ハイスクール・フェスティバル(4)
猷秋祭の準備は順調に進んでいた。
柚子の所属する一年二組の出し物は執事・メイド喫茶に決まった。今は内装担当、商品担当、衣装担当、そして執事とメイドに分かれて役割を分担し、担任教師と相談しつつもそれぞれ形になるよう話し合いを重ねている段階だ。
柚子はやはりメイドになり、リーダーのメイド長に任命された。メイド仲間には他にも莉子と由紀がいる。沙也香は柚子の熱い志望によって執事をやることになり、椿は衣装担当になった。勝元は内装担当だ。
そして今は衣装長、執事長、メイド長の三人で教室に残り、執事とメイドの衣装についての最終確認を始めようとしているところだった。事前に執事たちとメイドたちの希望を聞いた上で衣装担当たちの考えたデザインを三人で確認し、衣装の最終決定をする。実際に衣装を着る人たちの希望に沿いつつも、衣装担当の人たちで作れるようなデザインにしなくてはならない。
「めっちゃ今更でごめんなんだけど、遠山くんの名前ってなんて読むの?」
最終確認の前に、柚子は思いきって執事長を務める男子生徒に尋ねてみた。彼は自分の席に座っている。柚子と衣装長である巴は、近くの席の椅子を引っ張ってその向かいに座っている状態だ。
「あ、それ私も聞こうと思ってた」
巴も声を上げた。長めの前髪が特徴的な、小柄で大人しい男子生徒がビクビクした様子で答える。
「あ、
「へー!」
「いわゆるキラキラネームってやつ……変だよね」
澄空が自嘲するように言う。柚子は思わず首を傾げた。
「そお? 綺麗な名前じゃんね」
「うん、かっこいいよ」
柚子が言うと、巴もそう言って頷いた。澄空は思いがけない言葉を貰って動揺したのか、目を大きく開いて顔をほんのりと赤らめている。
「じゃあ始めますか。これ、下手で申し訳ないんだけど大体こんな感じになったよ」
巴がそう言って二枚の紙を広げた。それぞれ執事とメイドの絵が描かれている。二人とも、深い茶色をベースにシックな雰囲気でまとめられた上品な衣装を着ている。執事は燕尾服の下にベストを着てほしいと本人たちからではなくメイドたちから要望が出たため、グレーのベストの着用が決まった。また、メイドが頭につける予定のヘッドドレスは「大きいとダサい」という意見が出たため、小さめのデザインになっている。
「いいね!」
柚子は真っ先に声を上げた。
「……けどヘッドドレスのリボンいらないかも。結局大きく見えちゃうし」
「あー。じゃこのヒラヒラ部分だけでいい?」
巴がイラストのヘッドドレス部分を指差す。
「うん、それでいいよ」
柚子はそう言ってから、更にじっくりと絵を眺めた。
「裾にちっちゃいリボンいっぱい付けるの?」
「うん。その方が可愛くない? ってなった」
「うん、可愛い。でもつけるの大変じゃない?」
「もし大変だったらなくなるかも」
柚子の質問に、巴はそう言ってばつが悪そうに笑った。
「遠山くんは? なんかある?」
巴が澄空の方を見る。黙ってイラストを見ていた澄空は、「えっと……」と小さく声を上げた。
「素敵だと思います。ただ一つだけ……メイドも執事もなんだけど、ボタンは黒より金色っぽいやつの方がいいと思う、かな」
澄空の意見を聞いて、柚子と巴は絵を覗きこんだ。確かに、黒だとスーツやドレスの色に溶けこんでしまう。
「うん、その方がお洒落かも」
巴がしみじみと言う。
「色が映えるね」
柚子もそう言って頷いた。
「ヘッドドレスのリボンはなしで、ボタンは金色ねー」
巴はそう呟きながらイラストの横にメモ書きしてから、顔を上げて二人を見る。
「じゃあそんな感じでオッケー? かな?」
「うんオッケー! ありがとね」
「ありがとうございます」
巴の言葉に、柚子と澄空が礼を返す。これで話し合いは終了だ。だが、巴は席を立たずにしばらくじっと絵を見つめていた。
「……これ、みんなにちゃんと伝わると思う?」
巴はだいぶ自信なさげだ。柚子は改めてイラストを見てみた。特別上手いというわけではないが、何が描かれているかは分かるといった具合だ。
「伝わらないことはないと思う」
「微妙だな」
柚子の正直な答えに、巴は冷静に声を上げた。
「正面はギリ伝わると思うんだけどさ、問題は側面と背面だよね、これ」
