第39話 華の結界

「……ここって、僕らが通ってた小学校じゃん! こんなところに居るの? 親玉が? なんでここに?」


 榛冴はるひが心底嫌そうに声を上げる。


「ある程度の広さが必要だったってことじゃないかな。どうやら敵はかなりの大きさらしいね」


 那岐なぎはしゃがみ込んでグラウンドの表面近くを見渡していた。


「敵の姿は視えるのか、采希さいき?」


 琉斗りゅうとが采希を振り返って尋ねた。


「いや、俺には生憎と。でも気配はするな」


 采希と那岐はその気配を、榛冴は地中深く潜んだその姿を、確認していた。


「んじゃ、始めますか。巫女さん、俺はいつでもいいぞ」


 凱斗かいとが呑気な声を上げたタイミングで、采希とその隣に立つ巫女の前に甲冑にマントを纏った武将が現れた。

 凱斗が訝しげに首を傾け、那岐と榛冴は思わず息を飲んだ。

 采希は、那岐と榛冴には武将が誰なのか分かったのだろうと気付く。


「三郎、奴の様子はどうだ?」


 巫女の問いに、武将が不敵に笑った。


《長年かけて集めた怨霊どもをあっさりと葬られた。怯え半分、怒りも半分といったところか。誘い出せば簡単におびき出せよう》

「誘い、か……」


 どうしたものかという表情で考え込んでいる巫女に、采希は宙に浮かぶ武将を見つめながら言った。


「とりあえず、俺なら親玉を引っ張り出す餌になるな。でも、ただで餌になるのは俺でもどうかと思うから――」

「当たり前だ、馬鹿者! お前を餌になんかするものか!」


 予想通りの反応に、采希は嬉しそうに笑う。


「だからな、こんな作戦、どうだ?」




 グラウンドの真ん中に、采希は一人で立つ。

 くるりと今来た方を振り返る。黙って頷いてみせる采希に、巫女の声が掛けられる。


「準備はいいな? 大丈夫だ、落ち着いていろ。琥珀に頼らなくてもお前には元々の力がある。暴走はしないし、使い過ぎることもない。琉斗と俺がいるからな。存分に暴れてこい。――では、開放するぞ」



