人知れず歩んできたであろう人生の壮大さ

 床に就く少女のために寝物語を読み聞かせる〝ばあや〟が、その日だけ特別に自作の物語を読み聞かせるお話。
 暖かい雰囲気のファンタジー、というか童話かおとぎ話のような物語です。実際に作中でおとぎ話が語られる様子そのものが物語となっており、つまり語り部による昔語りと似たような構造なのですが、でも時制や主観を完全におとぎ話(こういうのも作中作というのでしょうか?)の中に飛ばしてしまわないところがよかったです。
 あまり見ない気がするので単純に新鮮、というのもなくはないのですけれど、でもそれ以上にその自然さが楽しい、という感覚。お話の内容に対して都度少女の反応があって、それが情報の補足だったり拡張だったり、あるいは単純に横槍だったりもして、でもそれをやんわりといなすようなばあやの返答。ただの思い出語りでなくあくまで読み聞かせというのがはっきりと伝わって、その優しい空気感がとてもホッとするという、その点ももちろん好きなのですけれど。
 その本領、というかまんまとやられてしまったのはやはり終盤、一度読み聞かせの形で書いておきながらそれを転調させてくるこの書き方です。
 一気に視点が作中作の中、完全に登場人物の主観に乗り移る形になって、つまり読み手のお話へ乗り込み具合の深度を、こういう構造の部分でうまく制御してくる。これ冷静に考えると結構すごいことしてるというか、だって文章がシームレスなのに視点と時制が一気に切り替わっているわけで、にもかかわらずそれが自然であること。内容の盛り上がりに合わせてカメラを大胆に動かしてきて、それにより読み手の没入感をコントロールする。輪をかけて上手いのが最後に再び視点が戻るところで、その瞬間はもう完全に少女と同化していました。まさに『目を見開いている』というような。もっとも読んでいる間はあんまり意識しないというか、すいすい話が進んでいつの間にか引き込まれてるから全然気づかないんですけど、総じてかなりの技巧を凝らしたお話ではないかしら、という印象です。よくよく見直せば前半ほとんど地の文に頼ってないですし(ほぼ会話文のみ)。えっ何これすごい。
 キャッチコピーが好きです。全体を通して感じた印象とはまったくそぐわない、個人を評するのにあまりに強い『最悪』という語。この若干の違和感の示すものというか、そこから読み取れるものの美しさ。作中ではずっと語り部に徹し、そのうえ多くを語らないままだった〝ばあや〟の、その主観からでなければ出てくることのない言葉。その語から読み取れてしまう時間の長さ、歩んできた足跡の壮大さと、なによりそこにあるであろう想い。きっとそう簡単には言葉にできないであろうそれを、でも読後に深く強く感じさせてくれる、この〝寡黙の中に含まれる想像の余地〟のようなものが、もうとても嬉しい物語でした。