評であるらしい。多種多様の種族が入り乱れるこの国では、他種族と自分達を分けて考える為の定義付け遊びがブームらしかった。
この国の哲学者はある意味コメディアンなのだ。民衆を愉しませる事で収入を得る大道芸人のようなものである。
心地よい風が頬を撫でる。
思わず伸びをして目を開けるといつの間にか先の哲学者を先頭に大衆が私の座るベンチを囲んでいた。
「なにか?」
「お前は何故私の哲学を笑った?」
目の前にご老人が威圧的に立っていた。
不運にも私の笑い声は彼のカンに触ってしまった様である。
白く長い髭とは対称に赤い顔が私を睨み付ける。
「あれを見よ」
私は彼の問いには答えずに肉屋を指差した。彼も大衆も指差す方向を正しく向いた。
肉屋では羽を毟られた鶏が紐に括られて売られている。
「お前の主張で言うと、あれは人間の死体を売る店である。お前の主張を通すなら良心に従いあの店を破壊せよ」
彼は俯き、赤面は別の種類のそれになっていた。先程まで彼の考えを肯定していた大衆も彼に倣った。
「・・・ではお前は人間を何だと考えるのだ。私を笑うならお前の哲学を聞かせるべきではないのか」
「人間は考える葦である。天に於いて最も弱い存在である。が、人間には考える力がある。その力は天より尊く天をも包む」
「それは何故か」
「私が私の尊厳を求めなければならないのは空間からでは無く私の心からである。例え私が多くの土地を有していたとしても、天より優れていることにはならない。天は空間により私を包むが、私は私の考えにより天を包む」
彼は顎に手を当て考え込む。周りの民衆は理解出来なかったようで、その大体がキョロキョロと辺りを見回すか彼を見つめている。
暫くすると何かを得たような顔をして頷いた。
「君ともう少し話がしたい」
すると、周りの民衆がざわめく。
私としては、彼の大道芸を笑ってしまった為、非常に気まずいので断る事にした。
「残念だがこれから昼食でね。付き合っている暇は無い」
民衆が更にざわめく。
先のパフォーマンスに当てられて気持ちが大きくなっているのだろうか。オーバーリアクションである。
「では私が食事に招待しよう」
いや、そこは折れろよ。
ならば、
「今日は人間・・を食べたい気分なんだ」
皮肉による口撃で退散すべし。
お前と気まずい時間を送る気はない。
彼は俯き苦笑いを作った。
「私の哲学か。・・・ならば、先のに“爪の平たい”という事を付け足そう。食事に関しては心配いらない。好きなものを注文して欲しい」
・・・意外と怒ってないのか。爺一人での食事が寂しいのか随分粘着してくる。
一度きりだし、ここは折れるか。
「わかった。着いて行く」
まぁ仕方ない。
ご老人に案内されるがまま道を歩く。
大通りを城に向って真っ直ぐ進んでいると不自然な事に気付いた。
ご老人の歩く先、種族に関わらず道を開ける。この国に来て日が浅いが、老人に優しくするというこの国の人間性に少し感動していた。
目的の店には大通りを30分程進んで漸く到着した。
門構えは白く大きな石を切り出したであろう四角いブロックがレンガのように積み上げられ、その高さは私10人分程である。
警備は厳重らしく門前に2人、門上に3人。
問をくぐり抜けると花と木が調和する庭園に、続いて白く威厳ある城。
そう、城。
正直、城門が近付くに連れて不安はあった。もしかして。いやしかし、そんな筈は無いと現実逃避していたのだ。だってわかる訳無いだろう。
「さあ、着いたよ。此処で食べようか」
このご老人が領主だなんて。
中庭の花園。白い百合と赤いチューリップが美しい庭園に通された。
白い木の椅子に同じく白い一本足の机。どちらにも見事な彫刻が彫られている。
私が席に着くと対面の席に座るご老人の相手をしながら、メイドがチラチラと視線を向けてくる。
私は意地悪くしようと思い、手元のカメラを向けシャッターを切ると1枚の小さな紙が出て来る。
メイドはシャッター音にびくりと身体を硬直させると足早に去って行った。
印刷された写真には見た目麗しい少女がメイドのコスプレをしている姿が写っていた。
これは良いものである。
「お客人それは何か?」
まぁ目の前にいた領主にバレぬ筈もなく当然見つかる。ご老人が不思議そうに尋ねてくるあたりこの地方でカメラは珍しいものであるのだろう。
「ああ、写真である」
ほら、と言って出て来た写真をご老人に渡す。
勝手にメイドを撮ったのだから少し罪悪感もあった為手渡すことに抵抗はなかった。
写真を見たご老人は驚いた様に声を上げ、また思考に耽る。
「成る程、真実を写すから写真か。君は芸術家でもあった訳だ。いや、発明家か。この国に瞬時に絵を描く機械など無い。そんなものが有ったら絵描き達の商売が出来なくなるからな。油絵とは違う平たんで小さな絵であるが確かにコレはギボン以外にあり得ぬ」
