第7話 水族館デート

「クラゲのイルミネーション開始までまだ時間があるな」


 他の魚を見て時間を潰すとしても、暇を持て余しそうだ。


「焼き肉の後だし、ちょっと散歩しましょうか」

「そうだな」


 笹篠の提案に乗って、駅から目的も定めず散策を始める。

 冬の冷たい風を避けようとすると、どうしても人通りが多い場所に逃げ込みたくなる。

 小さな公園を見つけて、俺は笹篠の腕を引いて中に入った。


「笹篠、今のうちにクリスマスプレゼントを渡しておくよ」

「えっ? 用意してたの?」

「昨日も持ってたんだけど、渡すタイミングがなくてさ」


 鞄からクリスマスプレゼントを取り出す。簡単ながら包装もしてあるけど、小さなものだからいま渡しても邪魔にはならないだろう。


「中身はハンドクリーム。悩んだけど、消え物が良いかと思って」


 俺がクリスマスプレゼントを持ってきているのがよほど意外だったのか、笹篠は俺から受け取った小さな袋を目の前に掲げてしばし見つめる。


「ありがとう。でも、私が用意したプレゼントはここに持ってきていないのよ。白杉なら家まで送ってくれるから、その時に渡そうと思ってて……」

「用意してくれてたんだ。ありがとう」

「まだ渡してないから、お礼は取っておいて」


 笹篠ははにかむように笑って、クリスマスプレゼントをカバンに入れた。


「消えない思い出の品はこれから行く水族館で一緒に選びましょう」


 ふと何かに気付いたように、笹篠が俺のカバンを見た。


「もしかして、迅堂さんや松瀬さんにも渡すの?」

「その予定だよ。迅堂に今日渡すのは無理かもしれないけど」


 これからクラゲを見て帰るから迅堂に会いに行くとしても夜になる。クリスマスの夜の家族団らんにお邪魔するのははばかられるから、明日に渡したい。

 海空姉さんに関しては今日の帰りに忘年会の準備の手伝いに訪ねるから、その時に渡す。

 笹篠がスマホを取り出した。


「迅堂さんに、私が白杉を独占しちゃってごめんって煽りメールを送っておこうっと」

「やめなさい」

「この優越感を知らしめたいわ。ついでにクリスマスプレゼントを用意しておくようにも助言しておかないと」

「意地悪なのか、親切なのか」


 半々だろうけど。


「それにしても、仲のいい女の子全員にクリスマスプレゼントなんて送るから二股とか三股とか言われるんだと思うわよ?」

「自分でもそう思う。でも、今年は何かと世話になったからこういった形でも返しておかないと」


 三人がいなかったら、俺は今年中に命を落としていたわけでして。

 笹篠が得意そうな顔をする。


「そうね! 私がいなかったら、白杉は春にトラック事故で死んじゃうし……なぜか自力で回避してたけど。トラックを避けても旅館関係で通り魔に刺されるし……なぜか先に旅館の不正を暴いていたけど――あれ?」


 いまさら気付かないでくれませんかね!?


「事前に笹篠から死因を聞けていたから先手を打てたんだもんな。本当、感謝してるよ」

「あ、そうよね! 私の情報があったからうまく立ち回れたわけよね」


 チェシャ猫が寸前まで迫っていたけれど、笹篠をうまく誘導して回避。

 今年は笹篠や迅堂をチェシャ猫の魔の手から守る一年だったな。

 ……俺も労ってもらっていいのでは?


「せっかくだから、ハンドクリームを塗ってくるわ。これから冷えて乾燥してくるだろうし」


 笹篠が立ち上がる。

 俺はスマホで近場の喫茶店を検索した。ちょうどいい店がないので、公園から見えているファミレスを指さす。


「気温が下がって冷えてきたし、ファミレスに行こう」


 笹篠と並んで公園を出てファミレスに向かう。

 クリスマスだけあってやや混雑した店内だけど、長居をするつもりはないので気にしないことにする。多分、この店の客の何割かは俺たち同様にクラゲを見に行くのだろう。

 トイレに行く笹篠を見送って頼まれていた注文を店員さんに通す。コーヒーとティラミスを二つずつ。

 笹篠が戻ってくるまで暇だなと窓の外を見る。陽が落ち始め、わずかながら雪がちらついていた。


「……うん?」


 ポケットの中で振動を感じて、俺はスマホを取り出す。海空姉さんから電話がかかってきていた。


「もしもし?」

『やぁ、巴の頼れるお姉さん、海空だよ。忘年会で大人連中に振舞うお酒の予約をしてきてほしいんだ。頼めるかい? というか、いま何所だい?』

「笹篠と水族館に行くところ。遅くなると思うから、別の人に頼んでくれる?」


 海空姉さんが驚いて息をのんだ気配。沈黙が帰ってくる。


『ク、クリスマスデート……? そんなリア充イベントに手を出したのかい……? イカロスの教訓から何も学ばなかったのかい?』

「電飾で蝋の翼が溶けてたまるか! そもそも、クラゲのイルミネーションだから熱も持たないよ」

『聖夜に浮かれる君にはふわふわクラゲがお似合いだ!』

「罵倒なの、それ!?」


 海空姉さんはスマホの向こうでため息を一つ。


『そんなにクラゲが見たいなら、うちの空いている水槽に乾燥キクラゲを入れて輝かせてあげるのに』

「キクラゲはキノコなんだから暗いところでそっとしてあげろよ」


 なんで明るいところに引っ張り出すの?


