腕なし様(4)
「え……?」
咲也は白玉が落ちたことに気付いていない。相変わらずスプーンを口の前に持ったままショックで固まっている。
「自分でも詳しいことは全然分かってないんです!」
柚子は、何かを言おうと口を開いた咲也を遮るように早口で言った。それから、嫌なことは先に済ませてしまおうとでも言うように続けて説明する。
「力に目覚めたのもつい最近で、前世の記憶もありません。あきらさんとぐっさんに見られて、団長に陰陽団に勧誘されて……。母が……母が私を連れ戻そうとした妖怪に殺されたので、陰陽師になると決めました」
咲也の顔色が変わった。
「団長に勧誘された? 団長は、柚子ちゃんが白面金毛の娘だって知っていて勧誘したってこと?」
「そうです」
柚子が頷く。先程までの驚いて声も出ないといった様子とは打って変わって、咲也は深刻な表情をしていた。スプーンもお盆の上に戻っている。
「ええと……ちょっと頭が追いついてないんだけど……」
「……すみません」
柚子は小さな声で謝ると、まだ手をつけていないあんみつに視線を落とした。抹茶アイスが溶け始めている。
「……もし本当なら、すごく興味深いね」
咲也は低い声で呟いた。柚子が咲也の方を見ると、彼は真面目な顔をしていた。
「……柚子ちゃんの正体を知っている人は、他に誰がいるのかな」
咲也が問う。
「団長とあきらさんとぐっさん、勝元です。あと、事情があってもう一人知ってるって団長言ってたような……」
柚子は八郎に言われたことを思い出しながら答えた。そのもう一人については、特に何も教えてもらっていない。
「勝元くん以外のみんなは、知らないんだね」
「……はい」
「……まあそりゃそうだよね」
咲也が小さく笑う。
「すみません……」
柚子はもう一度言って頭を下げた。勢いで本当に正体をばらしてしまった。今になって後悔が押し寄せてくる。この衝撃的な事実を知ってしまった者は、目の前の少女が現在この世で最も危険視されている妖怪であると受け入れることを強制されるだけではなく、この秘密を守ることをも強いられるのだ。
自分のことしか考えていなかったと、柚子は申し訳ない気持ちになった。言わば、共犯者になれと言っているようなものだろう。
「……もう一人の人は……多分、宗勝村さんだと思うよ。風煌宗の当代座主で、風隊の隊長さん。陰陽団は形式上団長がトップだけど、実際は二人でナンバーワンみたいなものなんだ。何か決める時も、最低でも二人で話し合ってるからね」
「……勝元のお父さんですか?」
柚子はそう言って咲也を見上げた。本人から直接聞いたわけではないが、研修旅行を経て、勝元が風煌宗の和尚の息子であるということはなんとなく察しがついていた。
「そう」
咲也が頷く。そこで柚子の脳裏にはある考えが浮かんできた。もしかして、自分から正体を明かさなかったとしても、勝元は父親から柚子の正体を知ることになっていたのではないだろうか。わざわざ特別に白面金毛の娘とペアを組まされたのだから。……でも、もしそうだとしたら、一体何のために?
