第20話 台風の日

 八月十一日、台風の接近で強くなった風が木々を大きく揺らしている。

 ざわざわと擦れる木々の騒めきに空を見上げれば、灰色の雲が埋め尽くしている。雲の凹凸に注目すれば、その流れの速さに思わず感心した。


「そっちはどんな感じ?」

『なかなかの強風だね。まだ空に青さも見えるが、暗くなる頃には曇天、雨が降るだろうさ』


 電話の向こうの海空姉さんはどこか他人ごとのようにそう答えた。


「斎田さんが海空姉さんに連絡しろって言ってたから電話を掛けたんだけど、何かあった?」

『何もないよ。しいて言うなら、巴がいないから暇で仕方がないね。深刻な玩具不足だ』


 玩具って……。


『巴の方から連絡してくるように仕向けるのが重要だったのさ。万が一に備えて周囲に誰もいないように配慮してくれるからね』

「聞かれちゃまずい話?」

『わかってるだろうに』


 小さく笑う声が聞こえる。

 俺は管理小屋の壁に背中を預けて、深呼吸をしてから質問する。


「何か情報でもくれるの?」

『ボクはこの夏の焼死事件について情報を持っているわけではない、というのが一つの情報だ』


 地元にいる海空姉さんが情報を得る手段は限られる。今回の事件で警察はほぼ役に立たないからだ。

 連絡役になりそうな斎田さんも不在の時が多い。

 逆に言えば、斎田さんの不在時に事件が起きる可能性が高いわけだ。


「なるほどね。貴重な情報だ」

『だろう? それから、これだけは厳守してほしい。『ラビット』を何時でも起動できるようにスマホを管理すること。バッテリー切れには要注意だよ』

「分かった。頼んだよ」


 俺の死亡推定時刻を割り出せれば、海空姉さんの遠隔操作で『ラビット』を起動、過去に俺を飛ばすことができる。犯人と接触して殺害される直前に起動できれば、情報を得られる。


