第29話 丑の刻参りの女
「犯人が分かった?」
旅館に行った迅堂が何でそんな証拠を掴めるんだ?
陸奥さんが何か情報を握っていた?
不思議に思ったのもつかの間、スマホの電話口から聞こえる荒い息に気付いて、俺は迅堂に声をかける。
「迅堂、なんで息が乱れてるんだ?」
『現在、犯人と追いかけっこの最中です!』
「――は?」
俺はすぐに腰を浮かせ、笹篠に声をかける。
「緊急事態だ。武器になりそうなものを持って旅館へ走るぞ!」
「いきなり!?」
驚きながらも、笹篠はすぐに立ち上がった。事件が起きる可能性を念頭に置いていただけあって反応が早い。
笹篠は壁に立てかけてあった箒を俺に投げ渡してきたかと思うと、貸し出し用のボールとラケットを取った。
スマホを耳に当てながら、管理小屋の扉へ向かう。
「迅堂、いまどこだ?」
『旅館からキャンプ場へ走っているところです。ただ……』
「息が続かないなら無理するな。すぐに合流する」
『斎田さんが陸奥さんを庇って刺されました。私は、陸奥さんたちから犯人を遠ざけるために犯人の髪を掴んで引きずり倒して、雑木林を転がり落ちたんですけど、恨まれて追いかけられてます』
お前が追いかけられる側かよ!
てっきり犯人を追い詰めようとしているのかと思えば、事態はもっと切羽詰まっていた。
「旅館に戻れないか!?」
『犯人の脇は抜けられないです!』
まずいな。雑木林を転がったってことは、道路どころか森の中を走っていることになる。体力の消耗が激しいはずだ。
しかも、相手はこの山に慣れている。夜ですら麓から神社まで歩いて行けるほどに。
「……過去へ戻れないのか?」
笹篠を気にして小声で話し掛けながら管理小屋を飛び出す。
電話口の迅堂が躊躇うように言う。
『目の前で私が過去に戻ったら、あの犯人も同じことをしかねませんよ』
「……そうだな」
その犯人が未来人かは不明だが、目の前で不自然にスマホのアプリを起動してロールバックなんてしたら、怪しむだろう。犯人が未来人になったら、なおさら手に負えない。
笹篠を先導するようにキャンプ場を出て、路上を走り出す。
スマホの電話口から焦ったような迅堂の声が聞こえてきた。
『犯人は丑の刻参りが私たちのせいで失敗したと喚いてます』
丑の刻参り?
呪いをかけるために丑の刻に藁人形へ釘を打つあれか。
杖突について話していたレンタルビデオ屋の店主の話ではキツツキに似た音だという。釘を打ち付ける音を聞き間違えたのか。
肝試しも二時過ぎから始めて、俺や迅堂が出発するのが三時頃、丑の刻だ。
キャンプ場の付近に現れる火の玉は二時以降、そのまま人目を避けて獣道で神社へ向かうなら、神社に到着する頃には三時頃になるだろう。
火の玉は、頭の蝋燭か?
