第20話 電撃訪問

 目の前に教室の光景が広がる。

 事前に心の準備をしていただけあって、戸惑うことなく壁掛け時計を見る。

 放課後だ。狙い通りの時間。


「白杉、行こう」


 笹篠がカバンを持って立ち上がる。

 俺もカバンに手を伸ばした。


「笹篠、俺はちょっと用事があるから、先にテニスクラブに行ってて」

「用事……?」


 笹篠が首をかしげる。

 鞄を持った俺は足早に教室を出た。


「ちょっと白杉、待ちなよ。用事ってなに?」


 追いかけてくる笹篠の顔をちらりと見る。


「親戚の手伝いみたいなもの」

「――旅館に行くの?」


 まぁ、気付くか。未来人だもんな。

 笹篠は考えるような間をおいた後、口を開く。


「私も行くわ」

「いや、俺一人で――」

「絶対に行く」


 譲る気はないと目で語られて、俺は視線を逸らす。


「いや、雑用みたいなものだし、すぐに片づけてテニスクラブに行くよ」

「一緒に行くわ。それとも、迅堂さん当たりと旅館で待ち合わせ?」

「そんなわけないだろ」


 巻き込みたくないからだ。

 というか、なんでここまで粘ってくるんだ。

 そう考えた瞬間、笹篠の顔を見てぞっとした。


 笹篠は、どの世界線から戻ってきた?

 時間軸上では明後日の土曜日、旅館に訪問する途中で通り魔に遭う。そこから戻ってきて、ただ心配だから俺を引き留めているのなら構わない。


 だが、もしもこのまま旅館に行くと通り魔に遭うのなら?

 笹篠が通り魔に刺された瞬間が脳裏をよぎる。赤い血が染み込んだ乗用車の後部座席が、熱い笹篠の血の臭いが――


「白杉、大丈夫?」


 笹篠に声掛けられて、俺は深呼吸をして校舎の出口へ歩き出した。

 当然、笹篠が追いかけてくる。


「顔色悪いよ? 保健室に行った方がいいわ」

「大丈夫。体調が悪いわけじゃない」

「……ねぇ、白杉」

「先にテニスクラブに行っててくれ、頼むから」

「――白杉も、未来から来たの?」


 背中に氷を押し当てられたような気がした。

 体温が一気に下がる。血の気が引くとはこういう感覚か。


「あ、やっぱり――」


 俺の表情で確信したのだろう。笹篠が何かを言いかけた直後、いきなり壊れた人形のように倒れかかってきた。

 咄嗟に抱きとめる。


 頭が痛い。頭が冷える。頭が痛い。痛い。


「っ……」


 呼吸を忘れていることに気付き、酸素を求めて口を開く。

 同時に、何が起きたのかを認識し、笹篠を抱きかかえて保健室へ駆けこんだ。


 ――シュレーディンガーのチェシャ猫。


 迂闊だった。

 通り魔に襲われる未来を知らないはずの俺が笹篠の同行をかたくなに拒めば、俺が未来人だと察してしまう。

 俺が未来人だと確信すれば、笹篠の未来の記憶と人格が吹き飛ぶ。

 海空姉さんに注意されていたのに……!


 保健室に運び込み、保険医に笹篠が廊下で倒れたこと、俺が抱き留めたため頭を打ったりはしていないことを説明する。


 貧血と判断されてベッドに寝かされた笹篠の横で椅子に座り、瞼を閉じる。


 最悪だ。完全に俺のミスだ。

 笹篠の同行を断ってはならないのだ。


 笹篠が目を覚ましたのは倒れてからおおよそ一時間が経った頃だった。

 笹篠は俺を見て怪訝な顔をし、辺りを見回して困惑の色を深めると、恐る恐る俺を見て口を開いた。


「……し、白杉君、ここ、どこ?」


 白杉、君?

 未来の記憶と人格が消える。ということは、一学期の始業式に戻るのか?