「……僕はね。よくお人好しって言われるんだ」
咲也が言う。柚子はハッと我に返ると、咲也の顔を見つめた。
「それは……自分の長所にもなるとは思うんだけど、そのせいでちょっと痛い目を見たこともある。……本当にちょっとだけだよ」
柚子が驚いた顔をしたので、咲也はお茶目にそう付け加えてウインクした。
「それでも僕は、目の前の人が僕を騙そうとしているなんて思いたくない。調べて分かることならいくらでも疑えるけど、人の心はどうやったって本人にしか分からないからね。それをわざわざ邪推したりするのが、本当に苦手なんだ」
咲也の言葉に、柚子は思わずぎゅっと拳を握りしめた。目頭がじんわりと熱くなってくる。瞬きをしたら涙が溢れてしまいそうだ。
「だからね、柚子ちゃん。僕は君のことを信じるよ。君は、妖怪を倒したくて陰陽師になったんだね」
「はい。そうです」
咲也は、柚子を真っ直ぐに見つめていた。咲也の柔らかい瞳の中に、自分の顔が映っているのが見える。
「……ありがとうございます」
柚子は、深く息を吐くようにしてそう言った。申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいだ。それに加えて、頼りになる仲間ができたことへの喜びの感情もあった。
「どういたしまして」
咲也は穏やかな声でそう言うと、苦笑して続けた。
「……まあ、正直に言うと……学者として君の存在に強く興味を惹かれてしまったっていうのもあるんだけど……」
「それは……全然、いいですよ」
柚子は笑顔で返した。信じてもらえただけで十分だ。
「聞きたいことがあったら言ってください」
「はは……ありがとう」
咲也はばつが悪そうに笑った。それから、ギョッとした顔をして慌てて声を上げる。
「わー! アイス溶けちゃってるね。とりあえず食べよっか」
「あ、ほんとだやばい。そうですね」
咲也の言葉に柚子も頷いて、急いでアイスを掬った。
やがて、抹茶あんみつを食べ終えると、店員がお代わりを注いでくれたお茶を飲みながら、柚子はゆっくりと口を開いた。
「それで、腕なし様についてなんですけど……」
「そうだ、すっかり忘れてた。どうしたのかな?」
「……実は、昨日『腕なし様』をやったんです」
柚子がそう言うと、咲也は「ええっ」と声を上げた。
「最後まで?」
「いえ、途中でやめました」
「そっか、よかった……」
咲也はホッとした声を出した。しかし、本題はここからだ。
「……でも中断した時、一緒にやってた椿に何かが取り憑いて、『続けろ』って言ってきたんです」
柚子の言葉に、咲也は目を剥いた。
「椿ちゃん、大丈夫だったの?」
「あ、はい。あの後お祖父さんに診てもらって、異常はなかったって言ってました。後遺症みたいなのもないって……」
「……それならよかった」
そう言いながらも、咲也の表情は不安げだ。柚子は続けた。
「腕なし様なのかなって思うんですけど……腕なし様は私に『貴様のせいだ』って言ってきたんです。『貴様のせいで我は』って何かを言いかけたんですけど、その先は聞けなくて……」
咲也は黙って話を聞いている。柚子は続けた。
「みんなは私が儀式を中断させたのでそのことを怒ってるんだと思ってるんですけど、絶対違うと思うんです。なんか……すごく怒ってるのが伝わってきて……私のことを心から憎んでいるって感じでした。だから、もしかしたら過去に白面金毛の娘が腕なし様に何かしたんじゃないかって思って……」
「うーん」
咲也は首を捻って唸り声を上げた。
「白面金毛の娘との話は、やっぱり知らないなぁ……」
「そうですか……」
柚子が残念そうに言うと、咲也は小さく微笑んだ。
「でも、ちょっと気になる点もあるね。……柚子ちゃん」
「はい」
咲也に名を呼ばれ、柚子は背筋を伸ばして返事をした。
「腕なし様と脚なし様って聞いて、柚子ちゃんはどう思った? 僕はね、ちょっと面白いなって思ったんだ」
そう言って笑う咲也を見て、柚子は首を傾げつつ答えた。
「なんかそういう……似たものを指す言葉が、地域とか時代によって変わるみたいなのはよくあることなんだな、って思います」
「お、いいね。じゃあ、腕なし様と脚なし様は同一人物だと思う? 別人だと思う?」
