第25話 狩られた兎
銃弾が飛んでくることもなく、俺は道の端に立ち尽くしていた。
空を見る。曇り空ではあるが、所々に青い空が見えた。
スマホを取り出して時間を確認する。
二十六日の午後。
遊園地のイルミネーションを見に行くために春を迎えに行く途中だ。
「……頭の整理が追い付かないな」
おそらく、床次刑事の仲間が松瀬本家を襲撃し、海空姉さんが俺の『ラビット』を遠隔操作して過去に飛ばした。
床次刑事は兎狩りで確定。
松瀬本家が直接狙われたのは、明華と春、そして俺がラブコメをやっていたため未来人と判断できず、海空姉さんに標的が移ったのか?
明華と春の自殺が海空姉さんが襲われるフラグだと思っていたが、どうやら違うらしい。
兎狩りは現段階で、俺と俺の周辺に『ラビット』の所有者がいると確信し、嗅ぎまわっている。
ただ、前の世界線で明華と春が松瀬本家への強盗を観測したうえで同時に戻ってきたのが気になる。
二人が情報を持ち帰って戻ってきた以上、二人が無事なまま松瀬本家への強盗事件が発生する世界線があるはずだ。
ということは、兎狩りは俺や俺の周辺に『ラビット』の所有者がいると確信しつつも、それが誰かを特定していない。
ラブコメ作戦で明華と春の安全を確保する目的は達成可能なのだ。松瀬本家への強盗を防ぐ手立てがあれば、未来は繋がる。
「向こうが動くとすれば夜だな」
この時期の松瀬本家は忘年会の準備で親族の出入りが激しい。
今までの世界線でも、誰が襲われるにしろ人気のない時間や場所だった。床次刑事たちが人に見られたくないのは確かだ。
とにかく、海空姉さんに差し迫った危機を伝えるべきだろう。
俺はスマホを取り出し、海空姉さんのスマホに直接連絡する。
一回目のコール音の途中で、海空姉さんが通話に応答した。待ち受けていたようなタイミングだ。
「やぁ、巴。作戦は順調かな?」
「ラブコメ作戦なら順調だよ」
「それは重畳。それで、どうかしたのかい?」
強盗の件を直接話してしまうとチェシャ猫が発動しかねない。
言葉を選ぶ。
「この作戦、笹篠と迅堂の安全を確保できるけど、海空姉さんを襲撃される可能性を潰しきれてないと思って」
そう切り出すと、海空姉さんは楽しそうに笑った。
『ボクともラブコメをする気かい? やぶさかではないよ』
「じゃあ、一緒にイルミネーションを――」
『悪いけど、忘年会の準備の指揮監督はボクの仕事だ。イルミネーションを見た後に三人でおいで』
「いやちょっと待って、襲撃の回避を――」
『巴、家にいて襲撃されるのなら、外に出ても同じことだよ。まぁ、心配性の巴を安心させるために手は打っておこう。任せたまえよ。ボクは巴の頼れるお姉さんなんだぜ? ということで、お互いのすべきことを頑張ろう』
一方的に海空姉さんが通話を切った。
迅堂家へと歩き出す。
「外に出ても同じこと、か」
海空姉さんの言葉が引っかかる。
考えてみれば、前の世界線で明華と春は同時に戻ってきた。
俺がこの世界線にロールバックしたのは、海空姉さんの手によるものだ。
だとすれば、俺がロールバックする際、海空姉さんも同時に戻ってきた可能性がある。
そのうえで、外に出ても同じだった世界線からも戻ってきたのなら……。
考えてみれば、床次刑事たちが松瀬本家へ押し入る以上、『ラビット』のサーバーは奪取される。すなわち、海空姉さんが制作者だとバレる。
松瀬本家襲撃時に海空姉さんが現場にいなかった場合、一日程度の延命はできるかもしれないが、結局は同じ結果になる。
サーバーそのものを隠すしかない。
海空姉さんが俺と同時に戻ってきたのなら、サーバーを隠す時間が一分一秒でも惜しいはずだ。
海空姉さんは「手は打っておく」と言っていた。
サーバーを隠す以外にも、何か対応策は用意しているのだろう。
「心配だなぁ……」
希望的観測の羅列でしかない。
しかも、明華と春を連れて松瀬本家に行くのも難しい。
床次刑事たちと正面から事を構えたら、チェシャ猫を受けて俺以外は全滅してしまう。残った俺も銃殺が待っている。
海空姉さんの邪魔にならないよう、明華と春の安全を確保しておくしか俺に出来る役割がない。手伝えることがあれば、海空姉さんが言うだろうし。
海空姉さんが言っていた通り、お互いのすべきことを頑張るしかない。
俺は迅堂家、笹篠家と回って二人と合流し、前の世界線の動きをなぞるように遊園地に向かった。
入場チケットを購入して中に入り、こみ具合を観察する振りをして周囲を見回す。
床次刑事やその仲間らしき人影は見当たらない。
俺や明華、春が松瀬本家への強盗を食い止めようと動かない限り、手を出してこないと思うんだけど。
