第137話

 朝、起きるとクルスはすでにいなかった。早起きしたのだろう。

 それ以外は、大体いつもの朝だ。ひざは痛いが我慢できなくはない程度である。 

 モーフィは俺の手を咥えていたし、フェムは俺の顔に尻尾をふぁさふぁささせている。


「あれ? シギ?」

「りゃ?」


 少し上から声がした。

 声のした方を見ると、羽をパタパタさせてシギがふわふわ浮いていた。


「と、飛んでる!」

「りゃっりゃ」


 シギは俺の顔めがけて降りてくる。そのまましがみつく。

 前が見えない。

 俺はシギを顔から取り外して、撫でてやる。


「飛べるようになったのか」

「りゃ?」


 シギはきょとんとして、首をかしげていた。

 シギ、なにかやっちゃいましたか? とでも言いたげである。

 古代竜なのだから、飛べて当然なのかもしれない。


「シギは赤ちゃんなのに飛べて偉いぞ」

「りゃっりゃ」


 撫でまくったら、シギは嬉しそうにしていた。


 フェムとモーフィも起こして食堂へと向かう。

 食堂には、クルスがいた。


「アルさん、おはようございます」

「お、おはよう」

「どうしました? アルさん。そんなびっくりして」


 クルスが眼鏡をかけて、本を読んでいた。

 一体、何が起こったのだろうか。


「びっくりっていうか」

『違和感がすごいのだ』


 フェムの言うとおりである。

 クルスが読書しているのもおかしければ、眼鏡をかけていることもおかしい。

 遠目の魔法を使った人と同じくらい、裸眼でも見えるのがクルスである。


「りゃっりゃ」

「もっも」


 シギとモーフィは違和感を感じていなさそうだ。

 モーフィはクルスに頭をこすりつけにいく。隙あらば手を咥えようと、手の辺りに顎を乗せようとする。


「だめだよ、モーフィ。ご本を読んでいるんだからね」

「も?」


 シギはふわふわ飛んで、本の上に乗りに行った。


「シギちゃん、ダメだよ。読めないからね」

「りゃ?」


 クルスはシギが飛んだことにも驚きもしない。

 にこやかにシギを本からどかすと読書を続ける。


「クルス、何の本読んでるの?」

「これはですね。賢王伝っていう昔の偉い王様のことが書かれている本なんですよ」

「へー。ルカに借りたの?」

「そうです」

『どうして、本なんか読んでるのだ?』


 フェムが当然の疑問を口にする。

 一方、モーフィとシギはクルスにまとわりついていた。


「シギ、モーフィ。こっちおいで」

「も?」

「りゃ」


 邪魔をしたら悪いので、シギとモーフィを呼び寄せる。

 俺がシギとモーフィを撫でまくっていると、クルスがゆっくりと語り始める。


「ぼくは反省したんです」

『いまさら――』


 フェムの言葉をさえぎるために、フェムに後ろから抱きつく。

 フェムは驚いた様子で、びくりとした。


「わふ!」

「で、クルス。何を反省したんだ?」


 クルスは反省すべきことだらけなので、なにを反省したとしてもおかしくはない。

 だが、今更ということはない。反省はいつしてもいいものだ。


「はい。自分の領地を知らないのは、まずいと思いまして」

「そうだな」

『本当にそうなのだ』


 本当にそのとおりである。

 いくらなんでも、それはまずい。


「実際、やばいことになりかけたもんな」

「はい。そうなんです」


 代官補佐がムルグ村でひどいことをやりかけた。

 止めなければ、確実に実行されていただろう。

 そして、それはムルグ村以外でも行われた可能性が高いのだ。


「領主ともなると、なにもしないのも、なにも知らないのも罪だからな」

「はい。ぼくも思い知りました」

『自覚を持つのはよいことなのだ』


 フェムが偉そうだ。

 だが、よく考えたら、フェムは魔狼王として群れを率いているのだ。

 そして、魔狼の森を縄張りとして治めている。

 もしかしたら、クルスの先輩領主みたいなものなのかもしれない。


「改めて地図とか見たんですけど」

「ふむ」

「地図見ても、領主が何すべきか、わかんないなって」

「そりゃ、そうだろうな」


 地図を見てわかるのは、地形と位置関係である。領主として最低限知っておくべきことだ。

 だが、地図を読んでも、領主が何をすべきかは書いていない。


「領主は何をすればいいのかルカに聞いたら、とりあえずこれでも読めって」

「それで、賢王伝なのか」

