第14話 十八歳
あたしは十八になった。
あれ以来、帝都でおきていた不可解な事件ははたと止んでしまった。狂った魔族もわかず、悪霊は一回出たがごく弱いものだった。狼星の学校でながれていた噂も消えてしまって、もう誰も死刑囚の穴に近づこうなんて思っていない。
かわったことといえば、執事の彼の視線がちょいちょいあたしに向いていて、たぶんあのときの恩返しから意識されるようになったんだなと思って戦々恐々の日々だ。
なにがって、求婚だ。身分的にも悪い相手じゃないし、まっぴらごめんというほど嫌っている相手でもない。
でも、この一年半で治療術も招魂術もたぶん鎮魂術もかなり理解がすすんでいま一番面白いところなんだ。そりゃいつかは結婚するかもしれないし、彼とはそれなりに良い夫婦になれそうだ。だけど今はどうか勘弁してほしい。求婚を断れば、いや、ことわりきれるんだろうか。そっちも自信があんまりない。
そのへんを察してか、狼星が彼を睨むことがあるのも心によくない。やつもそろそろ色気づき始める年頃。親譲りの容姿で学校でもかなり人気らしい。最近はどこかの魔法の研究機関に出入りしていて、いくつかの不得意科目を克服すれば来年にでも飛び級卒業してそこにしばらくはいるのだと見なされていた。なのにあたしからあまり離れてくれてない。しかも……。
「まさか、あたしがあんたの作文の添削することになるなんてねぇ」
彼の不得意は作文で、これは研究機関で論文かくのに必須の技術だからはずすことはできない。
毎日、診断見解書をかき、科長はじめ研究者でもある治療院の先生方にもまれた成果か、教えられたあたしが教える立場になっていた。
「不本意だけど、毎日実践してるひとにはかなわないよ」
「はい、これだけ直しがあった」
真っ赤にした作文を返すとさすがに絶句していた。一つづつ説明すると熱心にきくのはいい傾向だ。
「妹ちゃん、かわいかった? 」
先日、コンラー領に帰ってきたのでどうだったか聞いてみると少々複雑な笑みを浮かべて、それでもはっきりかわいかった、なんて答える。確か四つだ。かわいいさかりじゃないか。
「だが、あいつらはほとんどあってない僕より、弟のほうが大事みたいだ」
弟君も二つだったね。ここ一年少しはあたしもコンラー領にもどってないのでどんなふうに育ったのかはわからない。
「あと、母さんに弟子がふえてた」
なぬ。
どんな人、なんて名前、腕はどんな感じ? 気づくと少年がひくほどの前のめりになってたらしい。
聞き出したところでは、顔の感じからして十五くらい、背の高いすらっとした少女で、名前はボウコウナン、薬草というよりハーブティーに使うことの多い植物の名前だ。魔力は普通の治療師より多め。普通の基準がキンポウゲやネイ師匠なので、魔法使いとしては標準的。治療術のほかに、護身術をシナズさんから習っているらしい。チャトラの猫パンチみたいなのじゃないだろうな。
「棒術だね。シナズは古い武術をたくさん覚えているけど、そのうちの棒をおしえていた。水兵たちと手合わせしてたけど、彼女に勝てる兵は多くはないな。あと、力も強い」
うへえ、魔力以外勝ち目がないのか。そして師匠はあたしを見限ったのかな。
変化はコンラー家にもおきていた。奥様はあのあと懐妊し、今は生まれて六ヶ月くらいになった坊ちゃんにめろめろだ。あたしがコンラー領に帰れそうにないもの、この子のケアがあるからにほかならない。三つくらいになるまで戻れないだろうな。初子にありがちな話だが、少し小さいが元気な坊ちゃんである。エリ様、竜司様おふたりも駆けつけて、ついでに家督を正式に若様に譲ったらしい。
と、いうことはこれからはお館様とよばなきゃいけないな。