巴が絵を指差す。
「巴が口頭で説明できるなら大丈夫なんじゃない?」
「えー、できるかなー」
柚子が言うと、巴は呻いた。その時、「あの……」と声が聞こえてきて二人は顔を上げた。澄空が小さく手を挙げて、気まずそうにしている。
「もしよかったら……描こうか?」
澄空のありがたい申し出に、巴はパッと顔を輝かせた。
「そーだ、遠山くん漫研じゃん! えーマジ? お願いしていい?」
「うん、いいよ」
「マジ神! ありがと! 色塗りはうちがやるからいいよ!」
巴はそう言いながら、バッグの中を漁って無地のルーズリーフを取り出した。
「今描いちゃって大丈夫?」
ルーズリーフを二枚受け取りながら澄空が尋ねる。巴は目を丸くした。
「えっ、今いけんの? スカイ氏すごいね」
「すっ……スカイ氏……」
突然つけられた渾名に、澄空が何とも言えない顔をする。
「全然オッケー。待つ待つ! てか見てていい?」
「えっ……と……緊張するからちょっと……」
「あは、そーだよね! ごめーん」
巴はあっけらかんとしてそう言うと、「ねーねー」と声を上げた。
「うちら横で喋ってたら気ぃ散る? てかむかつく?」
正直に尋ねる巴に、困ったような顔をしながら澄空は答える。
「いや……別に大丈夫だよ」
「ほんと? じゃー遠慮なく。柚子、宗とは結局どうなの?」
「えっうそまたその話なの?」
巴と澄空の温度差のある会話を呑気に眺めていた柚子は、突然の質問に悲鳴を上げた。
柚子と巴が楽しそうに話している横で、澄空はようやくイラストを描き終えた。二人の会話の話題はコロコロと変わり、今は最近気になるお笑い芸人について話している。
「あの、終わりました」と声をかけると、二人は「早!」「ありがとー!」と言いながら澄空の描いた絵を覗きこんで感嘆の声を上げた。
「すご! うま!」
巴が目を瞬いている。
「めっちゃかわいいー!」
柚子も高い声で言った。褒められるのは嬉しいが、普段はあまり話さない人たちなのでどうしても緊張してしまう。照れを隠して唇を噛みしめていると、巴が再びお礼を言ってきた。
「スカイ氏マジでありがとう。感謝! 二人ともありがとね」
「いえいえ……」
「私ほぼ何もしてないし!」
柚子が苦笑しながらそう答えた。
「それじゃ今日はこれで終わり!」
「はーい」
「私人待ってるから、じゃあね」
巴が言うと、柚子はニヤニヤと笑い出した。
「例のキャンプファイヤー一緒に見るかもしれない人?」
「まだ分かんないから! 分かんないから!」
必死に否定する巴もどことなく嬉しそうだ。
「頑張れー」
柚子はまだニヤニヤしている。
「柚子こそ頑張って」
「えっなんで私?」
「いきなり告ってくる人たち振るの頑張ってね」
「あーそれ……」
帰るタイミングを逃した澄空は、二人の会話をなんとなく聞きながらドキドキしていた。みんな、やっぱりキャンプファイヤーを誰と見るかとか考えてワクワクしてるんだなぁ。キャンプファイヤーは見たいけど、そういう人はいないな……それにしても、藤原さんってほんとすごくモテるよね……。
綺麗な名前だと言ってくれたその瞬間、彼女が人気者である理由がなんとなく分かった気がした。
可愛くて明るくて優しい。まるでアニメの主人公のような人だ。まさか、猷秋祭の準備で彼女とこんなに話す機会ができるなんて思いもしなかった。人数が足りないからと半ば強制的に執事役に選ばれ、執事長の役目もほぼ無理矢理押しつけられたようなものだったが、それでよかったのかもしれないとようやく思えてきた。以前にも柚子と話したことはあるが、きちんと会話をしたのは今日が初めてだ。よく一緒にいるところを見かける沙也香や椿はあまり彼女に雰囲気が似ていないため、分け隔てなくいろんな人と話す人だということは知っていたが、やはりこういうタイプの人は自分とは違う世界の人であるというイメージが強い。
「遠山くん」
「あっ、ハイ!」
急に柚子に声をかけられて、澄空は上ずった声を上げた。いつ見ても完璧な彼女に比べて、自分の姿はさぞ滑稽に見えているに違いない。だんだんと恥ずかしくなってくる。
「これから部活?」
「いや、今日は休み……」
