第52話 復讐の始まり②

 その後、四郎は隙を見て学校に必要な最低限の物を取り戻し、頭を下げて父親には伏せて実家へ匿ってもらうことになった。恭平は匿ってもらうことを拒み、遠くの地で肉体労働をする道を選んだ。


 四郎は兄の人生を台無しにしてしまったことを酷く後悔し、毎日のように責任に押し潰されていた。

 そして、こうなってしまった全ての原因はあの男にあると考えていた。あいつが路地裏なんかに来なければよかった。あいつが喝上げの現場を見たとしても無視すればよかったんだ。


 新しい住処と金を持って頭を下げて詫びるために、俺と兄の人生を壊したあの男に復讐するために、自分は生きなければならない。


 そんな自分は一体何ができるのだろうか。そう思い悩んでいた時に、自分には他の人には持ち得ない能力を保持していることを思い出した。軍に就職すればヤクザも下手に追ってこれないし給与もそれなりの上に能力者部隊に配属されるので衣食住は揃う。


 しかしそれでもまだ足りない、と天野は思った。ならば給与が高く、自身の能力が活用できる職場はどこか。給与が高いなら危険な職場なのだろう。そう考えた時に、日本皇国政府に存在する公安部という諜報機関が思いついた。国家安寧を脅かす輩の摘発だけでなく日本人民共和国などへ諜報活動を行っていると噂されているあの組織ならば、自身の身体強化の能力が役に立つだろう。


 こうして四郎の今後の進路は決定し、その後の行動は早かった。高校卒業まで体をひたすらに鍛え、能力者部隊では優秀な成績を修めた。それと同時に公安部の面接を受けて合格。能力者部隊の訓練が終わった頃に晴れて就職したのだった。




 そして能力者部隊が保有する寮に入寮したその日。

 四郎は管理人に寮内をあちこちと案内されていた。そして最後に紹介されたのは、自分がこれから住む二人部屋であった。

 ドアに掛けられているプレートを見ると、自分の名前と「水野晶」と書かれた二つがあった。


「これが君の部屋だ」


 管理人がドアを開ける。すると質素で少し手狭な部屋が見えた。二つのロッカーと二段ベッドに真ん中にはちゃぶ台があり、一枚の引き違い窓が奥に見えるだけだ。


 そしてちゃぶ台の前でテレビを見ていた男が四郎に気付いて振り返る。四郎はその顔を見た瞬間、衝動的な殺意に襲われた。


 なぜ、俺の人生を壊したやつがそこにいる。なぜ、平気な顔をしている。


 その男は立ち上がって歩み寄り、手を差し伸べた。


「水野晶だ。これからよろしく」


 四郎は顔色を変えず、差し伸べられた手を力の限り殺意を込めて強く握った。




 クソッ!! なんであいつがここにいる!? しかも相部屋だと?! ふざけんじゃねぇ!!


 ソ連のとある研究所へ潜入調査を行いながら、四郎はこの運命を仕組んだ神に延々と胸中で悪態を吐いていた。憎き相手と同じ職場にも関わらず、一つ屋根の下で寝食を共にしなければならないなど一種の拷問に等しい。管理人に別室へ移動したいと願い出たが空き部屋がないとして取り下げられてしまった。

 こうなるともうどうしようもなく、水野の反応を全て無視する以外に仕事まで影響しないように嫌う方法がわからなかった。


 四郎は目標の部屋が近いことを思い出し、意識を任務に切り替える。

 曲がり角に隠れ、目標の資料保管室を壁越しに確認。驚いたことに扉は全開の状態であり、車椅子に乗っている一人の女が背を向けて資料を閲覧している。


 車椅子に座っていることからして何かしら能力を保持していない限り、機敏に動けないことは確実。その可能性も低く、作戦行動における規則などを勘案して拘束した方が良さそうだ。

 そう判断した四郎は、監視カメラに一瞬映るか映らないかの全速力で駆けた。腕を伸ばして口をふさぎ、腰に装備していたナイフを抜いて首に差し出す。


 その時だった。何かに胴体と両手首を握られた。

 驚いてそれが何かを確認しようと目を向けるが、すぐに思考が錯乱する。


 黒い靄を出す鞭のようなものが纏わり付いていたのだ。それに加えて、その元を辿ると女の車椅子の影から飛び出ているではないか。


 力の限り暴れて拘束を解こうとするがびくともしない。

 すると女が資料を元の位置に戻し、細い両腕でハンドリムを握って旋回する。首に十字架とドクロが合わさったペンダントを掛けたその女は、そのまま影の根本と一緒に四郎の元へ近づいていく。


「日本皇国が我々の偽情報を掴んでここへ来ることは知っていたよ」


 四郎はその女の発言で公安部自体が踊らされていたことを察し、同時にこれからの自分の人生と決しなければならなかった。

 諜報員は敵国に情報を一切与えないために捉えられた場合、死を選ぶよう訓練されている。ほんの少しの断片的な情報でも類推されて国家機密がバレてしまっては機密の元も子もない。

 四郎もその教えに従って眼鏡のモダンを噛んでシアン化合物を摂取しようとしたが、今そのような行動を取れる状況ではない。


 ならばこの先の運命の大筋は一つ。拷問に回されてその最中に死ぬか、裁かれて刑務所に何年何十年服役するかの違いだけ。


「さてと、時間もないし本題に入ろうか。実は逆スパイを君に依頼したくてね」


 敵国の諜報員に逆スパイを頼むとかバカなのか、と四郎は反射的に思う。しかし自国の諜報員、まして軍人を敵国に寝返らせる算段を持ち合わせているはずなので、黙って続きを聞く。


「もちろん、タダでとは言わない」


 その次に発せられた金額を聞いて、四郎は唖然とした。

 今の給与の数倍近い額だったのだ。これなら数年で兄に顔向けできる程度の金が稼げるほどだ。

 任務内容も向こう側が指定した人物に、定期的に作成した諜報活動で得た情報等を記したレポートを送るだけの簡素なもの。機密管理に関してもまずバレるという疑いを持てなかった。


「さて、どうする?」

「……もし断ったら?」

「その時はこうさ」


 影が四郎の握っているナイフを強奪して冷や汗が垂れる首筋に押し当てる。


「どうだい? やるかい?」


 四郎は固唾を呑んで一世一代の決断を下し、日本皇国へ帰還した。




 一九八五年十二月二十九日午後五時二十三分。


 早めに職場から上がって帰宅した四郎は、ちゃぶ台の上に置かれている膨らんだ封筒を見つけた。

「天野四郎へ」と書かれた二重封筒を開封すると、女が所属する組織からの命令書と噴射機が同封されていた。要約すると、「本日の指定した時刻に指定した人物の元へいけ。可能なら能力者の捕獲も行え。その分報酬は弾む。我々は君の交友関係まで知り尽くしている」とのこと。


 命令の無視など、今後期待される多額の収入がなくなってしまうことを考えれば論外だ。

 逆に追加の命令もその通りに行えば追加の金が貰える。そして能力者の捕獲で唯一と言っても過言ではない人物が一人だけいる。加えて、その人物はこちらを油断し切っているというおまけ付き。やらない理由はない。


 そうとなれば、あとはやるだけであった。ロッカーに収めていた三本の刀と整備道具を取り出し、数少ない私物をリュックに詰め込む。

 ドア裏に待機し、帰宅した水野を催眠ガスで昏倒させる。刀を差し、水野を担いでもういたくもない寮と日本皇国から脱走した。

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