第45話 奪取
一九八六年一月十七日午後十一時二分。
迫ってくる戦火に怯えながら、水野は何も知らないエーリャの子守を続けていた。
水野はエーリャが眠りについてから、その建物内の仮眠室を使って睡眠を取っている。実家まで距離がそれなりにあるため帰るのが面倒で、妹を殺した犯人と就寝を共にした寮の部屋は思い出すだけでも不愉快になるだけだ。それに戦火が迫ってきているので、無闇に外に出るよりもここにいたほうが安全である。
共和国軍が攻めてきた理由を考えてみたが、共和国戦線の回復を目的とした反攻作戦だと思っていた。
しかし、なぜ今なのか? 別に今無理やり決行するほどでもないのは明白だった。
まさかエーリャ奪還のためか、と一瞬疑ったが、いくら親バカといえどもここまで大掛かりな作戦を決行させるほどではないだろう。
そう思っていたが、戦場で赤髪の女を見たとの情報が入ってきて、それがアリエチカなのではと巷で噂されていた。
水野はなぜそこまでエーリャに固執するのかがわからなかった。
そして業務中、延々と「戦争」という単語が脳内を駆け回っていた。
水野は戦争を教科書でしか知らなかった。戦争の様子や特攻隊、原爆など写真でしか見たことがない。初めて訓練で銃を見た時も、こんなちっぽけな物で人を殺せるのかと疑ったほどだ。
しかし、あの研究所から脱走した時に見た死体が水野を恐怖させていた。
本当に、あんな物で人は簡単に死ぬのだと。
その銃を持った人が大量に、今この時にも日本皇国を攻めている。
大勢の人が死んでいるのだろう。一般人も死んでいるのかもしれない。
そしていつの日か、その中の一人にカウントされるのかもしれない。
「おじさん、どうしたの?」
エーリャの唐突な呼びかけに、水野の精神は起こされた。
「ん、あ、ああ、どうしたんだい?」
「ほら、おじさんもやろうよ!」
そういって、エーリャは直方体のコントローラーを差し出してきた。
視線をテレビの近くにある家庭用ゲーム機へ向けると、格闘ゲームのカセットが差し込まれている。
「なるほど、また負けたいのか」
「何言ってるの? 次はおじさんがボコボコに負ける番なんだよ」
「強がりは程々にしといたほうがいいぞ」
水野はコントローラーを手に取り、エーリャと一緒に格闘ゲームをプレイ楽しむ。
しかし三十分後、地下にいる水野たちにもわかるほどの微弱な揺れと爆音が耳に入った。
「な、なに?」
不安を感じたエーリャは水野へ顔を向ける。
「……まさか」
手を止めている水野は、ついにここまで奴らが迫ってきたことを悟った。
しかも伝令がやってこないことが、奴らの進軍速度を物語っている。
そして、このような非常事態に自分は何をすればいいのか。
マニュアルにも軍規にも載っていない非常事態の対処がわからない。
規則に則って今まで動いていた水野は立ち尽くすだけだった。
「……おじさん?」
ずっと手を止めている水野にエーリャは心配して声をかける。
すると扉から素早くノックする音が二人の耳を突く。
「は、はいっ!」
水野は慌しく足を運ぶ。
唐突に扉が開いたと思うと、見知らぬ一人の兵士が汗だくな状態で立っていた。
「あ、あなたは」
「時間がない! エーリャを移動させるぞ!」
「移動!? どこへ!?」
「高知だ! 詳しくは後で話す!」
質問にまともに答えず、兵士は水野の体を押しのけて部屋の中に入ろうとする。
「まっ待ってください! 今地上はどうなっているんですか!?」
「今この建物が襲われている最中なんだよ!! 本当に時間がないんだ!!」
水野は強制的にその場を明け渡された。
入り口付近を見渡すと、いつもいる護衛の兵士がいない。恐らく戦闘に動員されているのだろう。
「立て!」
「きゃっ!」
呼吸が乱れている兵士は、並みならぬ雰囲気だけを感じて怯えているエーリャを無理やり立たせる。
それが水野の癪を触った。
「行くぞ!」