「そーなんだ。遠山くんってどこに住んでるの?」
「えっ、あ、江戸川区です」
「じゃあ駅の辺りまで一緒かな。嫌じゃなかったら一緒に帰らない?」
「え……えっ?」
会話の流れが読めず、変な声を上げてしまう。そんな澄空を見た柚子は真面目な顔で聞いてきた。
「あ、遠山くん一人の方が好きなタイプ? 嫌だったら言ってね! マジで遠慮しないで」
柚子の表情は深刻だ。澄空は言葉に詰まってしまった。一人の方が好きだ。だが、そうは言われてもやはり断りにくい。
「え……っと……、その……一人の方が好き……ですね……」
散々悩んだ挙句正直に答えようとすると、柚子が小さく頷いているのが見えた。彼女のその顔を見た瞬間、自分はとんでもなく愚かな選択をしてしまったのだということに気付く。
「急にごめんね! それじゃ……」
「あの……でも嫌じゃないです!」
柚子の言葉を遮って、澄空は思いきって声を上げる。あまりにも急だったので声量の調節ができず、かなり大きな声を出してしまった。柚子と巴は驚いた顔をしている。澄空の顔は真っ赤に染まった。何やってんだ僕! 恥ずかしい……!
「ありがと! オッケーじゃー一緒に帰ろー。巴バイバーイ」
「バイバーイ」
巴が挨拶を返す。柚子は巴に手を振るとさっさと教室を出ていった。信じられない思いで教室を出ようとすると、「スカイ氏バイバーイ!」と巴に声をかけられ、ビクッとしてしまった。
「ま、また明日……」
先程とは打って変わってか細い声で挨拶を返し、柚子を追いかける。こんなこと、本当にあるんだ……。
「さっきは急にごめんねー。私前も椿……一橋さんにグイグイ行きすぎて引かれたことあるんだ」
「エッ? あっ、そうなんだ」
またもや急に話しかけられて、澄空は素っ頓狂な声を上げてしまった。咄嗟に上手く返せなかったことを後悔する。なんだ、そうなんだって!
柚子は自虐するように小さく笑っていた。まったく雰囲気の違う二人が仲良くなったきっかけは少し気になっていたので、澄空はこっそり納得していた。陽キャはすごいや。
「ねー、漫研ってどういうことしてるの?」
「えー……っとー……」
柚子がふと質問する。澄空は唸った。なんと答えればいいのだろう。
「漫画研究部、でしょ? どういう風に研究してるの?」
柚子は本当に興味があって質問している様子だった。無論、大した活動はしていない。澄空はちょっぴり申し訳ない気持ちになりながらも答えた。
「……みんなただダラダラ漫画読んでるだけだよ。僕は読むより描いてることの方が多いけど……」
「へー! さっきみたいな絵を描くの? それとも漫画描いてるの?」
「……絵の方が多いかな。漫画もたまに描いてるけど、難しくて。話も考えなくちゃいけないし、動きのある絵とかいっぱい描かなくちゃいけないから」
「なるほどー。どういう絵をよく描くの? やっぱ人間? さっきのメイドと執事、めっちゃ上手かった」
柚子の質問は止まらない。澄空は若干気圧されていた。褒められ慣れていないので、礼すらスマートに言えない。
「え、あ、ありがとう……うん、人間が描きやすいかなぁ……」
「ふーん……そういうのってさ、漫画とか読んでてこういう風に描いてみたい! って思うところから始まるの? それとも、周りの人たちを見てて、こういう人たちを自分の絵にしたい、って思うの?」
「えっ、あー、どうだろう。人によるとは思うけど、やっぱり最初は漫画かなぁ。慣れてきたら、実際に周りの人を自分の絵柄で描いてみたいって思うようになるかもしれない」
「なるほどねー。じゃあ、好きな漫画に絵が似たりとかする?」
「あ、うん。影響されてると思うよ」
「そっかー! 面白いね」
「あは、そうかな」
澄空は乾いた笑いを漏らしながらそう返すと、チラッと柚子を見た。
「……藤原さんの方が、僕なんかよりずっと漫画を研究する意欲があるね」
「ふふ、そうかも。私あんまり漫画読んだことないから、なんか新鮮なんだよね」
「あんまり漫画読まないって、そんなこと本当にあるんだ……」
「最近借りてちょっと読んでるんだけどねー」
柚子が無邪気に笑う。そこで、澄空は自分がもう学校の校門を出ていたということに気がついた。藤原さん、すごい。会話が途切れない!
