第21話 あなたを殺しに未来から
目の前に教室の光景が広がっていた。
現実感がない。
時間が戻ったことは理解している。それでも、ふわふわと思考が定まらない。
「はぁ……」
大きく息を吸い込んでため息を吐き出す。
「おーい、白杉ー? 幸せが逃げそうなため息をついちゃだめよ?」
隣から笹篠が暢気に声をかけてくる。
「幸せはどこにあるんだよ」
机の上に突っ伏す。状況からすると木曜日の放課後だ。
ここから旅館に行っても失敗するわけだが、だとすればどうすればいいんだ。
「幸せを探しているなら私と付き合えばいいじゃない?」
「凄い自信だな……」
机に頬杖を突いた笹篠が微笑みかけてくる。
「未来から、白杉を幸せにするために戻ってきてるのよ?」
「お手数おかけします」
鞄を持って、笹篠が立ち上がる。
「さぁ、放課後だし、今日も練習するわよ!」
「ちょっとトイレに行ってくる。ここで待ってて。迅堂が来てもケンカするなよ?」
「保証しないわ」
むっとした顔で大人げなく笹篠はそんなことを言う。
俺は苦笑して、教室を出た。
旅館で帽子の男に包丁を振り下ろされる直前、『ラビット』が勝手にロールバックを行った。
海空姉さんが外部から操作したのだろう。
「どうするかな……」
木曜日に旅館へ電撃訪問してもあの帽子の男の乱入がある。旅館の関係者まで敵側なのだから、どうあっても勝てない。
事前に警察を呼んでおくか?
何も事件が起きてない段階で呼んでも警察は動かない。
虚偽の通報はそれだけで犯罪だ。その手を使えば俺は犯罪者。旅館の資料を持ち出せても信憑性を疑われる。
そもそも、警察を呼ぶなんて笹篠や海空姉さんが真っ先に考える手だ。提案せずとも自ら実行することができる手段でもある。
警察には取り合ってもらえなかったんだろうな。
そもそも、敵が旅館で仕掛けてくるとも限らない。資料を持ちだしてもトラック事故のように外部で襲われる可能性がある。
もっと前に戻らないといけないのか。
「いつだ?」
いつまで戻れば、旅館の不意を打てるんだ。
待てよ?
迅堂が言っていた。
「――笹篠先輩と旅館に二人きりで行くという不純異性交遊をする計画があると宮納さんに聞きました!」
時系列としては、今日の放課後だ。
宮納さんが知っているくらいだから、現時点で関係者には俺と笹篠が旅館に行く可能性について周知されている状態だ。
周知される前に戻る必要がある?
火曜日には食材の搬入が行われる。これよりも前に旅館を訪問しても、在庫管理表との齟齬は見つけられない。
水曜日に戻ればいいのか。
スマホを取り出し、深呼吸を一つ。
よし、今度こそ、終わらせてやる。
『――ロールバックを行います』
※
一瞬で、廊下から教室に戻っていた。
位置だけでなく、時間までも戻っている。
「今日って水曜日だっけ?」
隣の席の笹篠に尋ねると、何言ってんだこいつ、という目を向けられた。
「水曜日よ。しっかりしなさいよね。今日と明日しか練習できないんだから」
「金曜日に球技大会だもんな。やっぱ、練習期間が短すぎる」
「泣き言言わないの。ほら、クラブに行くわよ」
率先して立ち上がる笹篠を引き留める。
「ちょっとトイレに行ってくる」
この言い訳はかなり便利だな。
教室を出て廊下を歩く。
トイレ横のデッドスペースの窓際に立ち、俺はスマホを取り出した。
電話帳から呼び出すのは海空姉さんのスマホだ。
「もしもし? 海空姉さん?」
「あぁ、巴の頼れるお姉さんこと、海空姉さんとはボクのことだよ。どうかしたのかい?」
尋ねられて、俺は声を小さくして要件を告げる。
「聞きたいんだけど、旅館に行くこと、誰かに話した?」
「いや、まだだよ。予約自体はいつでも取れるし、証拠を隠されないとも限らないから。ただ、怪しまれないように明日の夜にでも予約をしようと思っていたところだけど。どうかしたのかい? 巴から予約しようとすると資料閲覧の件を話せないから無理だよ?」