確かに目撃証言と噛み合う。
人に見られると失敗するというから、追いかけてきた人間のせいで失敗したと思って、無差別に殺そうとするのか。
はた迷惑すぎる。
「今、旅館の方へ向かってる。上手く道路に出てくれ」
『頑張りま――』
唐突に声が途切れ、ガタガタと何かが転がる音がした。
ぞっとして、声をかける。
「おい、どうした!? 迅堂!?」
返事がない。
スマホを落としただけならいいが……最悪の状況を想像してしまい俺はスマホを握りしめて前を見た。
「笹篠! 迅堂との連絡が途絶えた。犯人に追われてるらしい。急ぐぞ」
「電動自転車を借りてくればよかったわ!」
「同感だ!」
二人で路上を走り続けること数分、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
旅館の誰かが通報したのだろう。
走りながら山の中に目を凝らしているが、迅堂の姿は見えない。
焦りばかりが募る中、それを見つけたのは偶然でしかなかった。
道路横、山の麓へと続く斜面の下で黒髪の女が包丁を振り上げている。
「そこの女、何してんだ!?」
俺は道路横の木の幹を掴み、走っていた勢いを殺しながら一気に曲がる。
俺の声が届いたのだろう、女は振り下ろそうとしていた包丁を慌ててこちらに向けた。
五メートルほどある斜面を滑り降りながら、木の幹に手を置いて制動をかけつつ、左手に持った箒を握りこむ。
女が持っている包丁に血が付いていた。夏の日差しに不似合いな黒い服もよく見れば粘性のある液体が裾にべっとりとついていた。
頭に血が上る。
目があった女が一瞬怯んだ。
「あ、あんたたちのせいで失敗し――」
「うるせえ!」
大声で一喝し、箒を女へと振り抜く。木の幹に当たらないよう、下から掬うように女の手を打ち払う。
斜面を駆け下りてきた勢いも乗って、女の手を包丁ごと空へと弾き飛ばす。握りが甘かったのか、女の包丁が宙を舞った。
俺は振り上げた箒の勢いを殺さずにさらに踏み込み、右半身で女に当て身を食らわせる。
体格差と斜面を駆け下りた勢いも相まって女は吹き飛び、斜面を転がっていった。
俺は手近な木に掴まって停止し、女が包丁を振り下ろそうとしていた場所を見る。
白い肌が視界に入った。
力なく投げ出された手足を赤い筋が這っている。動きやすさを重視した白のTシャツが大きく切り裂かれ、趣味の悪い前衛芸術みたいに赤く染められていた。
血の気の引いた白い顔。冗談のように額から赤い血が流れている。
「――迅堂!」
胸がわずかに上下していることに気付いて駆け寄る。あの女が襲ってくるかと肩越しに振り返るが、おびえた様子で俺を見ながら麓へ逃げ出していた。
迅堂の状態は最悪と言ってよかった。腹や肩にいくつもの刺し傷がある。逃走中に枝に引っ掛けたのか、白い脚に幾筋も擦り傷があった。
とにかく、止血しつつ救急車を呼ばないと。
「迅堂? おい! ……意識もないのかよ!」
この傷では手当といってもやれることがほとんどない。
上の道路にいる笹篠に救急車を呼んでもらった方がいい。
俺は迅堂の腹を押さえつつ斜面を見上げる。
直後、斜面を人が転がり落ちてきた。
力が入っていないのか、途中にある木にぶつかりながら斜面を転がってくる。
「えっ?」
呆けたのも束の間、慌てて転がってくる人物を抱き留める。
「お、おい笹篠、なにして――」
どろりと、血が垂れた。
さっきまで迅堂の傷口を押さえていたからだと脳が現実逃避する。
ただ手についていただけの血がこんなにこぼれてくるはずがないのに。
抱えている間にも軽くなっていくような錯覚を覚える笹篠は身じろぎもしない。
「なんだよ……」
膝に力が入らない。
笹篠を地面に横たえる。胸を中心に広がる赤い染みが見る見るうちに拡大していき、服を染めていく。
脈がない。
迅堂も笹篠も赤く染まってそこに“ある”だけだ。
「どうなってんだよ!?」
さっきの女が迅堂を殺して麓へ、下へ逃げた。
じゃあ、笹篠は誰に殺された?
単独犯じゃないのかよ。
複数犯なら俺一人にさっきの女が逃げるはずもない。そもそも、丑の刻参りは一人でやる呪い方だろ。
道路を見上げても人影はない。
混乱する頭でスマホを取り出して救急車を呼ぼうとした時、『ラビット』が起動した。
無表情で画面に表示されるバニーガール姿の少女を見て、本当に手遅れなのだと悟った。
『――ロールバックを行います』
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