 そうか、接点がほとんどなかった頃に戻るのか。


「白杉君?」

「ここは、保健室だよ。笹篠さんが廊下で倒れたから、運んできたんだ。今、先生を呼んでくる」

「う、うん。ありがとう。それより、さ」

「なに?」

「何で泣いてるの?」

「さぁね」


 俺は保険医に笹篠が目を覚ましたことを告げて、保健室を出た。

 スマホを取り出す。

 目標時間は、一時間ちょっと前。


『――ロールバックを行います』



 俺はカバンを手に立ち上がり、笹篠に声をかける。


「俺はちょっと用事があるから、先にテニスクラブに行ってて」

「用事……?」


 怪訝な顔をした笹篠が教室を出る俺の横に並んだ。


「用事って何よ。テニスの練習より大事?」

「テニスの練習が大事だからこそ、集中したいと思ってさ。親戚に頼まれて、旅館の資料を取りに行くんだ」

「へぇ。土曜日に打ち上げに行く旅館よね? 私も行くわ。その後、テニスクラブへ一緒に行きましょうよ。迅堂さん、きっと悔しがるわね」

「……別にいいけど、面白い話じゃないと思うよ?」

「白杉と一緒にいられるなら面白い事じゃないの。早くいきましょうよ。練習時間が無くなるわ」


 同行を許可すると、笹篠はほっとしたような顔をする。

 二人揃って学校を出て、学生の波に乗って駅に向かう。

 電車に揺られて、隣町へ。

 順調そのものだ。


 駅に降り立ち、人の流れの中に通り魔がいないか目だけを動かして探す。

 ……そういえば、笹篠は人の流れが切れるまで俺を待たせたな。こういう理由か。尾行の有無を探る上でも、ここで一度足を止めるのはいい選択だ。


 だが、今回はこちらの動きを知られる前に電撃訪問するのが主目的である。

 笹篠と共にすぐに改札を抜けた俺は、駅前のロータリーでタクシーに乗り込んだ。

 高校の制服を着こんだ男女が乗り込んでくることにタクシーの運転手は少し驚いた顔をする。


「神社近くの旅館は分かりますか?」

「あぁ、あそこね」


 すぐに通じた。

 タクシーの運転手はアクセルを踏み、目的地である旅館まで走ってくれる。

 走行中に、俺はスマホを取り出して海空姉さんに連絡を入れた。


「海空姉さん、球技大会に心置きなく望みたいから、先に用事を片付けちゃおうと思うんだ。今旅館に向かってる。必要な資料は経理関係のモノでいいよね? ……うん、分かった」


