4.霧雨の森の小屋の朝

「眠れなかった……」


 薄明るくなった部屋の中で呟いたのは、私立誌季学園のブレザーを着た少女、ユヅキ。

 冷たい美貌。長い艶やかな黒髪はぼさぼさに乱れ、疲れた様子が窺える。


「僕もだよ」


 静かに応じるのは、こちらも同じ私立誌季学園のブレザーに身を包んだ少年、ミナト。

 優しい眼差しを持った彼は、自身の黒い髪をわしゃわしゃと弄りながら溜息をついた。


「雨、止まなかったな……」


 ボロボロの扉から見えるその景色は、昨日と全く変わっていない。

 霧雨に包まれた森。


 これでは、小屋の周囲を探索するのは難しそうだ。下手に動いてこの小屋を見失えば、遭難してしまう恐れがある。今置かれているこの状況こそが、既に遭難状態であるとも言えるのだが。


 しばらくして、ようやく立ち上がったミナトが小屋の周りをぐるりと一周した。しかし成果はなし。

 今自分たちがいる小屋は、果てしない森の中にぽつんと一棟だけ存在している。それだけしかわからなかった。


「このまま餓死とかは笑えないな」


「やり直しが効くにしても、あのクソやば女が来る直前に戻るだけだしね」


「最悪だろそれ」


 もう二度とあの瞬間には戻りたくない。

 それに、また戻れるという保障もない。

 そのためにも、今は生きるために最善を尽くさなければならない。


 この先、一体どうなってしまうのだろうか。


 お互いわざわざ言葉にはしなかったが、ミナトとユヅキの二人は全く同じ不安を抱えていた。


 ただ、その心配は杞憂に終わる。



「や、やはりこんな早朝にお邪魔するのはやめにいたしましょうよ。もう少し時間を空けてからでも」


「その必要はないと思います」


「でもぉっ」


「声が大きいですよ」


「はぁっ? 逆にアナタは声が小さすぎですわよ。わかってますの? 今から年頃の男女がいる小屋にお邪魔しようってんですわよ?」


「だからなんですか」


「いいですの? 年頃の男女がいる部屋に向かう時にはまず、その途上で自らの気配をビンビンに感じさせておく必要がありますわ。そうすることで、扉を開けた時の気まずハプニングを未然に防ぐことができますのよ」


「意味がわからないですよ……」


「想像してごらんなさいな。もしも今、ミナトサマとユヅキサマがあぁ〜んなことやこぉ〜んなことをしている最中だとしたら。……それを考慮したら、こちら側から『今からそちらにお邪魔しますよ〜』という意思を遠まわしに伝えることは、最低限のマナーだと思いませんこと?」


「はぁ……」



 声がした。女性二人の会話のようだ。

 一人、太陽のように明るいよく通る声。

 もう一人、夜風のように落ち着いた喋り。


 声はだんだんと近づいてきて、



「ぬあっ!? あ、あれ!? 扉がぶっ壊れていますわじゃないですか!?」


 形を保っていないお嬢様言葉で驚く少女。過度な装飾が施された豪奢なメイド服を着ている。


「……これは想定外でしたね」


 淡々と感想を述べる少女。こちらは、生地のほつれが目立つ汚れた修道服姿。



 二人の人物が、疲弊したミナトとユヅキの前に現れた。どちらもミナト達と同じか、少し上くらいの年齢に見える。

 ミナトは慎重に、静かに問う。


「誰だ……?」


「そんなに警戒する必要はありませんよ」


「そうですわ! たとえ扉をぶっ壊すほどの激しいイチャコラをしていたとしても、それはむしろ誇ることですのよ! ワタクシ達に見られたとて、堂々としていればいいんですの」


「そういうことじゃないです」


「──ぐえっ」


 修道服姿の少女が、メイド服を着た少女を思い切り蹴飛ばした。メイド服少女は遠くに飛ばされ、一瞬でミナトとユヅキの視界から消えた。


「すみません。少し頭のおかしな人なんです。気にしないで下さい」


「は……はぁ」


 ユヅキは苦笑い。


「……で……あんた達は一体誰なの?」


 その問いを受け、修道服の少女は深々とお辞儀をする。


「はじめまして。私の名前はリンドウ。そして、今のド変態お嬢様風女が、キョウカ」


 リンドウは淡々と言う。


「私たちは、お二人を保護するためにここへ来ました。今から私たちの拠点へお連れします」


「拠点にはちゃーんと、お二人が安心していちゃいちゃできる部屋も確保してありますわっ」


 這って戻ってきたキョウカがグッとサムズアップ。それをまたしても蹴飛ばすリンドウ。


「やれやれ……キョウカは本当に品がないですね。そういうことはわざわざ口にするものじゃないですよ」


 リンドウは深い溜息をついた。そして、ミナトとユヅキに再び視線を戻す。


「細かい話は拠点に戻ってからです。こちらも、詳しくお伺いしたいことがいくつかありますし。落ち着ける場所で、ゆっくりお話しましょう」


 ボロボロの扉を見つめながら言うリンドウ───の隣に、何事もなかったかのように戻ってきたキョウカは、キラッとウインクをすると、クルッとターンをして歩き出した。豪奢なスカートがヒラリと舞う。


「さぁ、行きますわよ!」


「行きましょう」


 外の世界へと誘ってくれようとする、二人の人物。

 やたらと明るいお嬢様風少女と、それと対照的に淡々としたシスター風少女。


 ミナトとユヅキは、黙って見つめ合った。


「…………」


「…………」


 この人達を信用してもいいのだろうか。その不安があった。


 だが、この霧雨の森の中では、この先どうなるかもわからない。

 それに──“拠点”と言ったか。そこはおそらく、ここよりはマシな場所なはずだ。曰く、落ち着ける部屋もあるらしい。

 根拠はないが、この二人の少女から悪意は感じられなかった。むしろミナトとユヅキは、暖かな印象を受けていた。



「わかった」


「…………」


 二人は決断した。

 ミナトが歩き出すと、その後ろをユヅキが黙ってついていく。


「それでは、れっつごーですわーーっ!」


「そっちではありませんよ、キョウカ」


 ずんずん迷いなく歩いていくキョウカを、溜息と共に止めるリンドウ。


「あのテンションは基本無視でいいですからね……」


 リンドウにやれやれ顔でそう言われ、揃って苦笑いを返すミナトとユヅキだった。






 キョウカとリンドウ。騒がしくも、和やかな雰囲気を醸し出す二人の美少女。

 あと数時間もしないうちに、片方が欠けてしまうことになるなんて、この時はまだ誰も想像していなかった。

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