二十五話:ルング湖

 


 俺は今、馬に跨って揺られている。


 それは何故か。


 ルング湖まで転移しようとして転移スクロールを使用したのだが、文言を唱えた瞬間、スクロールだけが霧散して俺たちは屋敷の玄関ホールに突っ立っていたからだ。


 はい、飛べませんでした。

 五巻の転移スクロールが無駄になりました。


 ……ちくせう。


 まあ、転移できないかもなと思ってたから良いんだけど。


 というのもIDO時代の転移のスクロールは、街やダンジョンなどIDO運営が設定しているポイントにしか転移できないという仕様だった。

 しかし、この世界ならば転移できるかもしれない、という浅はかな考えを抱いてしまったのだ。


 あー、テンション下がるわ……。


 腰が痛いし。

 ケツが痛いし。

 体の節々が痛いし。


 ……最悪の気分だ。


 乗り慣れない馬に乗ること早二日。


「もう帰って良いかな?」

「ダメッスよ! ここまで来て何言ってんッスか!」

「俺はもう心と体がボロボロなんだ」

「お前さんの体がボロボロになる訳ないじゃろうが」

「それに精神も図太いッスから問題ないッスよ」


 俺を挟むようにして両側からゼムとミャオが言ってくる。

 その後ろではミャオたちの言葉に賛同するようにリヴィがコクコクと頷いていた。


 確かに体は頑丈な自信がある。

 だが、俺ってそんなに精神図太いか? わからん。



 ――数時間後。


 俺たちは目的地であるルング湖に辿り着いた。


 ルング湖の見た目は至って普通の湖なのだが、近付くにつれてこの湖が異常であると思える点が二つある。


 先ず一つ目は、塩の香りがすること。

 ルング湖の周りは断崖絶壁に囲まれており、その上からでもわかるほど塩の香りが漂ってきているのだ。

 それが湖の塩分濃度が異常なまでに濃い事を示している。


「まるで――だな」


 元の世界に似たような名前の湖があった。

 だが、その事を言った訳ではない。

 視と死をかけての言葉だ。


 それが二つ目で、大量の死体が浮いているということ。

 一つや二つではなく、百はある。

 この断崖絶壁なのだ。

 引き上げようにも降りられないのだろう。


 俺はゼムとヘススと一緒に手を合わせる。

 その隣りでは、ミャオが顔を顰めながら、リヴィはぷるぷると震えながら、手を当合わせていた。


「それじゃあ、行こうか」


 気持ちを切り替えさせるように俺はパンパンと手を叩き、全員に王都で買った錘の入ったアンクルを渡していく。

 それを受け取った面々が足につけるのを確認したあと、壁が少しでも緩やかになっている場所を探し、滑るように下まで降りた。


 ルング湖の水はとても綺麗で水底が透けて見えている。

 しかし少し先に進んだ場所は深くなっているのか、水底が見えなくなっていた。


 俺は意を決して片足ずつ水の中にへと歩を進める。


 冷たい。

 オマケに服が水を吸って重たい。

 もう帰りたい。


 なんて事を考えながら、腰まで浸かり準備を始めた。

 すると水面なら顔だけ出した……否、顔だけしか出せないミャオが心配そうな表情を浮かべて口を開く。


「本当に大丈夫なんッスか?」

「お前次第だ」


 俺の言葉にミャオは小さく頷くと、大きく深呼吸をして全員にスキルを掛けた。


 <冒険術☆>スキル『ミティゲーション』:環境の影響を軽減・無効化する。


 ――発動。

 薄っすらと全員の体が発光する。


 『ミティゲーション』――このスキルの内容をミャオから見せてもらったときは本気で感動した。

 というのも、このスキルは水中での行動を地上と同じくらいスムーズにしたり、暑さや寒さを軽減したり、酸素の薄い場所でも普通に呼吸できたり、と多様性に富んでいる。

 さすがにマグマの中や無酸素の中などは無理だが、それでも強いスキルだ。


 控えめに言って、便利すぎる。

 冒険者なら誰もが欲しがるスキルじゃなかろうか。

 ミャオを採用して本当に良かったわ。


 俺は面接に来てくれたミャオに感謝しなからインベントリを漁り、人数分の<水中呼吸>の呪文スクロールを取り出す。


 因みに水中呼吸の効果が切れるまでの猶予は三時間ほどだが、ミャオの『ミティゲーション』があれば、いつものように戦えるので湖の底まで行って帰るのに三時間も掛からない。