 巫女の言葉が終わると同時に、采希の感覚が急速に鮮明になる。


 五感全てが、ありとあらゆる物を認識しているようだった。

 身体の周りにふわりと風が巻き起こるが、荒ぶることはない。

 身体の奥底から岩漿マグマのような力が湧き上がってくるのを自覚した。

 その力は以前の様に急激に身体から飛び出そうとはせず、そっと手の平で抑えられているように、采希に使役される時を待っていた。


 采希は視線を地面に落とす。

 その眼は地中深くに潜むおぞましい程の悪意が、舌なめずりしながら自分を見つめているのを確認した。

 采希の力が開放されたのを知って、喜び勇んで采希に向かって手を伸ばす。

 誘うように采希の意識が地上へ向かうと、あっさりと釣られてきた。


 采希が立っていたグラウンドの真ん中が大きく盛り上がるように見えた。

 采希の身体が巨大な手のようなもので包まれる。


「采希!!!」

「兄さん!!!」


 飛び出そうとした琉斗と那岐を、巫女が押し留めた。


「大丈夫、想定内だ。お前らの出番は、もう少し待ってろ」


 直接脳裏に届けた言葉に、二人が眼を見開いたのを確認し、采希は右手の――今は主のいない琥珀の刀身に視線を落とす。

 ほんの少し力を流し込むと刀身が伸び始め、それは短刀から打ち刀に姿を変えた。


《……そのように足掻いたとて、もはや手遅れというもの。大人しく、我にその力を渡せ》


 妙にねっとりとした声が響く。

 采希の前には、いかにも公家風の顔がぼんやりと浮かび上がった。


「……誰だよ、お前」

《消えゆくお主に、名乗る名などない》

「そうか。俺も別に足掻いてる訳じゃない。この刀は俺のための物じゃないしな」

《強がりも見苦しいのう。さあ……》

《なるほど。名乗るほどもない、小者じゃな》


 突然割り込んだ声に、公家もどきが一瞬で凍り付いたようになった。

 采希の姿に重なるように、マントを羽織った甲冑の武将が現れる。


《……まさか…………お館さま……》

《ほう、儂を知っておるのか。生憎、儂は貴様に覚えはない。采希とやら、遠慮はいらぬ。存分に暴れてくれようぞ》


 言われるまでもなかったが、采希には刀を扱った経験がない。


「では上総介かずさのすけ殿、この身体をお預けいたします。どうぞ、ご存分に」


 采希の返答に、三郎と呼ばれていた武将が嬉しそうに笑った。



 采希の身体は武将の気を纏い、武将の意図したとおりの動きで右手を胸の高さに掲げる。左手はそっと刃のむねに添えられた。


《参る》


 武将の声とともに、采希の身体が動き出す。



 采希の右手の打ち刀は、いとも簡単に自分の周囲を包み込んでいた巨大な手を切り裂く。


「琉斗、那岐!」


 巫女の号令より早く、二人が飛び出した。

 琉斗の手の中で、紅蓮の刀身が紅く輝く。

 那岐の今日の得物ぶきは三節棍ではなく、長い棒だった。ゆうに那岐の身体の1.3倍はある。


「采希、さっきの麻呂眉は仕留めたのか?」


 采希の身体と背中合わせになった琉斗が問い掛ける。


「いや、ギリ躱された。こいつらはヤツがヤケクソで繰り出している残り玉、ってとこかな」

「その割に結構、強い気がするよ、兄さん!」

「最後まで麻呂眉の一番近くにいた念たちだからな、そりゃ当然、精鋭なんじゃないか?」


 采希と琉斗は常に背中合わせで、互いの死角を補う。

 琉斗の我流の剣術に、采希の動きを請け負った武将は器用に動きを合わせていた。



 ゆっくりと巫女と小声で会話をしながら、凱斗が近付いてくる。


「わーってるって。大丈夫だから。さ、行こうぜ」


 凱斗の呑気な声に、巫女が盛大な溜息をついた気配が采希達の所まで伝わった。


「……後悔するなよ」


 凱斗の左腕はちょっと持ち上げられ、まだギプスで固められたままなのに気付いて降ろされる。

 改めて凱斗の右手が高く掲げられ、ぶんっと振り下ろされる。するとその手には長い太刀が握られていた。