母子の検診のために用意された広めの部屋にはいると、奥様は机に帳簿や書類をつみあげ、坊っちゃまがおやすみなのをいいことに右手に拳銃、左手に反り身の剣をもってなにやら型の練習をなさっているところだった。このスタイルは最近はやっているらしく、ホンラー家からお見舞いにきたお兄様にねだって教えてもらったらしい。
「奥様、なにやっておられるので」
「鍛えてるの。まだまだ体がもとにもどらないわ」
「さぼっておられますね」
散らかった机上を指差すと、奥様はあははと笑ってごまかそうとした。
「診察がおわったら、執事を呼びます」
奥様はあわてて銃と剣をしまった。
「呼ぶのは少しだけまって」
奥様は眼鏡をかけてペンをもちやるぞという姿勢を見せる。
「その眼鏡は? 」
「気分よ気分」
どうやらできる女のファッションらしい。そういえば先々週くらいの新聞にそういう特集があったな。同じ週の庶民向け新聞にはこんな旦那様、奥様には用心という特集もあった。気持ちはあるがポーズだけの人への対処法とかそんなのだ。
庶民用新聞は、新聞に使ってる魔法応用の原盤転写が安くできるようになったというので、字が読めるなりの収入のある家なら購読可能な値段になったので発刊されたそうだ。もともと庶民のほうが情報への飢えが強い。生活のためには多くしっておくほうがいい。節約術とか、安くて観覧でおいしいレシピとか、求人、世渡りのコツなど、ここの使用人たちも共同でとっている。
それによると、これはあかん人だ。奥様は重要なポイントを逃がさないところはすばらしいが、人にまかせていいところは上手に任せられない。結果としてどうも中途半端なところがでてきて、フォローにまわる執事氏を大分いらつかせているようだ。
やれやれ、あたしはまず手早く坊っちゃまの診断をした。異常なし、ちょっとおなかの通じが悪いので簡単に処置。うん、いい勢いでうんちが出る。ついでにおなかがすいたのか泣き出した、
おむつをかえて、呼び鈴をならし、女中をよぶ。コニイだ。万事心得た顔の彼女はよごれたおむつを持ち去り、乳母を呼ぶ。授乳のために坊っちゃまが別室に連れて行かれると、奥様はぶつぶついいながら雑多な書類に取っ組んでいる。
しょうがない、あたしでもなんとかなるやつは手伝うか。
「ハマユウはいつでもお嫁にいけるね」
奥様、それほめてることになりません。
「あたしは庶民ですから、こういう仕事が少しできてもなんにもなりませんよ」
「あなたのお祖父さまにたまに様子を聞かれるの。そういう話があってもおかしくないわ」
確かに、あの祖父がたまにでも気にかけるなら評価は高いのだろう。そして政治的に利用するとなると、仮に陪臣に嫁に出すにしても、有力なところになるだろう。
廃地公家といえば、伯父とはつきあいが続いている。所用で近くにくるときに、ちょっとした土産をもってきて、お茶をすすめて世間話をして、お礼に診察かねて心労多いその肩こりをほぐしてあげたりする関係だ。あの人はよけいな干渉はしない。顔を見せ合って、元気であることを確かめればいいと思っている。気楽だ。
「いやいや、公からお前の様子を見といてくれといわれておるぞ」
だから見に来た。それだけらしい。
油断ならないなぁ。面倒だけど、さっさと結婚しちゃったほうがいいかな。
見も知らぬ、人柄もわからない夫のもとに送られることを考えると、そっちのほうがましにも思えてきた。
なんだかその気になってきて、こうなったら求婚どんとこいやと思っていた。
ところが、そう思ったとたんに変わるのが人のこころというやつなんだろう。あたしはもう腹を決めたというのに、やつはどうもあたしを避け始めたみたいなのだ。
謎はすぐに溶けた。お館様夫妻、あたし、狼星でかこむ夕食の席でご夫婦がこんな会話をしていたのだ。
「あの二人の婚約は成立したのかい? 」
「コンラーと帝都のそれぞれの親が顔をあわせて結納の品をかわしたそうよ」
それは誰と誰の話か。嫌な予感はすぐに的中した。
