乱離拡散【禄】


      *


 お任せあれ、とは言ったものの、奇妙丸の中にこれと言った策が存在しているわけではない。預かった一件の内容が内容なので、誰にでも協力を仰ぐことができるものでもない。

「某の配下の者に探らせましょう。信頼できる者ですから、口外する心配もありません。何か情報を得られ次第、すぐにお伝え致します」

 奇妙丸が頷くと、庄九郎が静かに部屋を出て行った。


 足音が遠ざかると、奇妙丸が長可の目の前で、後ろに倒れ込んだ。腹でも下したのかと駆け寄ると、奇妙丸は大きく目を見開き、天井を見つめていた。


「……何だか、気が抜けた」


 と、擦れた声が漏れる。

「父上に、偉そうに啖呵を切ってみたのはいいが……。もし失態を犯したら、とか。下手人をこの手で捕縛できなんだら、とか。今更思い至って……」

「できますよ」

 長可は、奇妙丸の顔のすぐ傍まで膝を寄せた。


「できます。俺が必ず、織田家に恥を掻かせた輩の首を挙げてみせますよ」


「いや、何故お前が獲る気満々なのじゃ。俺にやらせよ」

「若は今回大将なんですよ。大将が大将首討ち取るだなんて、普通は有り得ませんよ――って、御屋形様、討ち取ってましたっけ」

「蛙の子は蛙らしいな。まあ、残念ながら、俺に父上ほどの器はないが」

「いいじゃないですか。御屋形様になろうとしなくても。若には、天下布武を成し遂げるだなんて、無理なんですから」

「何だと」

 奇妙丸が睨んでくる。しかし、いつものように脇息が飛んで来ることもなかった。


「御屋形様じゃなかったら、天下に武を布くことはできません。でも、若じゃなかったら、平らかな世を保つことはできませんよ」


 親子でありながら、信長と奇妙丸の気質は異なる。信長の意志を継ぐことができるのは、子供達の中では奇妙丸しかいない。

 天は、同じ役割を奇妙丸に求めることはしない。信長には信長の、奇妙丸は奇妙丸の、授けられた運命があるのだ。


「平らかな世……か」


 奇妙丸が寝返りを打ち、背を向けた。随分と大きく、そして逞しくなった。

「そのようなもの、現時点では夢のまた夢のような、話じゃな。弱きを助けなど、所詮は綺麗事じゃ」

 強さがなかったら、そもそも弱きを助けることができない。

 力なき者が述べる正論など、所詮は空論だ。力がなければ、虐げられることしかできぬのだと、奇妙丸はその身を持って知っている。


 民を護りたければ、上に立つ者は強くあらねばならない。だからこそ、力ある者になっていかなければならないのだ。力を付けたその先に辿り着いて初めて、民を護りたいなどという理想を語ることが許される。


「まあ、理想を語る前に、俺達は初陣ですよね」

「左様。此度の一件に片を付けることが、何よりも先決じゃな」

 奇妙丸の言葉に長可は頷いた。まずは目の前にいた幼馴染の一件を片付けなければ、何も始まらないのだ。


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