 巫女が苦笑した気配がして、鞘から刀身が引き抜かれた。

 凱斗の身体が軽く跳ね、低い体勢でこちらに駆け寄ってくる。那岐が慌てた声を上げた。


「凱斗兄さん?! ――はやっ!」


 あっという間に那岐の隣に寄り、こちらも背中合わせでぶんぶんと大太刀を振り回す。

 お互いに自在に位置を変えながら動くのを視界の端に捉えながら、琉斗がふと不安になる。


「……兄貴、大丈夫か?」


 琉斗が心配そうに呟き、采希も凱斗の動きを目で追って答えた。


「お前に憑依していた時はもっと速かった」

「ああ、知っている。視覚は同調していたからな。でも俺にも追えなかったぞ。すっかり眼を回しそうに――」

「!!!」


 琉斗の不安が的中した。凱斗の身体がぐらりとバランスを崩す。


「凱斗兄さん?!」

「凱斗! 眼を瞑ってろ!」


 巫女の声が響く。

 眼を瞑る必要はなかった。凱斗の意識は既に飛んでいた。




 大きく息をつきながら、凱斗の身体と那岐は向かい合って地中深く逃げ込んだ公家風の怨霊を眼で追っていた。


「那岐、あれを地上まで持ち上げられるか?」

「大丈夫だよ、巫女さま!」

「では、頼む。采希、ヤツが地上に出てきたら止めを。琉斗、お前は榛冴と一緒に結界で待機だ」


 琉斗が振り返って見ると、榛冴が白虎と白狼が作る結界に護られているのが確認できた。


「いや、俺も闘うぞ」


 勢い込んで告げる琉斗に、巫女が首を横に振る。


「ダメだ。あいつに止めを刺した時に、何が起こるか分からない。自らを護ることが出来ないお前は危険なんだ。しかし霊獣たちの結界なら、お前を護ることができる」

「俺もここで、見届けたいんだ。巫女、頼む」


 尚も食い下がる琉斗の肩に、ぽんっと手が乗せられる。


「じゃあ、僕が琉斗兄さんの盾になるよ」


 那岐が言うと、琉斗が驚いたように那岐を振り返る。


「……盾? いや、それだと那岐が――」

「平気だよ。多分采希兄さんがすぐに仕留めてくれるから」

「いや、琉斗は榛冴の所に行け。――那岐、俺に圧力プレッシャーはやめろ」

「…………わかった、仕方ない。では琉斗、この身体の傍から離れるな」


 柳眉を逆立てる采希を受け流し、諦めたように大きく溜息をついた巫女が凱斗の身体を指し示した。



 ゆっくりと、那岐の意識が地中を探る。

 少しずつ【気】で絡め取り、一気に地上に引き摺り出す。

 それは巨大な百足むかでのような形態だったが、甲殻ではなく肉塊に覆われているように見えた。

 頭部には麻呂眉の顔が浮かび上がり、巨大な体躯を波打たせるように暴れ、蠢いていた。


 凱斗の身体を操る巫女が、右手の平を空に向け、高く上げる。

 そのまま何かに吊り上げられるように、凱斗の身体は空中へと浮かび上がる。

 空に浮かんだまま、ゆっくりと手を下ろし百足擬きムカデモドキに手をかざすと、その周囲に大きな花弁が幾層にも現れた。


 ――それは、巨大な蓮の華。


 目標が動けないように、何重もの花弁が百足擬きムカデモドキを包み込む。


「采希!」


 巫女の声を合図に走り出して跳躍した身体を、采希は気の力で更に高みへ引き上げる。

 空中で刀を逆手に持ち替え、落下の勢いそのままに頭上から振り下ろした。

 麻呂眉の顔が浮かんだ頭部に突き刺した刃は、采希の気をその体躯全体に行き渡らせる。


 采希は眼を閉じ、自分の力を開放する。傍に封印の鍵が揃っている。不安はなかった。

 身体の周囲に雷を含んだ風が巻き起こる。

 風は百足擬きムカデモドキの表面から粉砕し、主のいない琥珀の刀身から上がった炎で内部を焼き尽くす。


 巫女の作り出した蓮の華のような結界は、その全てを包み込んで周囲を護っていた。


 采希の視界が徐々に白くなっていく。百足擬きムカデモドキを構成していた念が散り散りになって消えていくと、巨大な花弁が急速に閉じてその残骸を包み、小さく収束し出した。

