第26話 交渉

 遊園地の入り口に停まった二台の乗用車から、本家のお手伝いさんが降りてくる。

 一礼したお手伝いさん二人はそれぞれの乗用車の後部ドアを開いた。

 俺は明華と春を見る。


「詳しいことは追って話す。楽しんでいたのにごめん」

「私たちのことは良いわよ。それより、松瀬さんが目を覚ましたらお見舞いに行くから、連絡を頂戴ね」

「そうですよ。正直、一緒についていきたいくらいですけど……」

「悪いな。海空姉さんが俺一人に交渉を任せるというくらいだから、何か考えがあるはずなんだ」


 納得がいかなそうな明華と春に乗車してもらい、俺は運転手であるお手伝いさんに頭を下げる。


「よろしくお願いします」

「かしこまりました。お嬢様から、巴様の指示に従うようにと言われています。お二人を送り届けたら、本家に戻ります」


 お手伝いさんが車に乗り込み、発車する。

 明華と春を見送った俺はもう一台の車に乗り込んだ。

 後部座席を閉めたお手伝いさんが運転席に乗り込む。


「それでは、本家に参ります」

「お願いします。道中、海空姉さんが倒れるまでの話をお願いします」

「かしこまりました。お嬢様は午後七時からの出来事を話すようにとおっしゃっておりました」


 この状況を見越して、説明の時間まで指定してあるのか。

 間違いない。海空姉さんはこの状況を意図的に導いている。

 お手伝いさんから得られた情報はさほど多くなかった。


 午後七時、海空姉さんはお手伝いさんを集めて自分に何かがあった時には俺の指示に従うようにと伝言を残し、いくつかの指示を出した後、本家の采配を一時的に竹池のおじさんに委譲した。

 突然の海空姉さんの行動にお手伝いさんはもちろんのこと、旅館の再建計画の話し合いに訪れていた竹池のおじさんを含む親族は面食らい、反対した。

 しかし、海空姉さんは珍しく強権的に話を進め、自室に戻った。


 午後七時半、本家に床次刑事を名乗る二人組の男が訪ねてくる。

 海空姉さんへの面会を求めた二人に、海空姉さんは客間で応対した。その際、お手伝いさんや竹池のおじさんを同席させなかった。

 おそらく、『ラビット』の情報を他の者に与えて巻き添えにしないようにとの考えだろう。


 俺が電話を受ける八時二十分、客間の外に控えていたお手伝いさんに床次刑事が声をかけた。


『松瀬海空さんが客間で昏倒した。白杉巴さんを呼んで欲しい』


 海空姉さんからも事前に、海空姉さんが倒れ次第俺を呼ぶようにとの指示があったため、本家の者は迅速に動いた。


「――以上が、本家で起こったことです」

「……なるほど。ありがとうございます」


 本来、床次刑事に会うのは危険だ。殺される可能性すらある。

 しかし、お手伝いさんの話や海空姉さんの動き、伝言を踏まえて考えると事情が今までの世界線とは異なっている。

 おそらく、海空姉さんは床次刑事と何らかの交渉を行った。その結果、昏倒――チェシャ猫が発動することも織り込み済みで、俺を本家に呼んで後を引き継がせようとしている。


 車を運転するお手伝いさんが険しい顔をしている。

 海空姉さんは親族だけでなくお手伝いさんからも慕われている。昏倒した海空姉さんのことを心配すると同時に、情報を握っている俺から話を聞きたいのだろう。


「巴様は、何が起きているのかをご存じなのでしょうか? これは、春の事件や夏の事件と関係があるのでしょうか?」

「すべてを正確に把握しているわけではありません。ただ、海空姉さんが何も言わなかった理由はわかりますし、その理由は現在も生きています。よって、詳細は話せません」

「……巴様がお嬢様の右腕であることは承知しております。ですが、まだ学生の身。手に余る事態ではないのですか?」

「心配はごもっともです。ですが、話せません」


 きっぱりと言い切ると、お手伝いさんは珍しく不満をあらわにしたが、何も言わなかった。

 松瀬本家に到着すると、竹池家だけでなく斎田家や塚田家など、親族が一堂に会していた。

 やや殺気立っている親族一同を代表するように、白杉家現当主、俺の父が進み出る。


「巴、状況を説明しなさい」


 まぁ、こうなるよな。

 俺は背筋を伸ばし堂々と答える。


「本家案件です。本件は松瀬現当主海空より、私に一任された専任事項です」

「竹池!」


 声をかけられて、竹池のおじさんが前に出る。鬼の形相、とはこのことを言うのだろう。


「白杉巴、私は現当主海空より本家の采配を一時的に預かっている。これは証人もいる。情報の開示を命じる」

「専任事項です。現状では開示できません」

「……どうなってんだよ。まったく」


 竹池のおじさんが頭を掻いて舌打ちする。

 不安なのも分かるが、おそらくは松瀬の親族全体にかかわる話にはならない。

 俺は親戚一同を見回して、竹池のおじさんに声をかける。


「来客は客間に?」

「あぁ。何の話をしているのかは知らんが、後で話してくれよ」

「話せる状況になれば、話します」


 ここまで車を運転してくれたお手伝いさんと共に本家の玄関から上がる。

 床次刑事がいる客間はすぐに分かった。客間の前にお手伝いさんが立っている。

 俺を見たお手伝いさんが一礼した。


「お嬢様のお言いつけ通り、ここにずっと立っておりました。出入りした者はおりません」

「分かりました」


 俺は大きく息を吸って、細く吐き出す。

 覚悟を決めて、ふすまを開けた。


 座卓の片側で座布団に座った床次刑事ともう一人、スーツの男がいる。

 俺を見た二人はすっと音もなく立ち上がり、目礼した。

 俺も礼を返し、床次刑事たちの対面に腰を下ろす。

 横目でふすまが締まったのを確認し、俺は床次刑事たちを見た。


「白杉巴です。松瀬海空の又従弟にあたります」


 おそらく必要ないだろうが、一応の礼儀として自己紹介をする。

 床次刑事たちは警察手帳を出さなかった。


「床次と申します。こちらの男は権堂。私の部下です」


 刑事を名乗らない。

 遊園地での人払いや本家への強盗など、明らかに刑事の権限で出来ることではないから怪しんでいたけど……。

 床次さんが座卓の上に一枚の封筒を置いた。


「松瀬海空さんから、あなた宛ての封書を預かっています」


 巴へ、と書かれた封筒を見る。確かに、海空姉さんの字だ。


「主な協議内容もその中に書かれているとのことですので、まずは手紙をご覧になってください」


 床次さんに促され、俺は封筒を開けた。

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