第三章 シュレーディンガーのチェシャ猫たち

第1話 クリスマスイブ前日!

「白杉、デートをするわよ」

「先輩、デートしますよ!」


 ざわめく教室、修羅場を楽しむ好機の視線、クリスマスイブを明日に控えた冬だというのにうららかな午後の日差し。

 もはやこの程度の修羅場もどきに動じなくなった白杉巴こと、彼女なしの俺。


「笹篠先輩、なんで放課後の今になってデートに誘おうとしてるんですか? 今日一日、先輩から誘ってもらえるんじゃないかってドキドキ悶々していたのが丸わかりですよ。そこにこの迅堂春がやってきたからタイムアップだと思って慌てていまさらデートに誘ったでしょ?」

「ぐっ……」


 早速図星を突かれたらしい笹篠が怯む。

 そっか。俺から誘うのを待っていたのか。勉強を教えてもらったりしてお世話になってるからお礼に出かけるのもいいな。……今更だけど。

 迅堂が胸を張る。


「相手の行動待ちなんてダサいですね。時間は有意義に使うべきですよ」

「何を偉そうに」

「偉いですし。時間には一家言ありますからね。なんて言ったって未ら――」

「二人とも、俺はこの時期、本家の忘年会の準備とかがあるからなかなか時間を取れないよ」


 未来人カミングアウトをかまそうとした迅堂を遮って、自分の都合を表明。

 松瀬親族は横のつながりが強く、忘年会は毎年の恒例行事だ。一族の長だけでなく総出で行われる忘年会は準備も忙しくなる。

 大掃除もあるしな。


「そうよ。白杉が忙しいって私はもう知って――」

「クリスマスにはクラスでの忘年会があるけど、笹篠も参加するんだろ? 迅堂の方は何かあるのか?」


 本当にもう、この子たちはもう、手がかかるんだからもう……。


「クラス全体での打ち上げみたいなのはないですね。友達とちょっとお出かけくらいです。だからイブは空いているわけですよ、先輩!」

「私も空いてるわよ」


 ぐいぐい来る二人の勢いに気圧されつつ、両手を上げて二人を落ち着かせる。


「ハイハイ、二人とも落ち着いて」


 笹篠と迅堂がにらみ合う。落ち着けって。


「このままだとなぁなぁで終わっちゃいますね。勝負といきましょう、先輩」

「いいわよ。どんな勝負にする?」


 どんな勝負でも受けて立つと、笹篠は不敵に笑う。そりゃそうだ。どんな勝負でも未来人の自分に敗北はないと思ってるんだろうから。

 同時に、迅堂も罠にかかった獲物を見るような目で笹篠を見る。そりゃそうだ。どんな勝負でも以下略。

 この一年、君たちはそうやって何度引き分けになってきたのかな。もう数えきれないや。


「思えば、いろいろありましたね。ラテアート勝負に始まり、お弁当合戦……」

「白杉の似顔絵対決もあったわね」


 美術部顧問が殴り込んできたアレな。その後、来客用出入り口に張り出されて俺の公開処刑に繋がった。


「先輩の関係者と身の回りの物縛りのしりとりもありました」


 背筋が寒くなったぞ、あのストーカーしりとり。未来から情報を得て帰ってくるから一時間経っても終わらなかったし。

 あれ、この二人の勝負の敗者っていつも俺じゃね?