 采希は自分の身体がゆっくりと膝から崩れ落ちるのを感じながら、視界の隅でそれを認めていた。




 耳鳴りがする。

 全身が痺れたように感覚がない。

 眼を閉じているのに、視界はノイズで覆われている。


 緩やかに手足の感覚が戻ってきて、耳鳴りが治まってきた。

 ――大丈夫、意識はここにある。頭の片隅でそう考える。

 采希の聴覚が最初に捉えた声。

 声のする方に顔を向け、そっと眼を開いてみる。

 胡坐をかいて座った那岐の腕に頭を乗せられ、采希は仰向けに抱きかかえられていた。

 薄黒いドームが消えた蒼天を背景に、那岐が笑う。


 その光景だけで、采希は全てが終わったのだと感じられた。


 榛冴の軽やかな声に、つられてそちらを見る。

 采希の視線に気付いた榛冴が軽く手を上げ、背中を向けていた凱斗を促した。

 くるりと振り返ったその笑顔は、いつもの凱斗ではなかった。

 破顔して、采希に駆け寄ってくる。


「采希、お疲れさま。よくやったな」


 笑う凱斗の顔にダブって、巫女の笑顔が見える。

 差し出された手を取り采希が身体を起こすと、巫女が怪訝な顔をした。


「……あきら?」


 呼び掛けにはっとして、采希の顔をまじまじと覗き込む。


「あきら」

「あぁ、すまない。いや、これは――まさか、な」

「どうしたんだ?」


 琉斗に尋ねられ視線を向けた巫女が、また眉を寄せる。

 その不審な様子にどうしたんだろうと采希が考えていると、巫女の上方にマントの武将と袿姿の姫君が現れた。

 采希が弾かれたように立ち上がる。軽くよろけたが、那岐がうまく支えてくれた。


「どうだった?」


 巫女の問い掛けに、二人が同時に首を横に振る。


《うまくすり抜けられたようだ。瀧夜叉でも追えぬほど、巧妙に呪が仕掛けられていたようだな》

「……やはり、あの麻呂眉の思惑に手を貸した馬鹿がいるってことか」

《さもなくば、あの程度のモノにここまで大掛かりな真似はできんだろう》


 巫女が腕組みをして考え込む。



「……なに? 何のことだ?」


 采希が恐る恐る凱斗に重なった巫女の顔をを覗き込むと、少し困ったように笑った。


「ああ、あの麻呂眉の手応えというか……感触がな、違和感があったんだ。ヒトの手が加わっているようで」

「――さらに黒幕がいるってことか?」

「おそらくは。だが意図が分からない。狙いが采希だとしても、采希の力を奪ってもヒトには行使できないはず。悪いがもう少し追ってくれ」


 頷いた二人が消える前にと、采希は慌てて声を掛ける。


「あの、ありがとうございました、瀧――五月姫。そして、御助力に感謝いたします、上総介殿」


 深々と頭を下げると、瀧夜叉姫が静かに微笑んだ。

 武将はちょっと戸惑ったように片眉をあげ、それからにやりと笑った。


《……気付いておったか。巫女よりは賢そうだ》

「いや、情報量の差です。それに、俺には彼女のように名を呼び捨てる勇気はありません」


 采希の答えに高らかに笑い、その姿が薄らいでいった。



「采希、今のはバカにされたと判断していいのか?」

「……滅相もございません」


 采希は巫女を見ないようにしながら答えた。そんな怖い事ができるはずがない、と小さく呟く。

 憮然とした顔で采希の隣にいるのは、半透明の巫女。

 凱斗の身体はまだ眼を回したまま、那岐に背負われていた。


「もう、帰るのか?」


 巫女が凱斗の身体から離れたという事は本当に全部終わったんだ、と考えると同時に少し胸の奥が変な気がした。


「そうだな。ひとまずは、これで終わったようだしな」

「また、逢えるよな」

「何か事が起こったらな。その時は助けに――」

「そうじゃなくてさ」


 言葉を遮ると、巫女が采希を見た。

 その姿が徐々に薄れていく。


「残念だな、お前だったらよかったのに。お前の運命は……もう……」


 巫女の最後の言葉が風でかき消される。

 呼び留めようとして上げかけた右手を、采希はゆっくりと下ろす。

 少し俯いて小さく溜息をおとすと、那岐の手が黙って采希の肩に置かれた。


「采希兄さん、帰ろう!」


 那岐が背中の凱斗を揺すり上げながら、にっと笑う。


「そうだな、采希、帰ろう」

「久し振りにみんな揃って帰れるね」


 琉斗と榛冴も笑っている。


 ああ、そうだ。俺はこの笑顔を護りたかったんだ。采希は徐々に滲んでいく笑顔を見ながら、笑った。



 * * * * * *



 自分の部屋でベッドに寝転がり、采希は左腕をさする。

 中身の空っぽな銀のバングルを、ぎゅっと握りしめた。


(琥珀……)


 これまで散々采希を助けてくれた琥珀は、今、その身に帯びた穢れを浄化すべく龍神の元に預けられている。

 このところずっと俯いている采希を心配してか、部屋の反対側のベッドには那岐と琉斗が並んで座っていた。


 気遣うように二人がやたらと話しかけてくるが、采希は気のない返事を返してばかりいた。

 采希の方を気にしながら視線を泳がせていた那岐が、ふと思いついたように声を上げる。


「そう言えば、琉斗兄さんは巫女さまの名前、知ってたの?」

「あ? ……ああ、そういえば、唐突に思い出したんだ」

「そっか、記憶が戻ったからかな。でも女の人でって、珍しいね」

「そうだな」

「…………違う」


 ぼそりと呟く采希に、二人が同時に采希の方を見た。


「采希?」

「でも采希兄さんも、あきらって呼んで――」


 采希はゆっくりと起き上がって顔を上げ、ベッドから足を下ろして那岐たちの方を向いた。


「巫女殿の名前は、『はるあきら』だよ」


 二人が采希の言葉を待つように、じっと黙り込む。


真名まな……って言うんだったか? それはもっと長いらしい。那岐、はるあきらって名前で、誰を思い出す?」

「――僕には、一人しか思い浮かばない」

「何のことだ?」

「……今度ゆっくり教えてやるよ」

「そう言えば、あの武将の御仁も上総介とは変わった名だな」

「あれは名前じゃない、役職。……それも、また今度な」


 考え込んだ那岐と、采希から答えを受け取れなかった琉斗が黙り込む。

 やっと静かになった、と自分の考えに没頭しようとした采希の耳が、けたたましい足音を捉える。


「采希兄さん!!!」


 階段を駆け上がった榛冴が、采希たちの部屋に飛び込んで来た。


「……今度は何だよ」


 面倒くさそうに顔を向けると、転びそうになりながら榛冴は采希の足元で座り込んだ。


「凱斗兄さんが……さらわれた」

「「「……は?」」」


 榛冴から発せられた単語の意味が理解できず、采希たちは呆けたように固まる。

 意外にも真っ先に我に返ったのは琉斗だった。


「攫われ……? どういう事だ? 榛冴、状況を説明しろ」


 采希はあんぐりと開けた口をゆっくり閉じる。


(……何が、起こっているんだ?)

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