第9話 汚名と名誉
「――はい、ご予約ですね。五日後ですか。はい、大丈夫です。バンガローを利用なさいますか?」
予約表のノートを開いて、書きこんでいく。
予約客は大学生の四人組。バンガローを利用。八月十日にやってくる。
一番混む時期のはずだけど、まだ予約はがら空き状態だ。経営、大丈夫なのかな。
「はい、お待ちしております。では、失礼します」
受話器を置いて、予約の記載を見直してからノートを閉じる。
「迅堂、十日にバンガローへ四人組のお客さんが来るってさ」
「換気と備品のチェックは終わってますよ」
「流石は迅堂」
「えっへん」
予約だから未来を見てきた迅堂が先手を打っていてもおかしくないと思えば案の定だ。
オーナーである斎田さんへ予約客の件を伝えるべくメールを打っていると、五十代の男性が管理小屋に入ってきた。
「すいません、消防団の者ですけども」
「はい、どうぞ」
反射的に答えたけど、消防団って個人的にはタイムリーだな。
中に入ってきた男性は俺と迅堂を見て怯んだような顔をする。
「あ、あれ? 斎田さんこんなに若かったっけ? あ、娘さん夫婦!」
「ちゃいます」
「先輩、言葉遣い」
いまいちボケか本気か分からなかったから曖昧に乗ってしまった。
しかし、迅堂が先輩呼びしたことで、おおよその事情を察したらしい消防団のおじさんは笑って頭を下げた。
「すいません、毎年顔を合わせてるのにいきなり若い人に出迎えられて、面食らっちゃって。えっと、ここのオーナーの斎田さんはいるかな?」
「斎田はいま、娘をコンクール会場に送っています。帰りは明日になるかと」
「そうなのか。えっと、君はアルバイトかな?」
「はい。斎田の親戚で白杉といいます。こっちはアルバイト仲間の迅堂です」
「へぇ、アルバイトにかこつけて彼女と二人、山デートとはやるねぇ」
「ちゃいます」
「先輩、また言葉遣い」
天丼なやり取りをして場を和ませつつ、俺は用向きを尋ねる。
「それで、ご用件は何でしょうか? 斎田にメールで取り次ぐことはできますが」
「あぁ、そこまでしなくてもいいよ。毎年の御挨拶みたいなものだから。申し遅れたね。私は大石という。地元消防団の所属でね。こう見えて一番の若手だから、連絡役みたいな雑事もやってるんだ。これ、今年の分の緊急連絡先の番号と注意書き。ついでにお祭りなんかの日程も書いてある」
渡されたのは一枚のチラシだった。火の用心、とタイトルが大書されている。裏には日程が書かれていた。この日は消防団がお祭り会場の見回りなどをするため、到着が遅れる可能性もあると書かれている。
早い話が各自で注意しろよという忠告だ。
チラシを眺めていると、大石さんがカウンターに両手をついて顔を近付けてきた。苗字通りに大きな石のようなごつい顔が近くに来ると威圧感がすごい。
「白杉君、消防団に興味ない?」
「この辺には住んでいないので」
「あ、そっかぁ」
高齢化で消防団の維持が厳しくなってるんだろうなぁ。
大石さんはあからさまに残念そうだった。
他にも回るところがあるとのことで管理小屋を出ていく大石さんは去り際に振り返った。
「くれぐれも、火には気を付けて。特にキャンパーさんはお酒を飲んだりもするから、見回りをよろしく」
「オーナーからも言われてます」
「ははっ、流石は斎田さんだ。長年やってるだけある」
今度こそ出ていく大石さんを見送ると、先ほどまで聞こえていた吹奏楽部の演奏が途絶えていることに気が付いた。
休憩にでも入ったのだろうか。
「先輩、陸奥さんたちが来ますよ」
迅堂が未来を予言した直後、管理小屋の扉が開かれて陸奥さんが入ってくる。
相変わらずまじめ風委員長な陸奥さんはカウンターに座る俺と迅堂を見て、目をぱちくり。
「本当に春姫がバイトしてる。意外……」
「意外性の塊、迅堂春!」
「そこは相変わらずだね」
「迅堂って中学時代からこうなの?」
「変わらないところもあって安心というか、別人じゃなくて驚くというか、高校で何があったのか心配になりますね」