『まったく、ボクを誘いもせずにクリスマスデートとはね。いいご身分じゃないか。今夜うちに来るように』

「どのみち、クリスマスプレゼントを持っていくつもりだったよ」

『……笹篠さんとのデート帰りにプレゼントでボクを懐柔しようというのか。巴の将来が心配だからボクの手元に置いておかないといけないね。縄だと痕が残るから、手錠がいいかな?』

「怖っ!?」

『とりあえず、楽しんでおいで。ボクは迅堂ちゃんに密告して共同戦線を張る重要な任務ができたから。また後でね』


 そう言って、海空姉さんは通話を切った。

 笹篠が戻ってくるのと、注文したコーヒーとティラミスがやってくるのは同時だった。


「席に戻る間にクラゲの話をしているテーブルがいくつかあったわ」

「混みそうだね。早めに水族館に行ってチケットを買った方がいいか」

「賛成。食べ終えたらすぐに行きましょう」


 焼肉屋でクラス会をしていたとはいえ途中で抜けてきたのもあってそんなに食べていない。ティラミスくらいはあっさりとお腹に収まった。

 会計を済ませて店を出た瞬間、スマホが着信を告げる。

 今度は何だ。


「迅堂からか」

「出てあげなさいよ。私が隣にいることもちゃんと告げなさい」

「多分、知ってると思うけどね」


 このタイミングで電話をかけてきたってことは、マジで海空姉さんが密告したんだろう。


「もしもし――」

『先輩、聞きましたよ! 明日は私と一緒に過ごしてもらいます。明日の夕方に駅前の本屋で待ち合わせして、遊園地のイルミネーションを見に行きましょう! おしゃれしてください! 和装の方が好きです!』


 俺の返事も聞かずに一方的に予定を入れてきた迅堂は、そのままの勢いで通話を切った。

 怒ってるのか? 声の調子はいつも通りだったけど。


「迅堂さん、多分私に気を使って素早く切ったわね。明日、私に仕返しされないように保険をかけたのよ」

「凄い分析力」

「私が迅堂さんなら同じことをするもの」


 未来人同士で通じ合うところでもあるんですかね。

 水族館に近づくにつれて人も増え、カップルが多くなる。俺たちもカップルと見られているのは重々承知しつつも、カップル割り引きは利用せずに高校生料金で入る。


「カップル割にすればいいじゃない」

「嘘をつくのは嫌だ」

「律儀よね」


 そう言いながらも笹篠は文句も言わずに高校生料金を払っている。


「私も嘘をつくのは苦手なのよね。気持ちよくデートしたいわ」

「なんか、みんなデートってことにしたがるよね」


 いや、煮え切らない俺が悪いんだと思うけどさ。全員断ってるんだよ、これでも。


「早速クラゲを見るわよ。ジェリーフィッシュとか呼ばれつつ輝くこともできなかった半透明生物が強制的にスポットライトを浴びる様子を観察するの」

「そこはかとなくS気が入ってない?」

「こっちね」


 俺の袖の先を掴んだ笹篠が軽い足取りでクラゲの水槽に向かう。

 大きな水槽の前には人だかりができていた。漂うクラゲを照らす色とりどりの光は静かなBGMも相まってのんびり眺め続けていたくなる。

 意外と活発に動くクラゲを眺めていると、笹篠がちらちらと俺を見ているのに気がついた。


「……クラゲほど面白い顔はしてないと思うんだけど?」

「ち、ちがうわよ。なんていうか、ほら、クリスマスじゃない」

「そうだね」

「だからよ」

「……分からないんだけど?」


 要領を得ない。

 笹篠はもじもじしつつ、気恥ずかしさをこらえるような顔をしている。

 助け舟を出したいけど、何を求めているのかさっぱり分からない。


「四月から、もう一年近くの付き合いでしょ。中学時代はそんなに仲良くはなかったけど、いまはクラスの女子より白杉の方が仲がいいくらいだし」

「俺もクラスの男子より笹篠と話している時間の方が長いな」


 それも圧倒的に。迅堂と同率二位だと思う。一位は幼馴染である海空姉さんだけど。


「で、でさ! 友達は私のことを明華って呼ぶわけ。それに、貴唯ちゃんからも明華姉さんって呼ばれるようになるでしょ? なのに、白杉はいまだに苗字呼びなのってバランスがさ。分かるでしょ?」

「あ、あぁ、はい」


 記念日的な意味のクリスマスだし関係を一歩進めるためにも名前で呼び合う的なことを言いたいのか。

 意図に気付くと同時に頬が熱を持った気がして慌てて顔を背ける。

 ……笹篠の照れと気恥ずかしさが伝播してくるんですけど。


「えっと、分かった」

「分かってくれた?」

「分かった。ただ……明華、ちょっと甘酸っぱい空気出し過ぎたからさ、視線がさ……」

「――お土産を見に行くわよ……巴」


 半笑いのお兄さんお姉さんに小さく拍手で見送られて、俺と笹篠――明華はクラゲ水槽前を離れるのだった。

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