咲也の質問に、柚子は面食らった。初めてその二つの名を聞いた時はなんとなく別の存在のように感じていたが、よく考えると少しおかしい。
「んー、同一人物……だとは思うんですけど、腕がない時があると脚がない時があるっていうのがピンと来ないです……」
「じゃあ、ヒントをあげよう」
咲也はそう言って、ニコッと笑った。
「同一人物なのは合ってるよ。ついでに言うと、腕がない時と脚がない時があるわけでもない。脚なし様——腕なし様で統一しよっか、腕なし様はいつでも腕と脚がない」
「えっ?」
柚子は思わず大声を上げた。何それ、どういうこと? どういう存在? 柚子の頭の中では、険しい顔をした
「はは、難しかったかな。答えを教えてあげよう。腕なし様はね、蛇なんだよ。白い蛇の神様なんだ」
咲也の言葉を聞いて、柚子は一瞬考えてから、「あっ!」と声を上げた。
「そっか、腕も脚もない……!」
「そうそう。どうしてそんな呼び方になったのかは分からないけどね。不気味な名前にして生徒に遊ばせないようにしたのかなぁ……今の時代、むしろそういう呼び方はマイルドにされそうなものだけど……」
咲也は呟きながら、目を閉じて考えこむような顔をした。
「……新葉区は埋め立て地も多いけど、水地の辺りは昔からある土地だよね。あの辺りに、言い伝えみたいなのがあってね」
「はい」
咲也が説明を始める。柚子は頷いた。
「昔水地に小さな集落があって、そこに住む人たちは白い蛇の神様——つまり腕なし様を祀ってたんだ。あ、その頃は腕なし様とは呼ばれてないよ。それで、集落の人たちは、腕なし様ととある契約を結んでいた。年に一度生贄を捧げる代わりに、この村を守ってもらうっていう契約を」
「……」
柚子は顔を青くして黙っていた。やはり、あれは生贄で間違いなかったのだ。
「生贄として捧げられていたのは、牛や馬の家畜、それから女の人。女の人っていうか、女の子だね。……この辺はまあいいや」
咲也はそう言って小さく頭を振った。
「腕なし様は
咲也はそう言うと、お茶を飲んで喉を潤してから続きを話す。
「だけど、ある日その小さな集落は滅びてしまった。まあ、当時にしたら特別珍しいことではなかった。でも、その集落には水神の加護があったはずだからね。腕なし様よりもっと強大な力を持つ何かに襲われたとしか考えられないんだ」
「腕なし様の怒りを買って滅ぼされた、ってわけではないんですか?」
柚子が問うと、咲也はニッコリと笑った。
「いい質問だね! その可能性は高いし、実際僕もつい最近までそれが原因だと思ってた」
咲也の言葉に、柚子はなんとなく嫌な予感がした。
「その集落には生き残りがいたんだ。偶然集落の外に出ていた男の人が一人いてね。彼は村に帰って惨劇を知って嘆いた。どうにかしようとしたけど、自分一人の力では生贄を用意できない。結局彼は諦めて、故郷を捨てて別の村へと逃げたんだ。でも逃げた先でも腕なし様の祟りを恐れて、毎晩腕なし様に生贄を捧げる儀式の手順を呪いのように呟いてやがて病死した、っていう話が残っている」
咲也はそこまで言い終えると、険しい顔をしている柚子を見つめた。
「恐らく、『腕なし様』のおまじないはこの話がどんどん形を変えて伝わっていったものなんだろうね。かなり昔の話だからすごいことだと思うよ。一応調べれば本来の儀式がどんなものだったのかっていうのは分かるけどね」
そう言うと、咲也の声の調子が変わった。
「ところで、なぜ腕なし様の祟りではなかったってことになるのかって話なんだけど……」
「はい」
「ちょっと話が変わるんだけど、柚子ちゃんは白面金毛がいつ日本に来たか知ってるかな?」
「平安時代じゃないんですか?」
柚子が言うと、咲也は首を横に振った。
「白面金毛は、奈良時代に日本に渡ったと言われているんだ。遣唐使の
「はい、習いました」
「うんうん。白面金毛は
「へえ……」
柚子は息を吐くように囁いた。
「日本にやってきた白面金毛はやがてどこかに身を隠して力を蓄えた。これがどうも、水地周辺だったんじゃないかという説が出てるんだ」
「えっ?」
柚子は素っ頓狂な声を上げてしまった。こんな偶然があるだろうか。それとも……必然?