 この依頼……貰ったな。


「全員、武器は手に持っとけよ」


 俺がそう言うとゼムは大槌を、ミャオは短剣を、リヴィとヘススは杖をそれぞれ構える。


 今回、リヴィには本来の本ではなく杖を持ってもらった。

 何故かというと、例外を除いて、本型装備は水の中じゃ使えない……というか開けないためだ。



 こうして準備を終えた俺は一歩、また一歩と少しずつ湖の中へと入っていく。

 そして頭上に水面が見えるまでどっぷりと浸かったが、浮き上がってるような感じは無く、後ろを振り向いてみるとみんなも同じようにしっかりと水底を踏み歩いていた。


「大丈夫そうか?」

「へ? 喋れるッスか!? うぇえ!? すげー! 水の中でも喋れるッスー! あ、アタシは大丈夫ッスよ」

「自分のスキルだろうが。知っとけよ」


 俺とミャオが会話している姿を見たゼム・リヴィ・へススの三人は驚きつつも「大丈夫」と返してきた。


 リヴィの顔が少し青ざめてるけど、まあ、問題ないな。

 じゃんじゃん進もう。

 三時間で戻れなかったらシャレにならんし。


 俺とミャオが並んで先頭を歩き、ミャオには『イーグルアイ』を発動してもらって索敵を任せている。


 数分後、既に俺の身長の三倍はあろう水底を歩いていた――その時、ミャオが大きな声を上げた。


「前からなんか来るッス!」


 俺の目ではまだ見えない。

 だが、俺の視力よりミャオの索敵能力の方が確実性があるため、俺はミャオの前に躍り出ると大盾を構える。


 すると徐々に見えてくるソイツらは泳いで来ていた。


 口には二本の鋭い歯が並んで突出しており、丸々とした体には脂ぎった短い毛が生えている。

 平べったい尻尾を上下に動かし器用に泳いでくる――こいつらは装備破壊ウェポン・ブレイカー種の海狸ビーバーだ。


 装備破壊ウェポン・ブレイカー種とは読んで字の如く、装備を壊したり、溶かしたり、食べたり、してくる厄介な種である。

 IDO時代には様々な形の装備破壊ウェポン・ブレイカー種が存在しており、プレイヤーたちからは『害悪』とまで言われていた。


 グロースの話を聞いた時、間違いなく装備破壊ウェポン・ブレイカー種だろうとは思ったがやはりな。

 海狸ビーバーの存在は知っていたが初めて見たが、まあ、やることは変わらない。


 俺は泳いでくる海狸ビーバーの群れに対して『チャレンジハウル』を放つ。

 すると海狸ビーバーの群れは俺を目掛けて凄い勢いで泳いでくるので『ハウンドチェイン』を発動させて、他方向からの攻撃を防いだ。


 しかし横や後ろに回り込んだ海狸ビーバーを黒鎖は捕えようとしない。


 んんー? なぜに?


 刹那、俺は『ハウンドチェイン』の効果を思い出す。


 <暗黒騎士>スキル『ハウンドチェイン』:を正面以外から攻撃した場合、鎖が巻き付き妨害する。


 もしかして鎧は術者の内に入らない、とか? それとも食事は攻撃に入らない、とかか? 理由はわからんが、これはマズい。


 どうやら『チャレンジハウル』は効いているようで、海狸ビーバーは俺だけに群がり、大盾や防具に噛みつき、ガジガジと音を立てながら齧っている。


 おいおい、嘘だろ。

 完ッ全に予想外だ。


 いつもと勝手が違うので戸惑っているのだろうミャオ・リヴィ・へスス・ゼムの四人はポカンとした表情で俺に群がる海狸ビーバーを見ている。


「俺の事は気にしなくていいから攻撃してくれ! 最悪、俺に当ててもいい!」


 俺は叫びながら海狸ビーバーの齧り付いた大盾をゼムの方に向けた。


 すると意図を察してくれたのかゼムは海狸ビーバーの齧り付いた大盾を目掛けて大槌を振り下ろし、それに挟まれた海狸ビーバーは絶命する。

 その隣でミャオは<短剣術>スキルを使って海狸ビーバーは切り刻み、序に俺の服も切り刻まれた。


 少し離れた位置からリヴィは<土属性魔法>スキルで土礫を飛ばしており、海狸ビーバーに加えて俺の後頭部にも直撃する。

 その隣でヘススは<闇属性魔法>スキルで闇矢を飛ばして海狸ビーバーだけを的確に撃ち抜き、俺に被害は無かった。


 さすが、ヘスス。


 絶命したビーバーは次々に水面に向かって浮上していく。

 それと共に辺りは海狸ビーバーの鮮血で視界が悪くなっていった。


 刹那、リヴィが<風属性魔法>スキルを使い、水流を作る。

 すると次第に視界が晴れていく……が、またすぐに視界が悪くなった。

 その状態でしばらく戦っていると、海狸ビーバーは一匹も居なくなり、戦闘を終える。


「水の中でも自由に振れるのは違和感があるのう」

「そうッスね。私も驚いたッス」

「……だから、お前、自分のスキルだろ」


 そうこう話しながら進んでいると、視界が真っ暗になってきたので、インベントリからランプの魔道具を取り出し、明かりをつける。

 すると少し先でランプの光が反射して何かが光った。


 俺は警戒しつつも、それに近付いてみると、水底に根を張る小さな白い花だった。


 これがルング草で間違いないだろう。

 辺りを見渡しても、他にそれらしき物は生えていない。


 早速、俺は十本の小瓶を取り出し蓋を開けた。


 グロースの依頼では一本だけという話だったが、念のためインベントリに幾つか仕舞っておこう。

 今後、使うかもしれないし。


 全ての小瓶に湖の水と根ごと抜いたルング草を入れ、俺たちは帰路についた。



 さーて、お願いを叶えて貰おうか。


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