兵士はエーリャの手首を掴んだまま、先に廊下を走る。
突然、天井から金属同士がぶつかる音が、切羽詰まっている脳を合間縫って水野に伝わる。
しかし先行している二人には聞こえていなかった。
すると頭上にある錆銀の通気口の蓋が勢いよく兵士の頭上に落ちる。
「いった!」
上を見上げると、黒鋼色の銃口が苛立つ顔をしている兵士を見下していた。
その様子は横にいる水野からも、銃口が飛び出している様子をはっきりと視認できた。
「危ない!!」
そう叫び、二人のほうへ手を伸ばす。
しかし手が届く手前に、兵士の頭へ一発の弾丸が銃声と共に降り注いだ。
頭蓋骨を割って脳内を瞬間に押し広げてミンチにし、食道辺りで弾丸は停止する。
そのまま前に倒れ、頭頂部からチョロチョロと鮮血と脳漿が流れ始める。
「エーリャ! 下がれ!」
水野は右手でエーリャの手首を掴み、後ろに下げさせた。
そのまま左手を床についてコンクリートを即時に生成する。
廊下を塞ぐほどの壁が廊下から突き上がって遮断した。
他に排気口があるかを確認するが、運良く一つもなかった。
「大丈夫か、エーリャ?」
エーリャは初めて人が死ぬ場面を間近で見てから、目を大きく広げて呆然としているだけだった。
それもそうである。まだ六歳の女児が人が死ぬところを間近に見たのだ。放心状態になるのも仕方ない。
「部屋に戻ろう」
無気力のエーリャをゆっくりと立たせる。
エーリャを部屋の方に向かせて戻ろうとしたその時、コンクリートの壁の向こう側で手榴弾が炸裂した。
「うわっ!」
「きゃっ!」
灰色の煙とコンクリートの欠片が飛来し、水野がエーリャを庇う形でうつ伏せになってしまう。
しかし水野は素早く体を起こしてエーリャを立たせる。
「エーリャ!! どこにいるの!?」
煙の向こうから、二人が知る声が耳に入った。
「エーリャ!? ママはここだよ!!」
「お母さん!?」
無気力だったエーリャは思わず声を上げた。
水野はもう一度その声を聞いて、声の主の確信と同時に困惑する。
「エーリャ!? いるのね!?」
応急処置として両足から床へ能力を伝わらせ、双方の間に五枚のコンクリート壁を作った。
しかしその直後、最初のコンクリートの壁が砕け始める音が、未だに手榴弾の爆破音が反響している耳に伝わる。
「ねぇ聞こえた!? お母さんの声、聞こえたよね!?」
家に帰れる希望を見つけたエーリャは、確証を得ようと水野へ問いかける。
水野はそれに答えず、ただエーリャを見つめていた。
自分の亡き妹の幼少期に似るエーリャと、水野はずっと一緒に居たいという願望を抱いていた。
そして突然、家族が知らないところへ行ってしまう恐怖も、身をもって十分に理解できていた。
しかし一旦失った家族が、手が届く距離にいる。人ならば言葉に尽くしがたいほど欲しいと願うだろう。
加えて、アリエチカが今抱えているであろうその感情を想像すると、痛切に感じた。
なら、このまま素直に渡すか。
しかし、それは皇国への反逆行為であり、日本皇国の軍人として、諜報員として失格である。軍籍剥奪に加えて軍法裁判後に懲役が待っているはずだ。懲罰部隊に送られて最前線で戦わされるのが普通だろう。
灰煙が立ち込み密閉された中、仕事と人情に板挟みにされた水野は長考する。
「……おじさん……?」
「……エーリャ、その場から動くな」
水野は部屋の方へ走る。
「おじさん!?」
「……またな」
そう言い残し、水野は二人の部屋へ駆け込んで扉を閉める。
そのまま左手をついてコンクリートを立てて外から完全に開かないようにした。
壁まで走り、掌を付けて人が一人入れるほどの穴を作る。
その中に入って入り口を閉ざした。
「はぁ……これで、これでいいんだ……」
そう呟き、水野は能力を使って戦火が蔓延する地上へ這い上がった。
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