床次刑事が未来人である以上、松瀬本家への襲撃を失敗した世界線から戻って来ていたら俺たちにもマークがついているはず。
相手の持っている情報が分からないからすごく不安だ。
「巴先輩、なんでそんなにそわそわしてるんですか?」
不思議そうな春に声をかけられて、答えに窮する。
「いや、遊園地なんて久々だから」
体感的には二時間ぶりくらいだけど。
明華が俺の右手を握った。
「イルミネーションの効果もあるだろうけど、雰囲気が違うわよね。のんびり見て回って楽しみましょうよ」
「笹篠先輩! さりげなく手を握らないでください! まったく、巴先輩、左手をください」
「取り外しはできないよ」
「そんな猟奇的なことを考えてませんよ!?」
ツッコミを入れながら春が俺の左手を握る。
左右の手を繋いでいると歩きにくい。
「観覧車に行こうか。絶対に混むだろうし、時間がある今のうちにさ」
前回の世界線のことがあるのでお化け屋敷は避けたい。そんな思いで二人を誘う。
「高いところから混雑の具合を見ておくのもいいわね」
「カップルを見下ろす優越感に浸りたいですもんね」
「こらこら」
観覧車なら外部からの接触はないし、混み具合から言って前後の籠にも人が乗っているから人払いはできない。
他のアトラクションをどう回るかを組み立てる時間も稼げる。
二人と一緒に観覧車に向かう。観覧車からの眺めを最後の楽しみに取っておくカップル客が多いのか、イルミネーションが始まったばかりの今はまだ空いていた。
籠に乗り込む。
「あのさ、偏り過ぎじゃない?」
俺が座った側に明華と春が座ってくる。
まぁ、予想はしていたんだけど。
「俺は向こう側に移るから、二人はこっち側に座っててくれ」
「くっ……本当に迅堂さんは邪魔ね」
「ちっ……笹篠先輩は邪魔ですね」
「たかが座席で囚人のジレンマみたいにならないでくれよ」
ゆっくりと観覧車が回転し、見渡せる範囲が広がっていく。
窓際から遊園地を見下ろす。
「綺麗ね」
「反対側もいい感じですよ。キャラものとかもあります」
敷地を区分けしてテーマごとにイルミネーションで飾っているらしく、降り積もる雪に見立てたものやアニメキャラクターなど、さまざまな造形がある。
大がかりな仕掛けで花火のように電飾を輝かせたり動かしているちょっとしたアトラクションもあった。
ゆっくり見て回れたらどんなに楽しいだろう。
そう思ったのも束の間、俺のスマホが着信を告げた。
「悪い、ちょっと電話」
「ムード違反です。これはペナルティですね」
「迅堂さん、ペナルティ内容を決めましょう」
「お手柔らかにお願いします」
この二人なら互いに監視し合って無茶なことは言い出さないだろうけど。
スマホを取り出して、画面に表示されている電話の相手を見る。
竹池のおじさんだった。
俺に直接電話をかけてくるのは珍しいどころか初めてだ。今は松瀬本家にいるはず。
嫌な予感しかしない。
「もしもし、白杉巴です」
『――巴君か。今すぐに本家に来てくれ。どこにいる? 車を回す』
「遊園地でイルミネーションを見てますけど。どうかしたんですか?」
松瀬本家が強盗に入られたのなら、悠長に電話なんてしていられないはず。
それでも、竹池のおじさんの焦ったような声に問題発生の臭いを感じて、詳細を訊ねる。
竹池のおじさんは電話の向こうでお手伝いさんに車を出すように指示を飛ばした後、電話口に戻ってきた。
『落ち着いて聞いてくれ。接客中にお嬢様が倒れた』
「海空姉さんが?」
このタイミングで倒れたって――チェシャ猫か!
手を打つと言っていたが、失敗したのか?
だとすると、この観覧車の下には――
『倒れる前にお嬢様が伝言を残した。巴を呼べ。代わりに接客させろ。そう言っていた』
「……なんだ、それ。倒れることが分かってたみたいじゃないか」
どうなってる?
混乱する俺に、俺よりもなお情報不足の竹池のおじさんも困惑気味に続けた。
『お嬢様が接客していた相手は国の人間らしい。床次というそうだが、聞き覚えはあるか?』
床次刑事が本家にいる?
それも、強盗ではなく来客として?
「……その床次さんはなんて言ってるんですか?」
『巴君が来るのを待つそうだ。いま、本家に親族連中を集めているが、お嬢様からは接客は巴君にだけ任せるようにと』
床次刑事が俺を待っている?
……海空姉さんが何か交渉をしたのか?
だが、倒れたなら交渉は決裂している?
でも、交渉が決裂しているのなら、自分が倒れることを念頭に置いた俺の呼び出しは考えにくい。
何が起きてるんだ、これ。
「……分かりました。遊園地に車を二台回してください。友人を家に送り届けてほしいので」
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