メイドの名前はギボンと言うらしい。
「それはどうも。余りペタペタと触ってくれるなよ、汚れる」
私は可愛いメイドを撮れた事で少し気分が良かったがご老人が写真に指紋を付けるのでさっさと取り返したかった。
「君よ、コレを売ってくれないか?」
それは困る。可愛い少女の写真は自分で使いたい。
「言い値で買おう」
「ベネ売った。」
何事にも先立つ物は必要である。
ご老人は姿勢を正すと声を新たにして言った。
「さて、君よ。出来れば名前を教えて欲しい。同じく哲学を学ぶ人間なのだ、別の道を行くとは言えお互いに得るものがある筈だ」
「ナイハラ・ヒロシ。暇人である」
「うむ。私はアウグストゥス・ティベリス前領主である。してヒロシよ、君の師を教えてくれないか?」
「私に師は居ない。強いて言うなら(ネットの)海である」
ネットで少し見た物を受け売りしているだけだ。
「自然崇拝?では、何故哲学に秀でている?民衆は私の言葉を否定出来なかった。師が居なければその程度という事だ」
このご老人は典型的な哲学者だな。
こうした理性人は大衆を無知蒙昧と考えている事が殆どだ。勿論内心で。
「ティベリスよ哲学とは何か考えた事はあるかね」
「無論。この世の原理をを理性で以て求める学問である」
「私は自分の人生論。つまり、生き方だと思っている。似てはいても全く同じ生き方をしている人間が居ない様に。同じものを見ても感じ方が個人によって違う様に。死へ向かう道は多岐に渡る」
「つまり、人は常に自身の哲学の先駆者であると?」
「然り。だが自覚の無い者もいる」
「成る程。私は、考え方が根本的に違うからヒロシの哲学に興味を持ったのか」
「失礼します」
ティベリスが語る前に先のメイドであるギボンが食事を持って来た。
チキンの丸焼きに切ったフルーツ。拳大の黒く丸いパンが各々の目の前に置かれた。
ギボンはチキンをナイフで切り分けてティベリスの皿から盛る。恐るべき事にチキンの丸焼きの腹にナイフを入れた瞬間に血が噴き出す。私が驚いている所を構わずに解体するギボン。ティベリスも特に何も言わない事からコレが当たり前の食事風景らしい。
「ティベリスよ、コレは」
私が声を震わせながら聞くとティベリスは柔かに笑う。
うわっ生の内蔵が出て来た。
「コッケッコーの丸焼きである。君と云う良き哲学者に出会えたのだ。市場の痩せた物では無く、食す為に育てた物だ」
いや、そういうことじゃない。
この鳥はまんま鶏である。
私が元いた世界では食品衛生的に鳥肉を生や生に近い状態で食べるのは馬鹿か阿呆のすることであった。
魚を生食する事はあったが、獣肉を生食する際には厳しい基準があった。その中で基準が設けられていなかったのが鳥肉である。
つまり、国も鳥肉を生食する馬鹿は居ないという前提で設定した衛生法であった。
しかし、生活に密着している食事に関して悪く言うのは異文化交流の最大のタブー。食事はその国の民を養ってきた誇りなのだ。
覚悟を決める時である。
「脂の乗りといい、ナイフで切った時の身の柔らかさといい素晴らしい物だな」
嘘はいけない。だから褒められる部分を褒める。
血のスープが出来上がっている皿の上はなるべく見ないようにした。
「わははは、そうだろう。そうだろう。何せ城で飼っている一番上等のやつだからな!」
ティベリスは随分とご機嫌である。
ギボンが焼けた身と血に濡れた内臓を同じ皿・・・に切り分け食事が始まった。
私はなるべく血の付いていない良く焼けた身を少しずつ食べる。塩味は無く、口の中で筋張った身が繊維質に裂ける。
主食であろうパンを手に取ると小さいにも関わらず、ずっしりと重かった。
割って中を確かめると成る程、無発酵の小麦生地を焼いただけのようで、断面に気泡は無く私の知る限りナンの様な物であると分かった。しかし、ナンと違い丸く成形している為にモチャッとしている。
ティベリスを見ると血に浸った身を其の儘フォークで食べ、パンを千切って口に運んでいた。
それに倣うと成る程、血の味に混じってベリーの甘味。正直私の口に合わないが血を調味料として使うのは異文化を強く感じた。
血は栄養価が高く、血を啜る文化は各所に多くあり、日本もその一つである。
しかし、
「お互い3日後には腹痛を覚悟しなければならないな」
「む?何の話だ」
あっ、ヤバイ。口に出てたか。
私の言葉を違う意味で捉えたのかティベリスは首を傾げている。
適当に誤魔化すか。
「み、未来が見えただけである」
ちょっと噛んだ。
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