梅の香【禄】


      *


 反物を顔に当てる、侍女達が声を上げた。


「本当に、乱丸様は麗しいわ」

「まるで天女のよう……」

「光源氏の再来ね」


 白磁のような白い肌と、桃の花を思い起こさせる唇。黒鳶色の双眸は涼しげに流れ、結い上げた髪が隙間風を浴びて小さく揺れた。

 傍で見守っていた長可も「へえ」と声を漏らす。我が弟ながら、乱丸の美しさには目を見張るものがあった。しかし、当の乱丸本人はげっそりとしながら、疲れ果てている。

「次は、こちらに致しましょう」

「まだあるのか!?」

 侍女が差し出した反物に、乱丸はくわっと目を見開いた。

「俺は人形ではないのだぞ。それを、先程から何回当てて来る気だ!」

「仕方ないだろう」長可はやれやれと肩を竦めた。「お前、また背が伸びたんだから。継ぎ接ぎばかり着せられん」

「どうせまた伸びるのに」

 乱丸は年明けから掛けて、随分と背が伸びた。流石は長可の弟である。

 ついこの間までは少女のようで、長可の腰に頭が届くかどうか……というくらいしかなかったのに、今ではの辺りまでこようとしている。

「早く終わらせたかったら、お前も少しは自分で選んだらどうだ。ほら、この浅葱色とかどうだ。似合うと思うぞ」

「まあ素敵」

「殿は、意外と物の選び方がよろしいですわ」

「おい、誰だ今『意外と』とかいったやつ」

 侍女達に威嚇する長可の傍らで、乱丸は一枚の反物を手に取った。

「……藤色がいいです。藤は、俺がいっとう好きな花だから」

「やめとけ、お前に紫は似合わん」

「紫じゃなくて、藤! ていうか俺に選択権がないなら、同じじゃないか!」

 駄々を捏ね始める乱丸の頭を小突きながら、長可は縹色と紅葉色、それから浅葱色の反物を選んでやった。

「お前の反物を選ぶだけで、一苦労だな……」

「兄上のお下がりでいいと言ったじゃないか、勿体ないし、まだ着れるだろう」

「無理だ無理だ。俺の衣は、穴だらけで、当て布だらけだからな。丈が足りなくなった時点で、母上が雑巾にしてしまった」

 長可が同じ年頃の頃といえば――奇妙丸と庄九郎と三人で木登りをしたり、走り回ったり、打ち合いをしたりしていれば、衣はあっという間に擦り切れ、穴が空いてしまうものだ。乱丸も弟達とよく走り回っているのを見かけるものの、長可に比べれば行儀がいい。

 反物の支払いを受け取った松野屋嘉之助は、「男は元気ですからな」と頷いた。

「私も童の頃は、よく母に叱られたものですよ。お万里も、よく妻に叱られておりますが」

「女子でもそうか」

「あの跳ねっ返りぶりですからな」

 嘉之助が頭を掻いた。時折城を訪れる度に、乱丸と喧嘩ばかりしている松野屋の娘ならば、衣を汚すくらい珍しくはないだろう。この間も縁を踏み抜き、乱丸と一緒に修理しているのを見かけ、厠の掃除を命じたところである。ばれないと思っているようだったが、あんなに金槌を打ち付ける音を響かせていれば、湊の辺りにいたとしても気付く。

「お城へ上げる前に、また反物を買うことになると思う。その時は、よろしく頼むぞ」

「承知致しました。御贔屓に」

 乱丸は解放されるなり、逃げるように部屋を後にした。嘉之助が万里も一緒に連れてきていたので、万里が待つ部屋に行くのだろう。


 会えばしょっちゅう叱り付けられているようなのに、乱丸は万里が来るのを心待ちにしているのだから、不思議なものだ。


 長可は嘉之助を茶室に呼んだ。何も、反物のためだけに呼んだわけではない。たとえば町の様子を伺う時などは、嘉之助が最も都合がいいのである。

 嘉之助は、近頃商人達の間でも諍いが絶えないことを愚痴のように零した。

「諍い? 何だ、駄賃の不払いでも起きているのか」

「いえ、そうではございません。あちらこちらで、同じ品を扱う御店同士で、殿様にお聞かせするのを憚るような足の引っ張り合い、争っているのですよ。多少ならば目を瞑られませと申すところですが、日がな一日そのような話ばかり聞かされて、仲裁せねばなりませんので……」

 長可は金山城下にいる豪商の中でも、松野屋には一目置いている。店の規模や金の面でもそうだが、顔の広さも強い。元々は小さな御店であったが、婿入りした嘉之助が今の松野屋を作り上げたのだった。今では御店から品を仕入れ、反物だけではなく調度品や薬、果ては南蛮の珍しい菓子と言った、色々な商品を売買している。金山において、松野屋で揃わないものなどないと言えるほど。

「分かった。俺の方からも、見張りを付けよう。また何かあれば教えよ」

「そうしていただけると、助かります」

 嘉之助に二杯目の茶を点てながら、特に諍いの渦中にいることが多いという商人達の名を聞き出した。五郎左衛門と、久左衛門というらしい。魚や塩を売って生計を立てているという。


 金山が発展しているのは、父・可成が商業政策に目を付けていたからだ。長可も同じように、領国経営をしていくに当たり、商家にはどんどん働いてもらわねば困るし、するな、とは言えない。かと言って元締めの立場にもいる嘉之助の言うことも最もである。


 戦と違い、長可自身が痛みを帯びることも、肉刺が潰れるほど槍を振り回す必要もない。しかし、内政は、それと違った楽しみがある。

 茶の湯気の匂いを吸いながら、長可は静かに微笑んだ。

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