第11話 肝試しの夜

 まさか本当に真夜中にやるとは思わなかった。

 時刻は午前二時。真っ暗な山の中で俺は迅堂と二人、吹奏楽部の子に備品の懐中電灯を配っていた。

 吹奏楽部の人数は十七人。彼女たちの宿泊先からも懐中電灯を借りてきているとのことだが、到底足りていない。


「無理を言ってすみません。助かります」


 吹奏楽部の顧問だという三十代前半の女性、美滋田さんが低姿勢で今日何度目かの感謝の言葉を口にする。


「伝統かなにかですか?」

「えぇ、この合宿が始まってからの伝統です。私が吹奏楽部にいたころにはすでにありました。合宿先は別のところでしたけどね」

「OGなんですか?」

「もう十年以上前ですけどね」


 美滋田さんは照れたように笑って頷いた。


「先輩、懐中電灯を配り終えましたよ」


 迅堂が会話に割って入ってくる。


 美滋田さんと一緒に見回すと、確かに吹奏楽部のメンバー全員に懐中電灯が行き渡っていた。

 くじ引きで二人一組ができており、余ってしまったらしい陸奥さんが所在なさそうに懐中電灯の明かりで地面に円を描いている。


 美滋田さんが軽く手を打ち鳴らして注目を集め、慣れた様子で怪談話を始めた。

 美滋田さんの語り口は絶妙で、山にありがちな怪談をちょっとアレンジしてある。

 この場にいるのは全員高校生だけあって過度に慄く者はいないが、少し背筋が寒くなる程度には効果があった。

 俺は横目で迅堂を見る。


「やっぱりビビらないのな」

「何十回と聞いてますからね。欠伸をこらえる努力はしてますよ」


 スマホで時間を確認する。二時半だ。欠伸も出るよな。


 美滋田さんが怪談を語り終えると、五分おきに一組ずつ出発する。神社を経由して目的地である旅館へと帰る道順だ。

 出発していく吹奏楽部の子たちを見送る。俺と迅堂は懐中電灯の回収係であるため、最後に出る予定だった。


 手持無沙汰にペットボトル入りのお茶を飲んでいると、陸奥さんが歩いてくる。


「……あ、あのさ、春姫、一緒に行かない?」


 怪談苦手系女子であったか。

 吹奏楽部の人数は奇数であるため、一人での出発を余儀なくされた陸奥さんは可哀そうなほどびくびくしている。道中、モモンガでも飛んで来たら腰を抜かしそうだ。

 美滋田さんは一足先に宿泊先に戻っている。全員が無事に到着するかを確認する必要があるためだ。


 月明かりがあるとはいえ山の中は暗く、街灯も乏しい。懐中電灯の明かりは心もとないだろう。

 流石に可哀そうなので、迅堂の背中を押す。


「一緒に行ってきなよ。俺は後から回るから」

「仕方がないですねー」


 迅堂はそう言うと、なぜか俺の腕を引っ張った。


「特別に今夜だけ先輩を貸してあげましょう。ちゃんと返してくださいよ。私のなので!」

「お、おい、なんで俺なんだよ。知り合いの迅堂の方がいいだろ。後、俺は迅堂の物じゃない」

「白杉先輩は土地勘がないでしょう?」

「それを言われれば、確かに」


 俺が一人で行くのはまずいか。昨日の午後にルートを確認しているが、分かれ道がいくつかあるのだ。

 陸奥さんが不安そうな顔で片手を上げる。


「あの、私はキャンプ場との間を行き来したりもしているので、道は分かります」

「ほら、決まりですよ。先輩、君に決めた!」

「あぁ、分かったよ。でも、迅堂が先に行け。俺たちは後から出発する。そうすれば、迅堂が万が一道に迷ってもすぐに分かるしな」


 俺たちが旅館に着いた時に迅堂が居なければ、道に迷ったことになるし。


「初めからそのつもりでしたよ。流石に一人でここに五分も待ちぼうけとか、つまらなすぎますもん」


 俺を陸奥さんに押し付けて、迅堂は山に突撃していく。


「よっし! 前を行く吹奏楽部カップルを脅かしていい悲鳴を響かせてやりますよ! 吹奏楽部はどんな綺麗な声で泣くのか楽しみだぜ、グヘヘ」

「ほどほどにしておけよー」


 というか、趣旨が変わってるだろ。まぁ、何度も繰り返したであろう迅堂にとってはいまさら夜の山道を歩いてもつまらないだろうから、脅かす側に回りたくなるのも分かるけど。


