エピローグ

 大事な話があるとメールで呼び出した笹篠は、階段を上ってくるまでは笑顔だった。

 屋上へとつながる階段の最上踊り場。他人が活発に動き回る文化祭の最中でも死角になっている密会には最適の場所。

 到着した笹篠は俺の表情を見て何かを察したのか、笑顔を消した。


「あまりうれしい話ではないみたいね。少なくとも、私にとっては」

「それに対してどう答えても俺が傲慢と取られるなぁ」


 これからやることは変わらないんだけど。

 笹篠は屋上へ出る開閉禁止の扉に背中を預けた。


「おおよそは察したわ。筋を通すところ、好きよ」

「ありがとう。逃げ出したりしない笹篠のそういうところ、尊敬するよ」


 俺は笹篠をまっすぐに見つめる。


「ずっと待たせていた告白の返事がしたい」

「正直、聞きたくないところね」


 そう言いながら、笹篠は俺を見返した。

 続く言葉をはっきりと予想しているようだった。

 通じているからといっても、言葉を濁す真似はしない。


「ごめん。付き合えない。迅堂と付き合うことにした」


 笹篠は目を閉じて、沈黙した。

 校内の雑音が途端に膨れ上がったように感じる。

 沈黙の時間が過ぎて、笹篠はゆっくりと息を吐きだした。


「返事は分かったわ。でも、理由が分からない。それが分からない限り、私は何度でも過去に戻るわ」


 そう言って、笹篠はスマホをポケットから取り出して左右に振った。

 画面上に表示された『ラビット』が振られる画面の動きに合わせて左右にごろごろ転がって目を回す。

 すぐに過去に戻るつもりはないらしい。

 俺は春のテニス大会を思い出しながら、口を開く。


「春のテニス大会もそうだったけど、笹篠といると全力疾走になるよな」

「そうね。それがお互いの美徳だと思うわ」

「笹篠と目標に向かって全力で取り組むのは楽しいよ。笹篠の考え方や価値観にも共感してる」


 笹篠が柔らかく微笑んだ。

 釣られて、俺も笑う。

 お互いに美徳として認めあい、だからこそ惹かれている。その点について俺も異論はない。

 ――だからこそ、付き合えないと思うのだ。


「もしも、このまま付き合ったらまずは大学受験でお互いの志望校を教え合ってがむしゃらに勉強し合うんだろうな」


 笹篠が頷いた。俺同様、ありありと想像できるのだろう。


「多分、いくらでも上を目指そうとするわね。でも、それがどうかしたの?」


 何が問題なのかと、笹篠が不思議そうな顔をする。

 本来、問題にはならないはずだ。上昇志向は悪いことではない。

 無理をしない限りは、という注釈がつくけど。


「大学に行ってもその次の目標ができて、その次もって――多分、俺たちは付き合うとブレーキが壊れるんだよ」

「あぁ……」


 笹篠が小さく呟いて、天井を見上げて苦笑した。


「壊れる――いえ、壊れたわね」

「この文化祭ではっきりしたもんな」


 俺は笹篠の隣の壁に背中を預ける。


「俺たちのクラスの和風コスプレ喫茶、多分売り上げ一位だろ」

「当然ね。行列が絶えなかったもの。私と白杉が一緒に出ている時は特に」


 クラスの出し物である和風コスプレ喫茶は大成功を収めている。

 俺と笹篠がクラスメイトのブレーキまでぶっ壊して途中まで暴走していたから、他のクラスとは小物一つとっても完成度が違ったからだ。

 笹篠が苦笑したまま、呟く。


「……白杉が気付いて急ブレーキをかけたからどうにかなったけれど、あのまま暴走状態だったらどうなっていたかしらね」

「俺が最初にキャパオーバーで倒れて、文化祭実行委員の番匠や大野さんがしわ寄せで倒れるかな。先に笹篠が倒れる方が早いかもしれないけど」


 笹篠も同じ意見なのか、反論はなかった。

 俺は続ける。


「肩の力を抜くことを覚えないときっと将来、息切れするんだよ」


 受験勉強、大学受験、研究、就職活動、その先も。笹篠と一緒なら乗り越えられると言い切れない。

 必ずどこかで、どちらかが倒れる。

 全力を出すことがお互いを認める美点だからこそ、手を抜けない。手を抜けないから破綻してしまう。そういうジレンマを抱えているのが俺たちの関係なのだ。


 笹篠が俯いて首を横に振った。


「困ったことに反論できないのよね。指摘されて初めて想像したのに、未来で経験したかのように鮮明に思い描けるわ」


 未来人が言うと洒落にならない未来予想だ。

 苦笑に諦めを混ぜて、笹篠が俺を見た。


「何度も時間を繰り返して精神的にも成長して、代わりにだんだん鈍くなっているのを感じていたのよ」

「経験した事ばかりになっていくからだろ」


 未来人である以上、その人生経験は一般人よりもずっと多い。

 高校生という身分は変わらなくても、時間に余裕がある高校生だからこそいろいろな経験を積むことができる。

 その経験は、テニスや料理などの技能として表に出てくるものばかりではない。

 ましてや、俺たちは何度も親しい人間の死を経験して時間を繰り返してきた。ストレスに対しての耐性がかなりついているのだ。

 だが、経験を積んで大人になったわけでもない。

 むしろ――


「……白杉と一緒だと変わらずに楽しいのはきっと、ブレーキの壊れた子供だったからかしらね」