 スマホの電源を切り、ポケットに突っ込むと笹篠が不安そうにタクシーの後ろを振り返っていた。

 バックミラーで後方を見てみるが、トラックや帽子の男の姿はない。


 笹篠はどんな未来から来ているのか。それを聞き出そうとすれば、今回の電撃訪問の違和感から、また俺が未来人だと察しかねない。

 未来から過去に戻ることで、情報アドバンテージを得て選択肢が広がると思っていたけれど、世の中そううまくはいかないようだ。


 タクシーを降りて財布から運賃を出す。

 タクシーの運転手は俺と笹篠を見て何とも形容しがたい、迷うような顔をした。


「念のために聞いておくんだけども、家出って感じじゃないよね?」

「あぁ、この旅館は親戚がやってるんですよ。ちょっとしたお使いです」

「あぁ、そうなの。ごめんね、変な詮索しちゃって」

「いえいえ、ドラマみたいなワクワクを提供できたなら幸いです」

「言うねぇ、お兄さん」


 運転手は笑って、タクシーを発進させた。

 俺は旅館に向き直る。


「笹篠、一緒に来る?」

「ここまで来て帰れとでも?」

「じゃあ、手伝って」


 何でもないように笑って、俺は笹篠と一緒に旅館へと入る。

 笹篠が緊張の面持ちで背後を振り返ってから、後に続いた。

 明治の半ばあたりに建てられたという旅館は二階建て。瓦屋根の乗った和風の佇まいだ。

 入り口から中に入り、受付で名前を告げる。


「白杉様、ですか?」

「はい。松瀬本家の使いでいくつかの資料をコピーしに来ました。支配人を呼んでください」

「か、かしこまりました」


 受付の仲居さんは高校の制服に身を包む俺と笹篠に困惑した顔を浮かべていたが、堂々と押し切らせてもらう。


「あぁ、やっぱり二度手間になりそうなので、こちらから向かいます」


 仲居さんの脚を向けた先から支配人室にいるのだろうと察して、俺は有無を言わさず中へと踏み込んだ。

 旅館には何かがある。時間を与えるべきではない。


「あ、いや、白杉様!?」

「本家の許可は得ていますので、ご安心を」


 引き留めようとする仲居さんの手を躱して支配人室へと向かう。

 騒ぎを聞きつけたのか、支配人室から見慣れない顔が現れた。

 誰だ。竹池家の誰かだと思うけど。

 支配人らしき人物は俺を見てすぐさま身構えた。


「失礼、白杉巴様ですか?」

「はい。本家の指示で資料をコピーしに来ました。中に入りますね」

「……どうぞ」


 支配人が言葉を飲み込み、支配人室の扉を開けて俺と笹篠を中に通す。

 資料棚に目を向けつつ俺は支配人室の中に入り、足音が続かないのに気づいて笹篠を振り返った。

 笹篠は支配人室の扉を押さえて入り口に立っている。


「笹篠、どうかした?」

「いや、私は部外者だから、部屋に入るのはさすがにまずいかなって思ったの」


 ……筋は通っている。

 だが、ここは言ってしまえば敵地だ。未来人の笹篠は何かに備えてそこに立っている可能性もある。

 例えば、閉じ込められる可能性とか。


「そうだな。じゃあ、ちょっと待ってて。簡単なお使いだし、さっさと終わらせるよ」


 資料棚は無視して支配人の机を開ける。

 わかりやすい裏帳簿でもあればと思ったけど、そんなものをここに保管するはずもないか。


 資料棚から最近の宿泊名簿を見つけて開く。

 竹池のおじさんが親族会議で言っていたが、団体客らしきものがちらほら入っている。なかなかの頻度だ。

 これでなんで経営が悪化してるんだ。

 今週の日曜日にも団体客が入っていた。代表者名には碁蔵という名前が記載されていた。


「碁蔵?」


 呟いてみて、音の響きで思い出す。

 宮納さんがコーヒー豆を輸入しているっていう業者の名前だ。

 宮納さんから竹池のおじさんを経由して、輸入会社の慰労会でもこの旅館で開いているのか。

 おおよそ半年に一回か二回のペース。


「食材の仕入れ票は?」


 支配人に声をかけると、資料棚の端を指さされた。

 早速開いてみる。


 おかしなところは見当たらないな。

 過去三年分を支配人の机を占領して突き合わせてみる。二年ちょっと前に仕入れ先を碁蔵って人の会社に変えたようだ。

 今までの付き合いもあるだろうに、なんで変えたんだ。値段もそう変わらない気がする。この辺りは海空姉さんたち本家の人たちに任せた方がいいかな。


「スキャナーはあります? 若しくは、ここの資料の電子化したデータ」

「すみません。ありません」


 支配人が頭を下げる。

 この部屋にもパソコンがないくらいだから期待はしていなかった。親族会議でも海空姉さんが「今時ネット予約もできない」とぼやいていたからな。


 しかし、資料を見る限りそこまでおかしなものが見当たらないな。

 当てが外れたのか?

 いや、まだ調べてないところがある。


「食品の在庫管理票を出してください」


 仕入れの資料を見る限り、一週間の仕入れは火曜日に行われている。今日は木曜日で、今週の日曜日に碁蔵さんたち団体客が来るようだから相応の食品が眠っているはずだ。


「どこにあるんですか?」


 俺は支配人が顔をこわばらせたのを見逃がさず、畳みかける。

 口を閉ざした支配人を見て俺はさらに確信を深めて資料棚の前を離れた。


「食材庫の方に行きましょうか」


 大丈夫、答えは求めてない。

 壁に引っ掛けてある鍵束を取った。


 俺は笹篠を連れて支配人の横を通り抜け、食材庫の方へ足早に向かう。

 笹篠が質問するような目を向けてきた。


「どういう状況なの?」

「まだ何とも言えないけど、食材庫の中の量や質と予約客の数を突き合わせようと思う。どうにも様子が変だからな」


 調理場には入れないので、一度食材の搬入などを行う裏口に回り込んだ。

 中に入り、食材が納められている食材庫を検分する。

 壁に張り出されている在庫管理表によれば、予約の団体客に合わせて大量の食材が入っているはずの食材庫はほぼ空だった。


「在庫があってないな」


 これ、碁蔵ってやつの食品会社に架空発注してないか?

 定期的な団体客の予約は架空の発注のごまかしか。

 こうなってくると碁蔵ってやつの食品会社も調べる必要があるな。


 ひとまず、このことを海空姉さんに報告しよう。

 スマホを取り出そうとした、その時だった。


「白杉!」


 ここ最近、何度も聞いた笹篠の焦ったような声。

 食材庫の入り口に目を向ける間もなく、笹篠が倒れかかってきた。

 笹篠を支えた直後、その重さに気付く。


「おい、笹篠?」


 笹篠の身体に力が入っていない。ずるりと笹篠の体が俺の手から滑り落ちそうになり、慌てて抱きかかえなおす。


 ヌルヌルする。この感触に覚えがある。

 ――大量の血。

 はっとして、顔を上げる。


 笹篠が立っていた場所の向こうに帽子の男が立っていた。


「は?」


 我ながら、間抜けな声が出る。


 帽子の男の後ろに支配人がいた。目を背け、旅館の建物の影へと自らを隠すように立っている。


 この帽子の男、こんなにすぐ近くにスタンバってたのかよ。

 笹篠から流れ出る赤い血が俺の腕を伝っている。

 帽子の男が包丁を振り上げて俺に向かって走ってきた。


「木曜日じゃダメなのかよ……」


 迫る包丁の切っ先をぼんやり見つめながら、つぶやいた時、ポケットのスマホが震えた。


『――ロールバックを行います』

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