「はい。昔の王様がどんなことをしたのか勉強しろって」


 おそらくルカは初心者向けの本を選んだに違いない。

 だから伝記みたいなものを読ませたのだろう。


「クルス、偉いぞ」

「えへへ」

『眼鏡は?』


 フェムの鋭い指摘が入った。

 今までのクルスの説明に、眼鏡をかける理由は全くなかった。


「賢く見えるかなって」

『すごくあほっぽい理由なのだ』

「そんなことないよ!」


 クルスは否定する。

 だがあほっぽい理由だと俺も思う。


「クルス。目がいいのに眼鏡かけたら目が悪くなるぞ」

「あ、これレンズが入ってないので大丈夫です」

『ますます、あほっぽいのだ』

「そんなことないよ!」


 クルスとフェムがそんなことを話していると、ルカとユリーナがやってきた。

 つかつかとテーブルまで歩いてくると、二人して魔法の鞄から、本を取り出す。

 一冊ではない。十冊ぐらいある。


「王都の自宅の書斎から持ってきたわよ」

「私も勉強になりそうなものを持ってきたのだわ」

「ありがとう!」


 クルスは本を受け取ると、自分の魔法の鞄に入れていく。

 そして、遠い目をする。


「やっぱり、領地を見て回った方がいいよね」

「そこまでする領主は滅多にいないけどな」

「でも、賢王伝に出てくる王様って、領地を見て回っている人が多いですよ?」

「そうだな。見て回るのは大事かもな」


 俺がそういうと、クルスは笑顔になった。

 やる気である。とてもいいことだと思う。

 賢王の真似をすれば、それすなわち賢王なのだ。どんどん真似をしてほしいものだ。


 その後、朝食の時間の少し前、ティミショアラがやってきた。


「シギショアラ! 今日も可愛いな」

「りゃむ!」


 ティミはシギを嬉しそうに抱きしめる。

 シギはシギで、楽しそうにティミの髪の毛を咥えていた。


「我の髪を食べるでない。べとべとになってしまうではないか」

「りゃむっりゃむ!」


 ティミはべとべとにされても嬉しそうだ。

 シギは以前、ティミの鼻を叩きまくっていたが、一度叱ってからは叩かなくなった。

 偉いと思う。


 俺はティミに教えてやる。


「今朝、シギが飛んだんだよ」

「ほう?」

「りゃ」


 シギはティミに見せるように、ふわふわ飛んで見せた。

 まだぎこちない飛び方だが、確かに浮いている。


「シギショアラは、まだ赤ちゃんなのにすごいな!」

「やっぱりすごいの?」

「うむ。古代竜にとって飛ぶことは、人にとって歩くのと同じようなものだ」

「ほうほう?」

「人は一歳ぐらいで歩くのだろう? 古代竜も一歳ぐらいで飛び始めるのだ」


 シギは生まれてから一年もたっていない。

 1か月ほどだ。


「体の成長が早いわけではないのだが……。これは魔力が多いせいだな」

「魔力?」

「古代竜は羽で飛ぶわけではない。魔力で飛ぶのだ」


 ふと横をみると、ルカが目を輝かせてメモを取っていた。

 魔獣学者モードに入っている。好きなだけ研究すればいいと思う。


「確かに古代竜の巨体を支えるには羽は小さすぎるよな」

「うむ。それは他のドラゴンも同じではあるのだがな」

「シギの魔力が多いのって、大公の公子だから?」

「もちろん、姉上はとても強い古代竜だった。だがそれを考えてもシギの魔力は多いな。姉上より強くなるだろう」

「やはり天才だったか」

「りゃっりゃ!」


 シギは嬉しそうに鳴いていた。


 そのあと、やってきたヴィヴィとヴァリミエ、ミレット、コレットと一緒に朝ごはんを食べた。

 朝食後、全員で、ティミを見送る。ティミは極地に転移魔法陣を設置しに行かねばならないのだ。

 ティミはシギを抱きしめる。


「こんなに可愛いシギショアラと数日も離れなければならないとは。悲しい」

「数日なんてすぐだぞ」


 設置すれば転移魔法陣を通って帰ってこられる。だからティミがシギと離れるのは片道分だけだ。

 それでも名残惜しそうに、シギを抱きしめている。


「数日がこれほど長く感じられるとは。古代竜の我にとって初めてのことである」

「そうなのか」

「アルフレッドラ。シギショアラを頼むぞ」

「任せろ」

「うむ。本当に頼むぞ」


 そしてティミショアラは本来の姿に戻って、飛び去った。

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