第154話
ムルグ村に帰ると、夕暮れ時だった。暖房の効いた宮殿に比べると肌寒い。
もはや完全に秋である。
クルスが夕陽を見て、目を細める。
「夏が終わると寂しい気がしますねー」
「りゃあ」
シギショアラも何か思うところがあるのか、一声鳴いた。
シギにとっては、初めての秋だ。
俺には初めての秋の記憶はない。普通の人間はそうだろう。
「シギ、これから秋になるんだぞ」
「りゃ?」
「だんだん寒くなるんだ」
「りゃあ」
「秋が終わったら冬になるぞ。もっと寒くなるんだ」
「りゃ、りゃあ」
シギは、少し不安げに見えた。
だから優しく頭を撫でる。
「でも、冬が終わればだんだん暖かくなるから安心だぞ」
「りゃあ」
シギは安心したようだ。
赤ちゃんだから、季節の移り変わりというのも初めて経験するのだ。
どんな気持ちなのだろう。
古代竜のシギは、これから何万回と秋を迎えるのかもしれない。
だが、初めての秋は今回限りだ。
「秋を見るために、今度お出かけしようか」
「りゃあ」
『冬に備えて、熊が活発になったりするのだ。縄張り争いが激しくなるのだ』
「りゃっりゃ!」
『シギも狩りにいくか?』
「りゃあ!」
シギは狩りに参加したそうに見える。
仲の良い子魔狼たちとも、シギは数日遊んでいない。
今度遊ばせてあげたほうがいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ミレットが言う。
「アルさん、夕食前に温泉にでも入ってきたらどうですか?」
「そうさせてもらおうかな」
「りゃあ」
「もっもー」
「わふわふ」
獣たちも大喜びだ。みんなで温泉に向かう。
衛兵小屋の中に温泉があるので、とても便利だ。
「夕方の温泉もたまりませんねー」
「そうじゃな!」
当然といった感じで、クルスとヴィヴィが入ろうとしてくる。
混浴に抵抗ないのだろうか。
「いい加減にしなさい」
「そうなのだわ」
「ヴィヴィ。お姉ちゃんはそんなことをするように育てた覚えはないのじゃ」
クルスとヴィヴィは良識派連中につかまった。
きっと説教されるのだろう。
俺はその隙に獣たちを連れて温泉へと向かう。
いつも通り獣たちを洗ってやってから湯船に入る。
「りゃっりゃー」
「シギも温泉が好きなんだな。気持ちいい?」
「りゃあ!」
シギは泳ぎもうまい。結構な速さですいすい泳いでいた。
モーフィとフェムは大人しく湯船につかっている。
俺も湯船につかってぼーっとしていると、フェムが寄ってきた。
『ひざはどうなのだ?』
「快調だよ」
『温泉はひざにいいのだな?』
「本格的に痛くなる前ならだいぶ改善される気がする」
痛くなってから入ってもあまり効果はなかった。
だが、痛くなる前に入ればましになる気がするのだ。
『魔王の加護は魔力だから、魔力の含まれたお湯はいいのだな?』
「そういうことだったのかもなー」
理由はわからなくても、実際に効果があるならそれでいい。
充分堪能した後、温泉を出る。
その後、夕ご飯を食べた後、俺は寝室に向かった。
今日は早めに寝ようと思ったのだ。
一方、クルスたちは夕食後に温泉へと向かった。
俺がベッドに入ると、シギは俺のお腹の上に乗って丸まった。
モーフィも甘えてくる。顎を俺の胸に乗せてくる。少し重い。
フェムはいつも通り俺の頭上に位置どっていた。
獣たちを撫でながら、少し考える。
なぜ俺が魔の神に選ばれたのだろうか。
果たして魔王とは一体なんなのだろうか。
そんなことを考えていると、風呂上がりのクルスがやってきた。
ひざの呪いを抑えるために来てくれたのだ。
「アルさん、ひざの調子はどうですかー?」
「おかげさまで、今日は調子いいぞ」
「そうですか。なによりです! 明日にでも死王にお願いしに行きましょうね!」
クルスはそう言いながら、モーフィの横に寝っ転がった。
俺、モーフィ、クルスという配置だ。
「もっも!」
「モーフィどうしたの?」
モーフィは嬉しそうにクルスに甘え始めた。
お腹辺りに鼻を押し付けている。
クルスとモーフィは仲良くじゃれつき始めた。