「あいつ、なかなか決心しなかったが誰か他にいたんじゃないのか? 」
「身分違いの恋だったみたいよ。やっとふんぎりがついたって。それにコニイは気のきく愛嬌のある娘です。結婚後も働いてくれるそうだからたすかるわ」
ほうほう、コニイに先をこされましたか。で、そのうだうだしてた野郎は誰ですか、まさかあいつじゃないでしょうね。
「まあこれでうちの執事も落ち着いてくれた。みんなで祝ってやろう」
大当たりかよ。あたし、なんにも始まらないうちに勝手に失恋しちゃったみたいだぞ。
その時のあたしは平静を守りきったと思ったが、やっぱりどこか変だったらしい。
「姉ちゃん、もしかしてあいつのことが好きだったの? 」
狼星にはさすがに気付かれた。食事のあと、薬草挽いてるあたしのところにやってきてそんなことをきかれた、
「好きだった、というか、あいつがあたしに懸想してるらしいってのはわかってたし、求婚されたら結婚してやってもいいかなって思いはじめてたらあの話ですよ」
やっぱりおかしくなってた。語尾とか。
十歳の少年にぽんぽんされて慰められる十八歳ってどうなんだろう、
「だいたい身分違いってなんだよ。こっちだって一般市民だぞ」
「もし姉ちゃんがいきおくれたら、僕がもらってあげるよ」
なかなかおっしゃいますな。いきおくれとかいうのはこの口か。むにっと彼のほほをひっぱる。なんだよ、もち肌じゃないか。なんでこいつ男の子なんだ。
「あんたは、年頃になったらちゃんとつりあう相手をさがしなさい」
「魔力的にはつりあうよ」
「結婚は魔力じゃないわい」
じゃあなんだ、というと世知辛い言葉しか浮かんでこないのが悲しい。
美少年をもてあそんだら少し気がはれた。よし、過ぎたことは忘れよう。
その後、いくつか事情がわかってきた。
まず、コニイが執事君に気があった。ご同様の若い女中は他に何人かいたが、物件的な意味で関心をもってたなかで、彼女は特にそれが強かった。
コニイは帝都のくらしがすっかり気に入って、コンラー領にかえって領地海軍の士官か他の村長の家の惣領息子に嫁入りするのはいやだと思うようになってたらしい。もちろん執事君に魅力も感じていたようだ。その色と欲の行動力がみんなを動かしたということらしい。
ああ、こりゃ告白されたら応じようなんて女じゃかなわないわ。
本人が心変わりしたことについては、伯父御が悪いということがわかった。いや、あのおっさんは若い同業者の相談にのっていただけで、悪意はないのだ。むしろちゃんとすすむようにといろいろ教えたのがまずかったらしい。
婚約の時にはあたしの本当の父親はひっぱりだせないし、後見人というとお館様ご夫妻ということになる。いきなりハードルが高くなるし、廃地公が目をつけている庶孫となるとそっちにもさりげなく筋を通しておかないと面倒が予見される。これまたハードルが高い。それでも、というのなら伯父は全力で援助する気だったらしい。いや、確かにそこまで根性だされたら、あたしも腹をくくって添い遂げていいと思っただろうね。
彼には無理だった。無理もない話だ。コニイのがんばりを思えば、あたしが彼を非難する言葉などありようもない。そのがんばりが欲まみれでも、だ。
チャトラがやってきた。前足をぽんと置かれる。猫にまで、あたしは泣いた。
おかげさまで仕事にうちこめるようになった。帝国治療院では身体再構築の術式を見学し、学ぶことが多かった。しばらくは魔力で爪をのばしたりちょっと切った時には皮膚の再生を試みたりの実験をやって、論文を読んだり簡単なものは追試験をやって報告を行ったりするようになった。
普通に治療するより時間がかかる上に失敗が多いので、実用的ではないがこの技術の先にあるものでないと救えない命があるという事実は重い。
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