「それは分かってる。ただ、今日これから旅館に資料を取りに行こうと思う」
「今日かい? 突然だね」
「球技大会まであと二日しかないからね。片付けられることを今日のうちに片付けてしまおうと思うんだ。ただ、旅館に連絡を入れるのは二十分後くらいにして」
「……詳しい話は聞かないよ」
通じた。
本当に、頼れるお姉さんだよ。
「それじゃあ、また後で連絡する」
「あぁ、連絡を待ってるよ」
通話を切り、俺はスマホをポケットに入れて踵を返す。
旅館への奇襲準備は整った。
旅館を視察することは俺と海空姉さんしか知らない状態だ。
教室に戻ると大野さんから女子テニス部に誘われていた笹篠が目で救援信号を送ってくる。
俺が声をかけるより先に大野さんが俺に気付き、にやりと笑って笹篠の背中を押した。
「ほら、彼氏が迎えに来たぞー。私はフラれちゃったから諦めてあげよう。幸せになれ、コノヤロー」
「まだ彼氏じゃないわよ。まだ、ね」
そんな風に外堀を埋めてたのか。
笹篠が鞄を持って歩いてくる。
教室のみんなが見慣れてしまっているのか、一緒になって下校する姿をはやし立てられることもなかった。
高校を出て、空を見上げる。
そういえば、曇っていたんだっけ。
どのタイミングで切り出そうか。この後作戦通りに運ぶのなら笹篠は未来から戻ってきていないはずだから、旅館に行くことも知らないだろう。
「笹篠、実はこれから用事があってさ」
「うん? 用事って――」
笹篠が不意に口を閉ざし、青い顔をして前を見つめる。
ただならぬ様子に、俺は慌てて道路に目を向けた。
曇り空の下、帽子を目深に被った男が――通り魔が立っていた。
「……な、なんで」
笹篠が困惑したように呟く。
俺も同じ気持ちだ。
水曜日に、あいつはここにいなかった。
通り魔の出現は旅館への視察が原因だ。
旅館に行く予定が外部に漏れていない限り、俺は犯人の脅威になりえず、通り魔に見せかけた排除も行われないはずだ。
海空姉さんが外部に情報を漏らすとも考えにくい。
なら、どうして通り魔がここにいる!?
通り魔が内ポケットに手を入れ、引き抜く。
――来る!
身構えた俺たちの前で通り魔はその場に棒立ちのままポケットから引き抜いたそれを――スマホをこちらに向けた。
刃物じゃない?
スマホのレンズがこちらに向けられている。写真か動画でも撮っている? なんで、そんなことをする必要がある?
隣の笹篠も困惑していた。未来でもこんな事態には遭遇していないってことか。
そもそも、客観的に見た場合、現状は俺が経験した水曜日と何も変わっていないはずだ。なんでこんなイレギュラーが――
「あっ……」
このイレギュラーが発生しうる可能性を俺は知っている。
通り魔が掲げたスマホから機械音声が流れた。
「何をやってもうまくいかないと思えば、未来人がいたとはね。僕だけが特別だなんて思っちゃいけないんだなぁ。なぁ、笹篠明華君?」
笹篠が一瞬驚きに目を見開き、糸が切れたように倒れる。
横にいた俺は笹篠を即座に支え、通り魔を見た。
通り魔はスマホを胸の内ポケットに入れて、踵を返すと一気に走り去る。
――やられた。
海空姉さんは言っていた。
理論上、未来人は十人存在しうると。
最初からおかしかったんだ。
未来人の笹篠が試行錯誤しても俺の死を回避できなかった。
道順を変更しても、その先に必ずトラックや通り魔がいた。
俺が未来から戻ってきて、電撃的に旅館を訪問しても、通り魔が現れた。
当たり前だ。
未来人なら、失敗した未来から戻ってこれる。
未来人に、奇襲は効かない。
「――事件の背後に未来人がいる」
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