一方、俺はそれを見ながらシギを撫でつつ、魔王について考えた。
「アルさん、どうしたんですか?」
ふと気が付くと、クルスがこっちを見ていた。
きょとんとしている。
「ん? どうした」
「なにか、難しそうな顔してたので」
「そうだなー」
俺は考えていたことを話してみることにした。
「魔王って、あ、前魔王だけどさ」
「はい」
「前魔王ってヴィヴィやヴァリミエが言うには、結構真面目に統治してたらしい」
「そういえば、そんなことも言ってましたね」
魔王は真面目に統治していた。魔族の領土をよりよくしようとしていたらしい。
だからこそ、土壌改良のためにヴィヴィを四天王として迎え入れたのだ。
森を実効支配するヴァリミエだって、存在を許されていた。
一般的なイメージ通りの凶悪な魔王ならば、リンドバルの森が焼かれていてもおかしくない。
「だけど急に侵略を始めた」
「そうですねー。だからぼくたちに討伐指令が下ったわけですし」
「魔王の方針転換と同時にゾンビを戦力として使い始めたんだよな」
「そういえば、そんなことも言ってましたね」
「ということは、魔の神の加護を喪って、死の神の使徒の眷属になり侵略を開始したんだよな」
クルスは真面目な顔で考える。
「きっとそうかもしれませんね」
「前魔王の最後の言葉覚えているか?」
「なんでしたっけ?」
「『許さぬ。きさまだけは……』だったはず」
「そうでしたっけ?」
クルスは首をかしげている。
前魔王の最後の言葉は俺に向けられたものだった。
勇者ではなく、俺に向けられた言葉なのだ。
その直後、不死殺しの矢を食らったので、俺には忘れられない言葉だ。
「前魔王は自分が加護を喪った理由を知っていたのかもしれないな」
「うーん。そうでしょうか」
クルスはあまり納得していなさそうだ。
「戦闘中に気づいたのかもしれないけどな」
「あ、それならありそうですね」
「だろ?」
「アルさん強いですから。自分より魔力高そうな魔導士を見て気づいたのなら納得です」
前魔王が俺の存在に気づいたのがいつかはわからない。
だが、自分から魔の神の加護が喪われたことには早い段階で気付いたのだろう。
そして、その理由に強大な魔力を持つものが現れた可能性にも思い至ったはずだ。
下克上に対する危機感から死王の眷属となり、侵略を開始したのだろう。
前魔王が討伐されてから新魔王が誕生するのが一般的だとティミは言っていた。
加護を喪った前魔王とまだ加護を受けていない魔王候補。
両者のうち生き残った方を魔王とするのが魔神の方針なのだろう。
ならば、前魔王の侵略には魔王候補、つまり俺を討伐するという目的もあったのかもしれない。
「新たな魔王候補が現れなければ、つまり俺がいなければ、前魔王はいい王様であり続けたのかもな」
「うーん。かもしれませんけどー」
「そう思うと、魔王軍による被害は俺のせいと言えるのかも知れない」
「それは違いますよー」
クルスは笑顔で即答する。
「魔王軍の悪さは魔王軍の責任ですよ? アルさんのせいじゃないです」
「そうはいってもな」
「別に下克上を防ぎたいからと言って、侵略だけが唯一の道でもないですし」
クルスは自信ありげに語りだす。
一方、モーフィはさりげなく俺の手を咥え始めた。
やめさせようと思ったが、モーフィはとても眠そうだったので咥えさせておく。
「死の神の眷属にならずに何とかする方法だってあったと思います」
「そうか」
「はい。全部、前魔王が選んだ道です」
クルスにそう言われたらそんな気がしてきた。
「だからアルさんのせいじゃないです」
「そうか。気が楽になった。ありがとう」
「えへへ」
クルスは少し頬を赤らめた。
「もにゅもにゅ」
モーフィはうつらうつらしながら、俺の指を咥えていた。
俺とクルスは互いに顔を見合わせて笑った。
そのあと、俺たちはそのまま眠った。
いつもより気持ちよい眠りだった。
だが、真夜中、俺は目を覚ます。異変を察知したからだ。
俺の手を咥えた状態のモーフィがブルブルしていた。
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