第12話 超えた一線

「――えっ?」


 残る力を振り絞るように、力任せに貨物車両最後尾のドアを引き開けた少女の瞳に映ったのは、青空の下、乾燥帯の大地の中をはるか遠方まで線路が伸びていく光景などではなかった。


「残念だったな、カフォット嬢。だが、無駄なあがきもこれまでだ」


 そこに居たのは、まるでそこから少女が飛び出てくるとあらかじめわかっていたかのように、ドアの真正面に位置取りをして待ち構えた、一同を仕切っていた、あの黒服の男であった。


「どうして……」


「俺たちが何の考えもなしに列車を止めたと思っていたのか? 止めたからには、こうなることも想定しておくものだ。あの考えなしとは違ってな――」


 黒服の男は、鋭い眼光で少女を見下ろすと、彼女の応答を待つこともなく、その右腕をためらうことなくその華奢な身体へと伸ばした。



 一方その頃、三等車両では、ひと悶着が起きていた。


 その元凶は他でもない、黒服たちに取り残された哀れな一人の男――マルクであった。


 マルクは一人三等車両に取り残されてしばらく経った後、ハッと我に返ると、途端に周囲を威圧し、大人しい乗客たちを座席に釘付けにした後、落ち着きない様子で列車の通路部分を往復して歩き始める。


 ただ、それもマルクの気の短さゆえに時間を潰すには至らず、マルクは自らの抱いた感情を発散するべき相手を探し、周囲に目を向けていった。


 白髪の老夫婦に、幸薄な空気の漂う母子、ボロボロの衣服に髭や髪が伸び放題の中年男性と、マルクの視線が転々と動いていく中、とある人物の座席で、その視線は強制的に停止させられる。


「……ちっ」


 言葉よりも早く、マルクの口から舌打ちの音が放たれる。


 それを、知ってか知らずか、褐色のジャケットとズボン、更には帽子を身に着けた男性――グリードは、座席に深く腰掛けながら脚を組み、自宅のリビングで寛ぐ時のようにリラックスしながら、大きく口を開けて欠伸をしていた。


 場違いと呼んでも差し支えないような、緊張感のないグリードの態度に、マルクの怒りのボルテージはすぐさま限界を超越し、少し前に一度痛い目に遭わされたなどということも忘れて、詰め寄ってしまう。


「おい、お前――」


 顔を近づけ、何とか目線を合わせようとするマルクであったが、グリードは一瞥するどころか、そこに誰もいないかのように、一切気に留めることなく、無視を貫き続ける。


「そうかよ。あくまで無視するってか。それなら……」


 マルクは顔を離すと、自らの憎しみを全力でぶつけるべく、何の前置きもなしにグリードの顔面目掛けて右ひざによる蹴りを繰り出した。


 それは、並大抵の人間は直撃を免れることができず、わずかな人間が腕でガードをすることで何とか直撃を避けることができる、いわば何かしらのダメージを確実に与えることのできる一撃であった。


 これが、脚を組んでいない状態であったのなら、身体を滑らすなどして回避するということもできたのだろうが、さすがのグリードであっても一瞬で組んだ脚を解いてその動作へ持っていくなどという芸当は物理的に不可能である。


 そして、マルクの膝がグリードの顔に触れようかという刹那、車両内に破裂音が響き、その後を追うように男の絶叫が車内にこだました。


「うあ、ああああああぁっ!」


 グリードの対面の座席に転がり、真っ赤に染まった右ひざを必死に押さえながら、目に涙を浮かべ、苦痛を声にして流し続けるマルク。


 それをグリードは、硝煙の残っている拳銃の銃口をマルクへと向けたまま、道端の小石でも見るかのような瞳で眺めていた。


「ぐっ、こいつ、銃なんて……一体どこで――」


 自分が見られていると気付いたマルクは、相変わらず目元に涙を残したままではあるが、痛みをこらえ、最低限の虚勢を張りながら、吐き捨てる。


 すると、グリードは目線を手元の拳銃へと向け、退屈そうに見つめながら、独り言でもつぶやくように、説明を始めた。


「別に、お前が落としたものを拾っておいただけだ。俺が隠し持ってたなんてことはないから安心しな。ま、お前みたいな輩に言っても意味はないあろうが」


 そこまでグリードが口にしたところで、発砲音にショックを受け、悲鳴を上げることすら忘れていた周囲の乗客たちも、止まっていた時が動き出したかのようにざわめき始める。


「――と、とにかく人を呼ばないと!」


 そして、勇気ある一人の若い男性の乗客が席を立ち、列車の添乗員を呼びに行くべく隣の車両へ通じるドアの前まで向かった時であった。


 男性乗客がドアに手をかける前に、ひとりでに眼前のドアが開いたかと思うと、そこには後方の貨物車両の方へと消えていったはずの黒服の男が、どこか見覚えのあるトランクケースを手に立っていたのであった。

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