第73話 暗殺者

 翌日の朝。


 宿酔で頭を抱えてうなっているのはアミールとダリュシュ。


 ファリドは途中から抑えていたので平常モードだ。アミールのお陰で昨日寝不足に苦しんだこともあって、多少のざまぁ気分を味わっている。


 フェレはかなりの量を飲んでいたはずだが、何事もなかったような顔をしている。彼女は飲めば色白の頬を桜色に染めるものの、それ以上いくら飲んでも変化がない……ようは、いわゆるザルなのだ。酒は魔力源になると言われるが、フェレの場合飲む先から酒精が魔力に変換されているのではないかと、ファリドは疑っている。


「アミールが明日には駐屯地に帰ることだし、今日は領内を見て回ろうということだったが……調子が悪いなら、寝ててもいいんだが?」


「いやいやいや……何のこれしき。ぜひこの村を見て回りたい……アレフと一緒に」


「それなら良いんだが……」


 好きな娘の前では、多少の虚勢は張る。古今東西、男はそんなものである。であれば好きなようにさせておこう、とファリドは肩をすくめるのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 まだ頭は痛むようだが、一応乗馬姿はしゃきっとしているアミール。同じ馬にアレフも乗せると主張した彼だが、「酔っぱらいにアレフを任せるのはダメ」とフェレに却下され、今のアレフはフェレの馬に同乗している。ダリュシュも宿酔で役に立たないので、道案内役も務めるフェレである。


 それほど規模が大きくもない小麦畑と、何ということもない田舎村を回って村人たちから素朴な歓待を受け……昼前にはほとんど領地を見終わってしまう。


「……最後は、水無川上流の滝。その滝が、うちの領地の境界」


 扇状地を遡っていくと水無川に流れが戻り、やがて川の両側が森となる。


「……この森は、猪や鹿なんかがいる……もう少し行くと滝が見えるはず」


 フェレが慣れない観光ガイドを務めつつ手綱を引き絞ろうとした時、ファリドと副官ファルディンが同時に何かに気付いた。


「フェレ! 『烈風』を!」


 ファリドが叫ぶと同時……とはいかないが三つも数えぬ間に、一行の周囲にものすごい強風が吹いた。そしてアミールの近くの木立に、一本の矢が突き立つ。続けて矢が何本も放たれるが、強烈な横風に煽られ、当たるものはない。


「くそっ、弓を捨てろ! 接近戦だ!」


 森の中から指揮役らしき者の声がすると、手に手に長剣を構えた男達が現れる。その数、十数人ほど。その整った抜剣姿勢は、山賊風情の者ではない。


「お前たちは誰だ?」


「アミール王子、お命、貰い受ける!」


 叫ぶなり斬りつけて来る敵に、アミールが馬上から袈裟懸けの一撃を与え、血煙をたてる。二日酔い状態でこの手練とは大したものだ、と余計な感想を抱くファリドである。


「この私に対し、まともな剣術で挑んでくるとは勇敢なことだが……そういうのを蛮勇というのだ。勝てると思う者は参れ!」


 馬から飛び降りたアミールが、たちまち二人を斬り捨てる。昨日の模擬戦で見せた剣技の冴えは実戦でもいかんなく発揮され、続く一人が手首を切り落とされると、賊の攻め手が一時止まる。


「護衛を先に片づけろ! そして取り囲んで一気に殺せ!」


 指揮役の命令は的確だ。どんな達人でも、五人六人に取り囲まれて一気に突っ込まれれば、生き残ることは難しいのだから。だがこの場合「護衛」が雑魚ではなかったことが、致命的な計算違いであった。


 副官ファルディンがアミールの後方から迫る賊を立て続けに二人斬り伏せる。前方では三人を相手にファリドが戦っているが、彼には相手を斬る意志がない。ファリドがせねばならぬのは、フェレが魔術を発動するまで、ほんの四つか五つ数えるだけの時間を、稼ぐことだけだ。


 そして、その時が満ちると、ファリドに相対していた三人の革鎧と衣服が、一瞬で燃え上がった。髪も燃え皮膚は崩れ落ち、ほどなくそれは、人間の形をとった、三体の炭となった。


 フェレのすさまじい魔術の威力に残った賊は明らかにたじろぎ、じりじりと後退する。副官とファリドがさらに一人づつを片付け、残るは指揮役を含め三人……


(引けっ!)


 指揮役は叫んだ……つもりだった。が、発したはずの声が、聞こえない。彼は混乱しながらも、もう一度指令を発するべく大きく息を吸い込んだ。次の瞬間、彼の視界は揺らぎ、そして薄れ……間もなくその意識は暗黒に沈んだ。


「片付いたな、よくやった、フェレ」


「兄さん、最後のあれは一体なんだい?」


 敵を炎上させた魔術には驚愕しつつも、起こっている現象については理解できていたアミールだが、いきなり相手を傷つけず倒したたった今の魔術は、彼の理解の外にある。


「ああ、フェレの魔術は、相手のまわりの空気を薄くすることが出来るのさ。俺達は『真空』と呼んでいるけどね。そうなると声も出せないままに失神するしかないから、対人戦では結構役に立つんだぜ、殺さないでも済むし、な」


「なんともはや、ここまでいくと、神の領域ですな……」


 驚きで声も出ない主君に代わって、ベテランらしい副官が論評する。


「そうだな、ここまで使いこなせるようになるとは、俺も思わなかったしなあ」


 神とも評された当の本人を見れば、初めて眼の前で人が殺されるころを見た衝撃に怯えるアレフを抱き締めてなだめるのに、精一杯の様子だった。


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