十二月二日

『今日の感想』


テスト期間が無事とはいかないものの終了し、殆ど全ての教科が返ってきたところです。

出来は、当然ながらあのような突発的な勉強量の増加や意志の滾りで何とかできるようなテストではないので進研模試と同様、お粗末なものに。

テストの結果は期間限定かつもう回答してしまって取返しのつかない情報なので、これ以上ネガティブな発言をするのは控えます。


話題を変えまして......爆撃さんに紹介して貰った読書猿氏の著書である「独学大全」、父親が買ってくれたので読んでみることにしました。


この本の実物を始めて見た瞬間に湧いた衝動が「青チャートとこの本の厚さを比べてみたい」です。比べた結果は当然、「独学」の「大全」となっているこの本が青チャートよりも厚かったです。

何故、このような衝動に駆られたのかと考えてみると情報量の目安、つまりは青チャートはこれぐらいの量ですよというのが使ってきて具体的に想像が出来るので、初めて15㎝定規を手にした小学生の如く測りにいきたかったのでしょう。

また、この行動は辞書以外で分厚い本を手にして、さらにそれを読んだという経験不足の具現ともとれます。


導入を終える前に、この本を紹介して頂いた爆撃project様に感謝を。


―――この本は異質で、著者のドクドクと脈打つ血の奔流が感じられる。


第一学習社の国語総合の教科書を使っている方がいれば、筆者が黒崎政男氏の「ネットが崩す公私の境」の導入で扱われたニーチェのこの言葉を読んで欲しい。


「読書する暇つぶし屋を私は憎む。あと一世紀も読者なるものが存在し続けるなら、やがてその精神そのものが悪臭を放つようになるだろう。誰もが読むことができるという事態は長い目で見れば、書くことばかりか、考えるものまで腐敗させる。」(『ツァラトゥストラはこう言った』中の「読むこと書くこと」から)


この言葉は少数の著者が読者を啓蒙して教化するという活字書物の特徴を揶揄している。加えて、ニーチェ自身は「血をもって」全身全霊で書かれたもののみを評価し、暇つぶしの読書態度ではその評価する本の精神を理解出来ないという解釈になっている。


この言葉を「独学大全」を読む自分の態度に宛がうと......


そもそも、私は爆撃project様にこの本を紹介して貰ったのがきっかけであり、紹介文等も読みつつ、購入に至った根本的な要因は、


「勉強」の根源的知識の渇望。


志は既に決まり、勉強に専心しているつもりでいたが未熟で浅はかであった。


意志はある。多少の懈怠の心を抱きつつも、澱に触れてきたはずの手で穿てると慢心していたが、これぞ愚者。今では怠慢によって蹂躙された「やる気」の一縷を残すのみである。


未熟さに奮起し、結果として効果の薄い勉強に驕り高ぶり、怠慢が過ぎると薄々自覚したところで失敗のスパイラルに取り込まれた全ての我の可能性を鏖殺したい。


これはきっと暇つぶしではないはず。


そして目の前にあるのは700ページ超であらゆる分野の知的営為に付随する「法則」や細部まで分析され、精錬された知恵の数々、そしてそれらの根源を網羅してある本。

「知的営為の辞書」と言っても過言ではない。


ならば、この本に注がれた著者の血を吸い取り、我が肉と成す。


明日はこの本の技法の一つである「学びの動機付けマップ」の作成をやりたいと思います。明朝、起床時間が早いので今日はここで。


ではまた。






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