「ふふっ、認めてあげるわ。迅堂さんがライバルだってね」

「仕方がないのでこちらも認めますよ。笹篠先輩が最大の障害だと」


 なんか盛り上がってる。


「肝心の勝負内容はクリスマスデートを賭けるということで――ケーキ作りです!」

「そう来ると思って、調理室は押さえてあるわ。スポンジも用意してあるから、デコレーション勝負にしましょう」

「準備がいいですね。まるで未来を見てきたかのようです」


 見てきてるんだよ。


「場所を移すわ。白杉、裁定をお願いね」

「慈悲はありません。イチゴ抜きショートケーキ並みのあじけないクリスマスを送ってもらいますよ」

「いい度胸じゃない。スポンジ並の柔らかな覚悟だと思っていたけど、デコレーションの板チョコ並みには硬そうね。ポキッと折ってあげる」


 妙に甘そうな売り言葉に買い言葉だな。

 裁定役の俺が二人の作るケーキのカロリーという暴力に殴られるべく調理場に向かっていると、スマホが着信を知らせた。

 これ幸いと通話に出ると、我が頼りになるお姉さんこと海空姉さんの声が聞こえてくる。


『巴、もう放課後だろう? 校舎裏に車を回してあるから乗り込んでおくれ。忘年会の準備だ。忙しくなるから、覚悟するように。例によって貴唯は逃げ出した』

「ありがとう。今すぐ行くよ」

『……ありがとう?』


 不思議そうな海空姉さんとの通話を切り、俺は先行する二人に声をかける。


「用事が入ったから、俺は本家に行くよ。というわけで、今日はお開き。互いに手の内を見せないようにケーキ対決は明日に持ち越しってことで。それじゃ、またね」

「えっ!? 先輩、ここで放置はないですよ! でも、また明日!」

「はぁ、やっぱりラスボスは松瀬さんね。今から帰って迅堂さんを泣かすケーキを作らないと」

「では、迅堂春は泣く子も黙るケーキを作ってやりますよ」


 変なもの入れないでね?

 笹篠と迅堂の二人と別れた俺は、カバンを担いで高校の裏門に向かう。

 自転車置き場でマイチャリの鍵を外していたクラスメイトの番匠が俺を見つけて声をかけてきた。


「白杉、もうケーキ対決は終わったのか?」

「用事があるから抜け出してきた。本家の手伝いでさ」

「お前っていつも忙しそうだよな。八割くらいは女関係なのが腹立つけど」

「こう見えて、日常的に命のやり取りしてるんだけどな」

「ははっ、クリスマスに刺されるなよ。クラス会も来いよな」


 笑い事じゃないんですけどね?

 裏門に停まっている松瀬家の車に乗り込んで、一息つく。


「本家には今、何人くらい来てます?」


 運転をしているお手伝いさんに声をかけると、すぐに返事があった。


「現在、五名です。白杉さんを入れて六名ですね。力仕事をお願いします」

「分かりました。去年、長机の端の方が欠けましたけど修理は?」

「すでに修理を終えていると業者から連絡がありました。今日の午後には届くとのことなので、そろそろ着いているかと」


 なら、最初はその机の配置からか。


 松瀬本家に到着すると、俺はさっそく到着したばかりの長机を宴会場に運び込む。

 男性陣、女性陣、子供たちで主に三つの会場に分けるため、お手伝いさんも各自が設営に回っている。

 毎年のことなので机の配置などは頭に入っている。てきぱきと働いていると、音もなく海空姉さんが姿を現した。


 凛とした立ち姿にお手伝いさんがしばし手を止めて魅入る。海空姉さんは気にした様子もなくすっと部屋に入ると、設営状況を検分していくつかの指示を矢継ぎ早に出していく。

 海空姉さんにとっても忘年会の準備の指揮監督は慣れたものだ。


「巴、明日の予定は空けてあるようだね」


 ほぼ断定口調なのは海空姉さんも未来から帰ってきているからだな。


「塚田のケーキ屋のバイトが熱を出して急遽人手が必要になった。明日、手伝ってくれるかい?」

「了解。先方にはこちらで連絡しておく。となると、子供組の会場設営だけでも終わらせたいね」

「日程に余裕はあるけれど、今年は宮納の件や斎田の件でトラブル続きだったから盛大にやりたい」


 刑事事件が二件も出てくる年なんてまずないもんな。厄落としも兼ねて盛大に忘年会をやりたいというのは同感だ。


「みんな、巴はボクが直接動かすから、頼み事は厳禁だよ」


 手伝いに来ている全員に宣言してから、海空姉さんが俺を手招く。

 部屋を出ると、お嬢様モードのまま海空姉さんは俺に向き直って囁いてくる。


「巴、ケーキバイトで上手いことチーズケーキを残すんだ。余りがもらえる手はずになっているから」

「……俺、真面目にバイトしてくるから残す気はないよ」


 目指せ完売。


「残らないなら巴が買ってくるんだよ」

「この忙しい時期に俺を出す理由はそれか……」

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