強化用の荷物を背負っての登山とは、何とも過酷ですね。心身が悲鳴を上げている場面は、息遣いまで聞こえてきそうです(*_*)
それでも、無心の境地の先に開けた世界に、清らかな風が吹き抜けていくような心地よさを感じました。
私はハイキングで気分を味わうだけの素人ですが、梅雨が明けたらまた、青々とした山の懐へ出かけたくなりました(ピーナツかりんとうを持って行きます^^)。
作者からの返信
すず音さん、お読みくださりありがとうございます。
入部した当初はもう少し気楽に考えておりましたが、他学校の山岳部とも交流があったりして、ワンゲルのイメージを越えて活動していたような気がします。
正直、続けたかったですね。
なぜ人は山を登るのか。その先に見えるものは何なのか。
(昔そんな言葉があったような)
人生といえば大げさかもしれませんが、生きることの投影のような気がします。それと、小説を完成させた時の感慨にも通じるかと(笑)
ひとつ目標を果たした時の爽快さ、自身が積み上げたものへの信頼、それまでのぐだぐだが一切合財ふっとんで、心身新しい感覚に包まれる。
おっしゃる通り、清らかな風なんです。
その時の情景をずっと忘れたくなくて書きました。
ピーナツかりんとうは先輩が持ってきてくれたのですが、内心、ここでかりんとう? と不思議に思いましたが、結果ナイスでした。
梅雨明けの山の懐、気持ちいいでしょうね。想像するだけで爽快な気分になります。
このところ、雑雑とした心情で創作から遠のいておりましたが、すず音さんのコメントが清風となって語りかけてくれました。
嬉しいです。励みになります。いつも、本当に感謝しております。
黙々と無心に山を登り続けるのは、どこか瞑想にも似ていますね。
山伏も主な修行の場は峻険な山だったし、肉体的に自分を追い込んでこそ見えて来るものがあるのかなと思いました。
今まで登った中で一番高い山は小学校の遠足で行った筑波山ぐらいですが、山頂で食べる弁当は格別だったと記憶しています笑
作者からの返信
瞑想、さすがです。合致します。
意識すると苦しいのですが、ある程度になると、考えることもなく、ひたすら足を動かしていた、そんな感じでした。
私も遠足ばかりでした。地元の、八甲田山の赤倉岳とか、岩木山、スリリングだったのは、友達と行った、暗門の滝のトップまででした。川はなかなか怖い! でも、落下事故が起きてからは、登れなくなりました。
自分を追い込んでみるのが、嫌いじゃないのかもしれません。
山からは、小さい奴が、ちょこざいにって、鼻であしらわれているのでしょうけど。
読んでいただいて、まして、コメントまで、嬉しいです。ありがとうございます。
こんにちは。登山最高ですよね、最近登ってないので、また登りたくなりました。糖分もおにぎりも、下界とは比べ物にならないぐらい旨い
作者からの返信
小林勤務さま
お読みくださりありがとうございます!
自分も、この時以来、登山はしておりませんが、また登りたいですね。
今度は訓練じゃなくて(笑)
いい経験&思い出です。
コメント嬉しいです。
応援もありがとうございます!