第20話 編み物は、自由
梓先輩はぶっきらぼうな表情のまま、わたしに聞いてきた。
「で、何が分からないんだよ」
「わたし、輪の作り目が全然出来ないんです。どうしても糸が引き締まらなくて……」
輪の作り目とは文字通り、円状や球状のものを編む時の編み方だ。
本を読んでも、動画を見ても、何故か上手く出来ない。そのせいでわたしはとてつもなく苦手意識を持ってしまった。
あみぐるみを作るには必須の編み方なのに。
「あー。なるほど」
梓先輩は何か察したように呟くと、黒いシンプルなケースを手に取った。
ジッパーを開けると、かぎ針やハサミなどがきちんと整頓されていて、わたしは息を飲んだ。
梓先輩は七号のかぎ針を取り出すと、太めの茶色いアクリル毛糸を手に取った。
「どうして引き締まらねぇのか、教えてやる」
先輩はぶっきらぼうに告げると、人差し指に毛糸を二回巻き付けた。
わたしは先輩の無駄がないかぎ針さばきに思わず見惚れてしまった。
ずっと動画で見続けた手つき。
本当に梓先輩が『ホエールズ・ラボ』さんなのだと、改めて気付かされる。
すぐに基本的な輪の作り目の引き締める寸前まで出来て、先輩は解説してくれた。
「簡単なコツを教えてやるよ。中心に糸が二重になってるだろ?」
「はい。いつも片方の糸が必ず引き締まらなくて……」
「そりゃあ引っ張る方の糸が毎回違うからだよ。慣れればこんな事をしなくても分かるけど、中心の糸をよく見てろよ」
梓先輩は私の前に輪の作り目を向けると、何故か糸端を持った。
梓先輩が軽く引っ張ると、二重になっていた糸が……片方だけ、縮まった。
「今、片方だけ縮まっただろ? 縮まった方を先に引っ張ったら……」
先輩は縮まった糸を指差して、引っ張って見せた。
もう片方の糸が、いとも簡単に引き締まっていく。
最後に糸端を引っ張ったら、可笑しいくらい簡単に輪の作り目が完成した。
「えっ、嘘……」
こんなに簡単だったの!?
自分の理解の悪さにドン引きしてしまった。
わたし、こんな事に三か月も悩んでたの……?
目線を伏せながら落ち込んでいると、梓先輩は輪の作り目を解きながら言った。
「別に気にする事ねぇだろ。輪の作り目は初心者なら必ずつまずくし」
「じゃあ、先輩もつまずいたんですか?」
わたしが尋ねると、先輩は少し間を開けてから呟いた。
「いや、俺はー、出来た、かもな」
「なんで曖昧なんですか?」
「昔過ぎて覚えてねぇよ」
覚えていないという事は大して苦労しなかった、という事だろう。
やっぱりこの人は凄い人なんだ、わたしとは違う。
わたしは思わず溜息をつくと、梓先輩はつまらなさそうに言った。
「覚える速度なんて人それぞれなんだから、比べる必要なんてねぇだろ。編み物は自由なんだからよ」
「編み物は、自由……」
わたしが反芻すると、先輩は再び輪の作り目を手早く編み始めた。
「ある人の受け売りだ。まあ、何事も楽しんだもん勝ちなんじゃねぇの?」
「楽しんだもん勝ち……」
梓先輩が編み始めた円状の何かが徐々に大きくなっていく。
その表情はぶっきらぼうだったけど、さっきよりも表情が柔らかい気がした。
梓先輩の編み物をじーっと見つめていると、梓先輩はこそばゆそうに目線を上げてきた。
「なんだよ」
「いや、流石は『ホエールズ・ラボ』さんだなーって思ったんです。言葉の重みが違うなーって」
他意はなかった。純粋にそう思ったんだ。
わたしは無邪気に微笑みを浮かべたけど、梓先輩は再び目を伏せた。
「……そうかよ」
「…………?」
梓先輩はぼそりと呟き、手を止めた。
伏せられた三白眼が、わたしには泣き出しそうに見えた。
どうして泣き出しそうに見えたのか、自分でも分からなかった。
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