第149話

 魔法陣部屋を出て廊下を進む。

 廊下と言ってもオリジナルサイズの古代竜(エンシェントドラゴン)が通ることを想定しているのだ。

 とても広い。

 ルカが目を輝かせてきょろきょろしている。


「天井も高いし、横幅も広いし。素材は何なのかしら」

「不思議な素材だな。金属のような陶器のような」


 俺は壁に触れて調べてみた。初めて見る素材だ。

 ヴィヴィも壁に触れている。


「魔力が込められているのじゃ」

「かなりの強度にみえるな」


 先行していたティミショアラが俺たちの会話に気づいて振り返る。


「そうであろう。かなり強靭だぞ。我らの生活に耐えられなければならぬからな」

「なるほど」


 確かに、古代竜が尻尾をぶつけただけで、普通の建物なら壊れてしまう。

 日常生活を送れるようにするだけでも大変なのかもしれない。


「もっもー」

『モ、モーフィやめるのだ!』


 その時、後ろからモーフィの気の抜けた声と、慌てるフェムの声が聞こえた。


「どうした?」

「あ、モーフィ待つのじゃ!」

「も?」


 慌てて、ヴィヴィが駆けつける。

 モーフィが踏ん張っていた。今まさに、漏らそうとしていた。

 廊下はとても広いし天井も高い。モーフィは屋外感を覚えたのかもしれない。


「モーフィ縄張りは主張しなくていいんだぞ」

「もっも」

「トイレならこっちだぞ」

「もーー」


 モーフィはティミに案内されてトイレに行った。


「モーフィは恐ろしいのじゃ」

「うむ。縄張り意識が高すぎるな。古代竜の宮殿でもまさか主張しかけるなんて」

『いや。ただ催しただけなのだぞ』


 モーフィとティミの後ろ姿を見ながらクルスが言う。


「トイレも古代竜サイズなんですかね?」

「可能性はあるな」


 本来の姿のモーフィは古代竜ほどではないが、とても大きい。

 だからモーフィならばトイレを使えるのかもしれない。

 だが、俺たちには巨大すぎるトイレは使いづらい。

 そんなことを考えていると、モーフィとティミが帰ってきた。


「もっもー」

「トイレに行きたくなったら、その場でせずに言ってくれていいのだぞ」


 ティミはモーフィを撫でなでしている。

 普通はその場でするようなことはしない。モーフィが特別だ。

 ルカが興味津々な様子で尋ねる。


「古代竜のトイレってどんな感じなの?」

「む? 見てみるか?」

「みたいみたい!」

「しょうがないのう」


 ルカは魔獣学者だ。学者としての好奇心が騒ぐのだろう。

 ティミがルカを連れてトイレに向かった。

 ルカはものすごくはしゃいで見える。


 俺たちもいつ、催すかわからない。トイレの様子を確認することは大切だろう。


「俺たちもトイレ見にいこうか」

「そうじゃな」


 俺たちみんなで、後をついて行く。

 それを見て、ティミは戸惑いを見せる。


「みんなトイレ好きだな」

「好きってわけじゃないのだわ」

「ものすごくでかいだろうしな。俺たちが使えるかどうか確かめておきたくて」

「なるほどな。それなら心配には及ばぬぞ?」


 しばらく歩いてトイレに到着する。

 とにかく広い。当然トイレまでの距離も長い。

 催したら早めにトイレに向かうべきだろう。限界まで我慢すれば、思わぬ事故が起きかねない。


「ここだぞ」

「ほえー」

「りゃっりゃー」


 クルスが感嘆の声を上げていた。それに合わせてシギも鳴く。

 やはり、とても大きい。


「した後に横のレバーを押せば水で流れるようになっているのだ」

「さすが古代竜の大公の宮殿! 水洗とは!」


 ルカが感激していた。一生懸命スケッチを描いている。

 水洗トイレは珍しい。王宮や大貴族の屋敷、ムルグ村の衛兵小屋ぐらいにしかない。


「珍しくないであろ。衛兵小屋にもあるぐらいだ」

「あの衛兵小屋が特殊なのよ」

「そうなのか。で、そなたたち、小さきものが使うのはこっちだ」


 ティミはトイレの横にある小さな建物を指さした。

 部屋の中に建物があるというのは少し違和感を覚えなくもない。

 建物の中には普通の水洗トイレがあった。


「人間用?」

「いや、我らが人型になったときようだ」

「なるほど」


 ルカが興味津々な様子でティミに尋ねる。


「宮殿でも人型になることあるの?」

「大きいとお腹いっぱいになるのに、たくさん食べないといけないしな」

「なるほどー」


 ものすごく現実的な理由だった。

 確かに巨大な古代竜がお腹いっぱいになるまで食べていては、周囲から生物が絶滅してしまう。

 だが少し疑問が残る。


「小さい状態で食べて、大きい姿に戻ったら、お腹すいてたりしないの?」

