第16話

「効果の大小は有れ、ドルトジンを使って暗示に掛からなかった人なんていませんでしたよ。もし、本当だとしたら興味深いですね。」


冴木友恵は、そう言うと、


「ほら・・・、鼻での呼吸が出来なくなってくるでしょ。・・・口での呼吸は?そう、口でも呼吸も出来ないわね。・・・意識がだんだん・・・だんだん自分の体から離れていく。」


バルタン先輩は首を振った。


「効かないんです。」


冴木友恵は、一瞬、目を見開き驚きの表情を見せた。


「私は、あなたが暗示を掛ける直前に自分に暗示を掛けています。自分に暗示を掛けるのは難しい技術と云われていますが、訓練すれば何のことはない。」


明らかに冴木友恵の表情は動揺したものに変わっていた。


(自分自身に暗示を掛けることは確かに可能だ。しかし、立って目を見開いたまま、自己暗示を掛けるには相当な集中力が必要なはず。目の前の男は、それを一瞬で顔色1つ変えず、当り前のようにやってのけた。もはや、この男に暗示を掛けるのは難しいだろう。どうする?ドルトジンの事を知られている以上、放置し、この場から立ち去ることも出来ない。)


その時、冴木友恵の背後から車が近づいてくる音が聞こえた。


(まだチャンスはあった。もう少し・・・。もう少し、車の音が近づいてから・・・。)


冴木友恵は、タイミングを見計らいながらも、目の前の男にそれを悟られぬよう視線は男から外さなかった。


そして、「立花律子!・・・立ち上がり、走りなさい。・・・あなたの左手の方向に。」突如、大声でそう叫ぶ。


バルタン先輩は、ハッとして「しまった。」と声に出す。


律子の左手側は道路になっている。しかも、タクシーが1台、こちらに向かって走ってきていた。立花さんを車に引かせる気か!


冴木友恵の声に律子は反応し、背筋をピンと伸ばすと、頭を前後に揺らせた。そして、道路に向かって走り出す素振りを見せる。


「待て!立花さん。足を止めなさい!」


バルタン先輩は、声を張り上げる。


必死に駆け出し、律子の肩を抱き道路の手前で倒れこんだ。


間に合った。そう、胸を撫でおろした時であった。耳元でささやくような声が聞こえる。


(体が・・・。硬直して動かない。)


「油断したわね。流石に今のタイミングでは、自己暗示を掛けることも出来なかったでしょう。」


バルタン先輩は視線を動かすことも出来ず、冴木友恵の表情を確認することすらできない。律子は、暗示に掛かっている状態であろう、頭を前後に揺らしていた。

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