梅林止渇【九】


      *


 庄九郎が屋敷に戻って早々、部屋を訪れる者があった。


 於泉の侍女である、柚乃である。


「お疲れのところ、大変申し訳ございません」

 柚乃は深々と頭を下げた。

「少々、お時間を頂戴しとうございます」

 澄んだ青柳の瞳は、今日は険を含んで見えた。

 この侍女がこんな風に勘定を露わにするのは、大概於泉が絡んだ時である。

「分かった。聞こう」

 庄九郎は政右衛門に人払いを命じてから、柚乃を部屋に招き入れた。柚乃は居住まいを崩すことなく、紅を塗った唇を噛んだ。

「本日は、姫様の御供でお寺に説法を聞きに行っておりました」

「ああ、聞いている。若の紹介だったか。於泉あれのことだ。途中で飽きただの疲れただのと喚き始めて、寺に迷惑でも掛けたか」

「いいえ。姫様は、とてもお話に聞き入っておられるようでした」


 寺で聞かされたのは、苅萱道心かるかやどうしんの話だった。

 道心とその息子の悲しい悲劇――それと同時に、親子の縁の深さと強さを問いていた。どれだけ憎んでも疎んでも、親と子の縁は、簡単に切ることができないのだと説かれた。


 それが吉と出るか、凶と出るかは、もちろん誰にも分からない。


 於泉と恒興との親子仲は悪くないように思える。しかし年頃の娘である於泉にも、思うところはるのかもしれない。


「その帰り道――物乞いに会いました」

「物乞い?」

「年の頃は、殿と同じくらいでございましょうか。空で『金槐和歌集』の歌を一首空で唱えられる男で、姫様が関心を持たれたのです。それほど長い時間言葉を交わす前に連れ帰りましたが、ただ、姫様がかずいていた衣が風で落ちてしまい、お顔を見られてしまったのです」

「なるほど……な」

 庄九郎は舌打ちした。

 顔を見られたとなると、今後屋敷に押し掛けて来られる可能性も否定できない。


 斬り捨てられたら簡単だが、なるべく問題事は避けたいのが本音である。


「私がお傍におりながら、申し訳ございません」

 深々と頭を下げる柚乃に、庄九郎は顔を上げるよう告げた。

「面を上げよ、柚乃。そなたのせいではない。――政」


「はい」


 御簾の向こう側から、政右衛門の声が聞こえた。


「屋敷の近辺に怪しい者がいないか、警戒してくれ」


「承知しました」


「それと、あの馬鹿者於泉が一人で屋敷を出て行かないように見張っておいてくれ」


 うへえ、と政右衛門が顔を顰める気配がした。


「それが1番難しいのに」


 全くその通りではある。しかし、文句を言いながらも涼しい声で、


「承知」


 と、承ってくれる辺り、流石である。

 政右衛門が離れていく気配がし、柚乃も浮かない顔のまま、庄九郎の部屋を後にした。

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