「あ、それあたしも気になった!」

「大丈夫だぞ。魔術的な変化だからな。単純な物理変化ではないのだ」

「へー」


 ルカは一生懸命メモを取っていた。


「もうよいかの? そろそろ、本来の目的を果たしたいのだが」

「そうだったな。シギの践祚を先に済ませよう」

「りゃ!」


 ティミに先導されて践祚する部屋へと向かう。

 その部屋は、玉座の間のさらに奥にあった。

 玉座の間を通り過ぎるとき、ルカがつぶやいた。


「当たり前だけど、玉座も大きいわね」

「素材もすごいな、オリハルコンかな?」

「オリハルコンベースなのは間違いないが、魔石や各種金属を混ぜてあるのだ。二つとないものに仕上がっているぞ」


 とても高そうだ。

 玉座の間の奥、践祚する部屋に到着する。

 宮殿の他の部屋に比べれば小さい。それでも充分巨大だ。

 部屋の中央に、巨大な真球の物体が置いてある。


「あれは魔石?」

「いや、多分違うわね」

「神代から伝わる、特殊なクリスタルなのだ」


 なんかすごいらしい。

 きっと、ティミも詳しいことはわかっていないのかもしれない。

 じっとみていたルカが言う。


「おそらく魔石の純度を極限まで高めて濃縮したなにかよ」

「なにか?」

「そうなにか。製法もわからないし、用途もわからないし。どのような力を持つのかもわからないわ」

「何もかも、わからないのだな?」

「でも! なんかすごいということはわかるわ!」


 ルカはとても興奮している。

 驚いている俺たちを放っておいて、ティミはシギを真球のそばに招く。


「ここに右手で触れるのだ。シギショアラ」

「りゃっりゃ!」


 シギは嬉しそうに真球に手を触れる。


「すこしチクっとするのだ。我慢するのだぞ」

「りゃあ……」


 シギは真球から手を外す。

 痛いと言われたら、ためらうのも仕方がないこと。なんといってもシギは赤ちゃんなのだ。


「シギ、少し我慢して」

「我慢するのだぞ」

「りゃ……」


 おずおずといった感じで、シギは真球に手を触れた。

 勇気のある赤ちゃんである。


「シギショアラ。魔力を流すのだ。流せなかった場合は、手のひらをナイフで切ってだな、傷をつけて血を……」

「りゃ!」


 シギが一生懸命踏ん張りはじめる。手のひらを切られるのは嫌だったのだろう。

 真球が光り始めた。


「りゃぃっ!」

 そしてシギが小さく悲鳴を上げた。

 それでも、シギは真球から手を外さない。


 徐々に真球の光は収まっていく。

 代わりに、部屋の壁が淡く光りはじめた。


「無事終了だ。これで宮殿は本来の機能をとりもどした」

「…………」

「シギ、よく頑張ったな」

「…………」


 シギは無言である。

 拗ねたように、ぷいっと横を向く。


「シギ?」

「……りゃ」


 痛いことをさせられて、怒ったのだろう。

 シギの気持ちはわかる。

 俺はシギの右手を見る。少し血が出ていた。


「痛かったねー。よく頑張ったぞ」

「……りゃ」

「シギショアラ偉いぞー」


 ティミがシギを抱き上げようとした。だがシギはティミの手をぱしりと叩く。

 そして、シギはぎゅっと俺に抱き着くと、もぞもぞと懐の中に入っていった。


「シ、シギショアラ、どうしたのだ?」

「……りゃ」

「ちょっと拗ねただけだから大丈夫だよ」

「それならいいのだが……」


 ティミは心配そうだが、すぐにシギの機嫌は直るだろう。

 部屋を調べていたルカが言う。


「践祚って、随分とあっさりしてるのね」

「うむ。儀式めいたことをたくさんするのは即位の方だからな」

「践祚は所有者登録だけてこと?」

「基本そうだぞ」


 一方、コレットは俺の服の上からシギを撫でる。

「シギちゃん頑張ったね」

「りゃ」


 ミレットも服の上からシギを撫でる。


「シギちゃん偉いねー。お弁当食べる?」

「りゃあ」


 シギは懐から顔を出した。お腹がすいたのかもしれない。

 機嫌も直ったようだ。すぐ機嫌が回復するのは美徳である。

 やはり王の素質が十二分にあると言えるだろう。


 シギは、恐る恐る手を出すティミに大人しく撫でられていた。


「もっも!」

「わふう」


 ご飯に敏感な獣たちも寄ってくる。

 フェムとモーフィの横にはクルスもしっかり並んでいた。


「とりあえず、ご飯にしようか」

「やったー」

「食堂はこっちにあるのだ」


 そういって、歩き出したティミも、うきうきした足取りだった。

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