 取り残された俺は陸奥さんと顔を見合わせる。

 顔見知り程度の間柄で、話題が見つからない。

 必然的に、共通の知り合いである迅堂のことに話題が定まった。


「あの、春姫とバイトしてるんですよね? 迷惑かけていませんか?」

「どうだろう。失敗はしてないと思うんだけど」


 ちょくちょく焼死しているらしいから、迷惑かけ通しでもあるんだよな。


「そうですか。よかったです。あんまりバイトとかするイメージがなくて、驚いていたので」

「……ごめん。勘違いしてた。迅堂が迷惑をかけてないかの話だった?」

「えっ。あ、はい」


 戸惑ったような陸奥さんは俺が何を勘違いしたの察したらしく、苦笑した。


「ほとんど初対面の人に、余所に迷惑をかけていないかなんて聞きませんよ。失礼ですし」

「だよね、ごめん」


 苦笑を返して、スマホで時間を確認する。


「でも迅堂が迷惑をかけてないかを聞くのも、多分失礼だと思うよ?」

「えっ……」

「時間だし、行こうか」


 これ以上は大きなお世話だろうし、考えるきっかけだけ提供すれば本人たちの問題だろう。迅堂はあまり気にしてなさそうだけど。


 山道を登り始める。

 夏の夜、しかも山だけあってわずかに肌寒いほどだった。

 カエルの鳴く声が聞こえてくる。小川の方にいるのだろう。

 街灯はまばらで、懐中電灯がなければ途端に道を見失いそうな道を上っていく。

 頭上を見上げれば星が無数に瞬いていた。星座には詳しくないけれど、肝試しで夜更かしするよりはこの星を眺めていた方が楽しい気がしないでもない。


「あの……」


 陸奥さんに話しかけられて、顔を向ける。

 陸奥さんはためらうような間をあけて、続けた。


「……春姫と付き合ってるんですか?」

「付き合ってないよ。バイト仲間で、先輩後輩の間柄。告白は断ってるしね」

「ですよね。昨日、もう一昨日ですけど、そう言ってましたよね」


 口を閉ざし、しばらく無言で歩を進めた陸奥さんは俺をちらちらと横目に見ながら遠慮がちに口を開く。


「彼女のためでもないのに、あんな風に怒ったんですか?」

「あぁ、怒ってはいないよ。注意しただけでね」


 居心地悪そうにしていたから委縮させてしまったかと思っていたけど、案の定か。


「あのままだと二人の今後にとっても悪影響しかないだろうからさ。これ以上は余計なお世話だと思うから何も言わないよ」


 気にしないで、と片手をひらひらさせて話を打ち切る。

 陸奥さんは静かに笑って、俺の意を汲んでくれた。

 陸奥さんが分かれ道を指さす。


「そこを曲がって、階段を上ると中継地点の神社です。人数分のクリップが置いてあるので、それを神社経由の証に持っていくんです」

「そういえば、事前に説明してたね。俺や迅堂の分はある?」

「部長が用意してました」


 階段を上っていく。七段しかない低い階段だ。

 十五日にはここでお祭りが開かれるというだけあって、境内は広々としている。手水舎で手を清めて、奥へと向かう。

 鎮守の森なのか山の木々なのか、境目があいまいなほど境内はぐるりと背の高い木に囲まれている。枯葉の掃除が大変そうだ。


「――あれ?」


 陸奥さんの不思議そうな声が聞こえて、彼女の視線を辿る。

 賽銭箱の横に置かれた小さな椅子の上にクリップが乗っている。


「二つ、ありますね。春姫、取り忘れたのかな?」


 迅堂がクリップを取り忘れる?

 ありえない。迅堂は何回も肝試しをやっているんだ。そんな初歩的なミスをするか?


 咄嗟に周囲を見回す。迅堂が俺たちを脅かそうとして潜んでいるかもしれないと思ったのだが――いない。

 背筋が寒くなる。

 すぐにスマホを取り出し、迅堂に電話する。


「……出ない」

「白杉さん? 顔が真っ青ですよ?」


 怪談話が苦手な陸奥さんが怯えたようにきょろきょろとあたりを見回し、俺のそばに寄ってくる。

 だが、構ってはいられない。嫌な予感が強くなっていく。


「迅堂が電話に出ない。迷っているなら、すぐに電話に出るはずだ。クリップを拾ってないのに、俺たちがすれ違っていないのもおかしい」

「単純に取り忘れているだけじゃ……」

「嫌な予感がするんだ。悪いけど、ゴールまで走るよ」


 吹奏楽部の美滋田さんに連絡して迅堂が到着したら教えて欲しいと伝え、俺は陸奥さんと一緒に駆けだした。

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