『任せたまえよ。ボクは巴の頼れるお姉さんなんだからね』

「そういえば、部屋の掃除は大丈夫?」

『――おやすみ、巴』


 俺の質問には答えず、自称頼れるお姉さんは一方的に通話を切った。

 バイトが終わったら海空姉さんの部屋の掃除だな。

 管理小屋の壁から背中を離した時、ちょうど斎田さんが荷物を持って出てきた。


「巴君、ちょうどよかった。もう出かけるから、留守を頼むよ」

「了解です。一応、明日は懐中電灯に使う電池をいくつか買ってきてもらえますか?」

「あぁ、分かった。台風で忙しいのにごめんね。諸々注意しておいて」

「はい。いってらっしゃい」


 娘の貴唯ちゃんの部活の関係で斎田さんが車で出かけるのを見送って、俺は管理小屋に入った。


「迅堂、見回りしておこう。風も強くなってきたから」


 声をかけると、カウンターで文庫本を読んでいた迅堂がしおりを挟んで立ち上がる。


「分かりました。雨はまだですか?」

「まだだよ。だから、今のうちに見回りをね」


 風が強くて傘も差せないだろうから、雨が降る前に行きたいのだ。

 懐中電灯を持った迅堂と共にキャンプ場を見て回る。利用者は二組、小品田さんたち大学生グループと、あの外国人だ。


「うひゃー、髪がバサバサします!」

「木が倒れたりしないといいけど」

「飛ばされちゃうので手を繋ぎましょう」

「そんなに軽くないだろ」

「女の子は羽根より軽いんですよ!」

「迅堂が軽いのはノリだとおもうな」

「一理ありますね」


 納得しちゃうんだ……。

 バンガローに泊まっている大学生四人グループの下に見回りに行く。防水シートを屋根代わりに張るタープを取り込んでいる男性二人、小品田さんと大塚さんが見えた。

 ビール缶を片手に作業を見守っていた女性二人、与原さんと難羽さんが俺たちを見つけて軽く手を振る。


「そこの高校生カップル、酒のつまみに初々しい話を聞かせておくれー」

「難羽、高校生に絡み酒はみっともなさすぎ。ごめんね、二人とも。見回りかしら?」


 難羽さんを注意した与原さんが俺たちに軽く謝りつつ尋ねてくる。

 俺は頷いて、バンガローのデッキ部分に設置されているテーブルを見た。木製のテーブルで同様に木製の椅子が二脚置かれている。


「風が強くなってきたわね。テントの人、大丈夫かな?」


 遠く、キャンプ場の端に陣取る波理否さんの方を心配そうに視線を向ける与原さん。ここからでは木々が邪魔でテントも見えない。

 難羽さんが鞄からパンフレットを取り出した。


「高校生にしてキャンプ場バイトに精を出す見どころ溢れる君たちにこれを渡そう。興味があったらオープンキャンパスにおいで」


 キャンプサークルの勧誘パンフレットだ。この世界線でも常備してるんだな。

 タープを取り込んだ男性陣が戻ってくる。


「お、バイト君が黒一点じゃん。オレたち邪魔だった?」


 ニヤニヤしながら小品田さんが声をかけてくる。

 俺は愛想笑いしつつ首を横に振る。


「風が強くなってきたので見回りに来ました」

「そっか。飛ばされそうなタープなんかはこのまま仕舞っちゃうけど、そこのテーブルや椅子は倒しておこうか?」

「はい、雨が降り出す前にお願いします」


 テーブルはこのバンガローに付属する備品だが、いまは小品田さんたちの酒盛りに使われている。ビール缶やお酒のボトル、グラスの他につまみなどが窮屈そうにテーブルに乗っていた。


「火の始末はくれぐれもご注意ください」

「はいよ」


 迅堂が最後に締めくくると、小品田さんは軽く返してバンガローに引っ込んだ。

 大塚さんがテーブルの上を見回してから空を仰ぎ、俺に声をかけてくる。


「近くにコンビニとかってあるかな?」

「コンビニですか? 管理小屋の売店が開いてますよ」

「おつまみ類をちょっとね」

「なるほど。それなら、麓のコンビニよりもスーパーのほうが近いですね。旅館に行く道ってわかりますか? あれを逆方向に曲がって――」


 道順を説明すると、大塚さんは目を閉じて地図を思い起こしながら静かに聞き、最後に大きく頷いた。


「オッケー、オッケー、あの道ね。じゃあ、雨が降る前に行ってくるわ。なんか欲しいもんある?」

「あたし、チョコがいい。めっちゃ苦い奴」

「デザートチーズ。リンゴ味があれば最優先」

「はいはい、パシられますよっと」


 間髪を入れずに答えた女性二人に苦笑した大塚さんが歩き出す。

 ちょっと心配だったので、俺は大塚さんの背中に声をかけた。


「帰ってきた時に管理小屋に顔を出してもらえますか? 天気が天気なので、帰りが遅いと捜索隊を出すことになるかもしれません」

「心配性だね。ありがと。どうせ、管理小屋はキャンプ場の入り口だし、顔を見せるよ。何なら、君たちも欲しいものある? お兄さんが奢ろう」

「そうですね。じゃあ、安心を頂きたいです。必ず顔を出してくださいね」

「あはは、君、いい子だね。マジでうちのサークルにおいで。可愛がるから」


 大塚さんが歩き出すのに合わせて、俺と迅堂もバンガローを後にする。

 そのままキャンプ場の端にいる波理否さんを訪問する。

 車を風除けにしつつ、飯盒で米を炊いている波理否さんは俺たちを見て顔を上げた。


「やあ、いらっしゃい。風が強いねー。日本の台風はテンションが上がるよ」

「上げすぎて火が付かないように見回り中です」

「大変だねー。ご飯が炊けたらこの火も消すから、心配ご無用! あ、カレー食べるかい? 本場日本で外国人が作り上げた至高の和風カレーさ。気に入るよ?」

「いえ、夕食のメニューは決まっているので」


 波理否さんと話してうっかり口を滑らせたら、チェシャ猫が発動して迅堂か波理否さんが記憶喪失になりかねない。

 この人が敵か味方かもわからない以上、むやみやたらに記憶をすっ飛ばすわけにはいかない。


 ざっと見たところ、波理否さんのテントや車に不審な点はない。目的が分からないままなのは不気味だが、こちらからはアプローチのしようもないのが悩ましい。


「そうそう、先ほど、大学生の子たちがこちらに来て話してたんだけどね。この辺り、出るんだって?」

「出る? なにがです?」

「火の玉さ」


 火の玉? そんな話は聞いたことがないけど。

 波理否さんは俺の反応に大仰に体をのけぞらせて驚いた。


「まさか知らないのかい? 昨日の深夜に大学生が見たそうだよ。森の奥をゆらゆらと動く火の玉をね」

「へぇ……」


 火の玉なんて非科学的なものよりも何か別の物だろう。懐中電灯を持って誰かがトイレに行くのを見間違えたとか。

 とはいえ、焼死が予告されている以上、気に留めておいた方がよさそうな情報だ。


 俺が波理否さんと話している間にテントの固定具合を見て回っていた迅堂が両手で丸を作って合格判定を出した。

 俺は迅堂に頷いて、波理否さんに向き直る。


「それじゃあ、雨が降る前に火を消しておいてください。また見回りに来るので」

「カレーを食べながら待っているよ」


 いや、食べ終わったころに来ることになると思うけど。

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