「少年漫画ばっかり借りてるんだけど、遠山くんはどういうのが好きなの?」
「あー……」
思わず返答に詰まる。人気の少年漫画は読んでいるが、澄空が特に好きなのは可愛い女の子たちが活躍する漫画やアニメだ。悩んだものの、結局これは言わないでおくべきだと判断した澄空は無難な返事をした。
「僕も少年漫画が多いかな」
「そっかー。私少女漫画もほとんど読んだことないからおすすめあったら聞きたかったんだけど、なんか知ってたりする?」
「えっ……あー……あんまり……分かんないや。でも百人一首のやつとか、結構有名だよね」
「あー、そういえばなんか映画やってた!」
やっぱり違う世界の人だ。こんなに漫画を知らない人がいるなんて。漫研の人たちとは全然違う!
漫画の話をしているうちに新葉駅が近づいてきた。すぐ近くに住んでいるのだという柚子が、別れ際に思い出したように声を上げた。
「そだ、遠山くんFINE聞いといていい?」
今後、猷秋祭の準備で連絡を取り合うこともあるだろう。連絡先は交換しておいて損はないはずだ。
だが、澄空はFINEを使っていなかった。家族との連絡には電話番号を介してのメッセージアプリで事足りる上、必要性も感じないのでアプリ自体をダウンロードしていない。
「あ、僕FINEやってないんだ……」
恐る恐るそう答えると、柚子は目を瞬いたが、思ったほど驚いた様子はなかった。
「そうなんだ。え、なんかこだわりとかある?」
「いや……そういうのはないよ」
「じゃあ……ダウンロードしてもらってもいい? 多分今後グループで話すこともあると思うし」
本当は、FINEを使うことによって自分がいかに周囲に溶けこめていないのかが浮き彫りになる気がして、怖くてダウンロードすることができなかった。どうせほとんど使わない。ただ友達の少なさを思い知らされるだけ。
でも、クラスどころか学年で、いや、学校で一番目立っている人気者の彼女にそう言われたら、断ることができなかった。彼女がそう言ってくれるくらいなのだから、他のクラスメイトたちともFINEができるかもしれない。もっと話せるようになるかもしれない。巴に唐突につけられたスカイ氏という渾名も、悪くないと思っていたところだったのだ。
「……分かった」
澄空はそう言って頷くと、アプリをダウンロードして、自分のデータを作り始めた。個人情報を入れ、データの作成が終わったところで、柚子とプロフィールを交換し合う。アプリのトップ画面に、「ゆずこ」という名前が載った。
すると、一件の通知が届いた。見れば、早速柚子が何かメッセージを送ってきたところだった。なんだろうと思いながらメッセージを確認すると、そこには人気キャラクターであるシマリスの金ちゃんがチラッとこちらを盗み見ているようなイラストが浮かび上がっていた。いわゆるスタンプと呼ばれるものだ。
「へへ」
画面をじっと見つめている澄空を見て、柚子が照れたように声を漏らした。顔を上げた澄空は、柚子がすぐ目の前にいることに気がついて固まってしまった。近い。体のどこかが当たっちゃう! 柚子は硬直している澄空の顔を真っ直ぐ見て、悪戯っぽく笑った。
「一番乗り」
その瞬間、澄空は心臓を撃ち抜かれていた。
「じゃあまた明日ね! バイバーイ」
柚子は鈴を転がすような声で朗らかにそう言うと、絹のような髪を揺らしながら風に乗って軽やかな足取りで去っていった。
やっぱり彼女は違う世界の人だ。いや、人なんかじゃない。妖精だ。天使だ。だって、まず顔がすごく可愛い。声も可愛い。動きも可愛い。そして優しい。僕みたいな地味でオタクの陰キャにも優しい。それに、めちゃくちゃいい匂いがする!
「いい匂いした……」
駅前で一人立ち尽くしていた澄空は、思わずそう口に出していた。
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