「だろうね。瞬発力が違うんだよ」


 持久力はないけど。

 だからずっと一緒にいるような間柄にはなれない。

 笹篠も同じ結論に落ち着いたらしく、深々とため息を吐き出した。


「……はぁ、参るなぁ。一緒に本気になれるからこそ好きになったのに、こうなるかぁ」


 笹篠は屋上に続く扉から反動をつけて背中を離し、階段の手すりに手をかけた。


「後夜祭は迅堂さんと回るのかしら?」

「そのつもり」

「分かった。クラスの方は私がまとめるわ。明日からも白杉が通えるように空気を作っておく」

「それはマジでお願いします!」


 笹篠の告白を断る時点で覚悟は決めてあるけど、針の筵はできれば回避したい。

 小さく笑った笹篠は階段を降りかけて、ふと脚を止めた。


「……ねぇ、これからも友達ではいられるわよね?」

「当然だろ。本気になれる友達だ」

「男女の友情は成り立たない派だったけど、宗旨替えするわ」

「ようこそ。これからもよろしく」

「こちらこそ、よろしくね」


 振り返らずに、笹篠は階段を下りていく。

 後を追いかける無粋はせず、俺は天井を見上げた。

 あるいは別の結末もあるのだろう。

 この世界線での俺たちが迎えた結末がこれだっただけで、あるいは二人で肩の力を抜くことを覚えて、休憩を挟みながら次の目標を見定めて、再び全力を出し合うような関係を築く世界線があるのかもしれない。

 俺がそれを見る機会はないけれど。



 後夜祭開始の校内放送を聞きながら、俺は迅堂が待つベンチへと歩く。


『ご主人! ごー主人! ラビットちゃんと文化祭の夜をしとやかに楽しみましょうよ! 青春に踊り狂う浮かれた高校生どもを眺めながら、落ち着き払って沈み込んだ空気で一人身を噛みしめましょうよ!』

「これから彼女と後夜祭デートだからまたの機会にな」

『んな!? ラビットちゃんというものがありながら二股ですか!? こんちくしょー! 画面の向こうからは干渉できないと思いやがって、ラビットちゃんをなめんじゃねーですよ! 青春に躍るご主人なんてラビットちゃんの手の平の上のダンサーですからね! ……マジでデートだったりします?』

「するよ。迅堂と付き合うことになったから」

『うへぁ。ラビットちゃんの生みの親の姉御様が沈み込んで深海魚ですよ! どうしてくれやがるんですか、この空気!?』

「深海に空気はないな」

『浮袋があるんですよ! いや、マジで付き合うんですか? いつ松瀬本家に挨拶に来るんですか? いろいろと叩きこまないといけない作法があるって姉御が張り切ってますけど?』

「浮き沈み激しいな、おい」


 やる気が陸に上げられた深海魚並みに膨らんでるじゃねぇか。


「松瀬本家に連れて行くとしたら、来年かな」

『嫁いびりは任せろー! 姉御がご主人のクラスを訪ねるらしいですぜ。百合に走る気はないと断っておく、との伝言ですぜ』

「そこは心配していないと伝えておいて」


 スマホの電源を落として『ラビット』を介した海空姉さんとの通話を打ち切る。

 ベンチに座っている迅堂が見えてくる。俺に気付いたらしく、迅堂は立ち上がって手を振ってきた。

 小さく手を振り返して、迅堂に声をかける。


「お待たせ」

「いま来たところですよ!」

「ドヤ顔で言っても、別れたのここなんだから嘘だってバレるぞ」


 校内で買った温かいお茶のペットボトルを迅堂に渡す。秋とはいえこの時間の外は冷える。

 ペットボトルを受け取った迅堂は両手で包んで暖を取りつつ、校庭の方を見た。

 後夜祭の開始と同時に始まった軽音楽部の演奏がここにも届いてくる。


「先輩が戻ってくるまでの暇つぶしにスマホでバイトの検索をしていたんですけど、遊園地バイトとか興味ないですか? バイト代とは別に割引券をもらえるらしいんですよ。デートにちょうど良くないですか?」

「遊園地バイトか。どの辺?」


 音楽に誘われて校庭へと歩き出しながら、迅堂と一緒にスマホを覗き込む。

 アトラクションをめぐって感想や評価を行うモニターバイトらしく、時給は悪いが面白そうだ。

 というか、デートまでバイトにする気か、こいつ。


「面白そうだし、二人で応募するか」

「カップルでの応募なら時給アップらしいです」

「お、本当だ。面接で言えば良いのか」


 二人揃ってネットを介してバイトに応募する。

 スマホをポケットに入れた迅堂が俺の手を取った。


「未来の話は終わりです。後夜祭デートを楽しみに行きましょう!」


 校庭を照らす光と軽音楽部の演奏と祭りを楽しむ生徒の喧騒へ、俺たちは手を繋いで飛び込んで――今を生きることにした。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

これにて完結です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


書籍版もよろしくお願いします!

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あなたを救いに未来から来たと言うヒロインは三人目ですけど? 氷純 @hisumi

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