陸奥さんは苦笑しつつ管理小屋の売り場を指さす。
「キャンプ場の利用客じゃないので恐縮ですが、買ってもいいでしょうか?」
「どうぞ。ご近所の奥様も立ち寄る売店だから、気軽に利用してよ」
他にも、ペンションの利用客や別荘の住人なども幅広く利用していく。
正直、キャンプ場なのかコンビニなのか分からないレベルだ。
「ありがとうございます」
陸奥さんが軽く頭を下げてアイスを選び始める。やたらと品揃えが豊富なアイスを前に難しい顔をし始めた。
最終的に四つの味違いのアイスをカウンターに持ってくる。メンバーから集めてきたらしい小銭を出してきた。
「レシートはいりますか?」
「いえ、結構です」
「では、どうぞ」
俺が料金を受け取る間に迅堂がスプーンを添えて出す。
陸奥さんは迅堂の働きぶりに注目し、感心したような顔をした。
「何か困ってないかと思ったけど、本当に大丈夫みたいだね」
「頼りになる先輩もいますからね」
はい、頼りになる先輩です。何度も死んでるっぽいけど。
人数分のアイスを持って練習場所へと帰っていく陸奥さんを見送って、しばらくすると演奏が聞こえてきた。
やっぱりただの休憩だったんだな。
バイト中なのであまりだらけるわけにもいかず、俺は持ち込んでいた教科書を開く。
迅堂が横からのぞき込んできた。
「お勉強ですか?」
「二学期に向けてな。何しろ、周りの女子が揃って満点を取るからさ」
「未来人にかかれば余裕ですよ。笹篠先輩は普通にすごい人ですけど」
その人も未来人だよ。
同じ未来人でも一学期のテストを予習していない俺は満点なんて無理だが、周りの点数がこうもいいと危機感を覚えてしまう。
「というか、迅堂や笹篠といつも一緒にいるせいで二股男のレッテルを張られている俺が二人よりも成績が悪いとなると、今度はヒモ男のレッテルを重ね張りされかねないんだよ」
すでに兆候が出始めているし。
「そんなわけで、名誉挽回しないといけないんだ」
二学期は満点を目指す。多分満点は無理だろうけど、九十点代は取らないと。
「つまり、二学期の点数でも突き放せば、先輩に汚名献上ですね」
「いらんわ、そんなもん」
献上するなら名誉をくれ。
迅堂が暇を持て余し気味にカウンターに頬杖を突く。
「言っておきますけど、未来人だからって努力してないわけじゃないんですよ。例えば、先輩がいま開いている数学の教科書ですけど、予習済みなので解けちゃいます」
「ほぉ、言うではないか。では、この問題を解いてみよ」
メモ帳を一枚破って問題を書き写す。ちょっと数字を弄っておいた。
「はい、有理数の範囲で因数分解して」
「んー、3x+8で余り-71ですね」
出来てやがる。しかも暗算しやがった。
まぁ、高次方程式の因数分解なんて慣れてしまえば組立除法で暗算できるけどさ。
再び、スマホアプリで適当にサイコロを転がして出た目を使って問題を出してみたが、あっさりと正解された。
「高校二年の数学まで予習してあるのかよ」
「やっておいて損はないですからね」
そうだとしても、なんで教科書もないのに予習できるんだよ。ネットで見たのか。
俺も教科書を閉じてネットで勉強しようかな?
スマホでネットを閲覧しようとしていると、迅堂が頬杖を突いたまま笑った。
「先生、数学の次は保健体育の授業でお願いしまーす」
「試験範囲にないからパス――ちょっと待て、先生?」
未来人の迅堂が数学の先生呼ばわり。高校二年の数学を解いた直後に。
「未来の俺が教えたのかよ……」
考えてみれば、このキャンプ場バイトで二人きりなのだから、未来では何度も教える時間があったはずだ。
悪戯に成功した迅堂がニヤニヤ笑う。
「先輩はとてもいい先生でしたと、名誉を献上しましょう」
「手のひらの上で踊らされた感が強くて素直に喜べないんだが」
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