「更に、さっき話した集落が滅びてしまった頃と白面金毛が日本にやってきたとされる時期は実は合致する。あれも奈良時代の話なんだ。だから、僕は集落は白面金毛に滅ぼされたのではないかと推測しているんだ。この世で最も恐れられた妖怪には水神も敵わなかったんじゃないか? って」
「え? じゃあ……」
柚子が口を開くと、咲也は頷いた。
「さっき僕が気になるって言ったのはこのこと。腕なし様は、白面金毛を憎んでいるんじゃないかな? 信仰がなくなると神様は神格を失い、力も弱くなる。だから集落の人々を襲った白面金毛に対して怒っているのかもしれない。お前のせいで自分は力を失ったんだ! って」
「でも……」
柚子は口ごもった。腕なし様は、白面金毛の娘ではなく白面金毛に対してあんなに怒っていたのだろうか。どうもしっくり来なかった。あの時は確かに、自分に対する強い怒りを感じたのだ。
「集落が滅ぼされた後の腕なし様の行方は不明だった。だけど、椿ちゃんに取り憑いたのが本当に腕なし様だったとしたら……腕なし様は弱ってはいたけど、やはり死んではいなかったんだな。でももしかしたらもう神様ではないかもしれない。既に妖怪へと堕ちている可能性も高い。一度力を失ってしまったんだし、白面金毛を憎む心から妖へと転じていても不思議ではない……」
「弱っていても、人に取り憑くことは可能なんですか?」
自分に言い聞かせるようにして語る咲也に、柚子は心配そうな顔をして言った。
「うーん……」
咲也は目を閉じて、指でテーブルをトントンと叩きながら唸った。必死に考えを巡らせながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「これは前から考えてたことなんだけど……腕なし様は、徐々に力を取り戻していたんじゃないかな」
「どうやって……」
柚子はテーブルの木目を見つめながら呟いた。
「……『腕なし様』のおまじないでかな」
咲也が言うと、柚子は驚いて顔を上げた。
「あれはかつての腕なし様に生贄を捧げる儀式を模したものだから、あのおまじないをすることによって腕なし様に何かを捧げていることになっているんじゃないかと思うんだ」
「……そういえば、椿が『どうぞ』って言ってないから捧げたことにはなってない、って言ってた……」
ふと思い出したことを口にすると、咲也は嬉しそうに微笑んだ。
「みんな頭がいいね。その通りだよ。……参考までに聞きたいんだけど、昨日は何人で『腕なし様』をやろうとしてたの?」
「えっと九人です」
柚子が答えると、咲也は苦笑した。
「だいぶ大人数だね。でもやっぱりそうなんだろうな。腕なし様は多分、『どうぞ』と言った人たちから生気を吸い取っていたんだ。……生贄の価値に相当する分の生気を」
「え……?」
柚子は愕然として咲也を見上げた。咲也は真面目な顔をして頷く。
「言葉っていうのは本当に恐ろしいものだね……『どうぞ』と言うことで腕なし様に何かを差し出すことになっちゃうんだから。腕なし様的には、憎き白面金毛の娘が現れて、しかも大勢の人間が自分に力を捧げるのを止めようとしたものだからこりゃ黙っちゃいられない! って感じだったんじゃないかな」
「そ、そんな単純な理由で出てくるんですか……?」
柚子は思わず呆れた声でそう言ってしまったが、咲也は「神様や妖怪っていうのは結構単純なものだよ」と返した。
「……おまじないをした生徒が死んでしまったという噂も、もしかしたら本当のことだったのかもしれないね。元々体の弱かった子ならありえるかもしれない……」
咲也は小さな声で悲しげに呟くと、しっかりとした口調で言った。
「……白面金毛と『腕なし様』の関係について、他にも何か分かったらまた柚子ちゃんにも伝えるね」
「はい。……ありがとうございます」
「どういたしまして」
テーブルに額がつきそうなほど深く頭を下げた柚子に、咲也は困ったような笑顔を浮かべてそう言った。それから、お洒落な腕時計をちらっと見て時間を確認する。
「長居しちゃったねー。帰ろっか。あんみつ美味しかった?」
咲也がそう言って立ち上がる。柚子も椅子から立ち上がった。
「美味しかったです! 本当にありがとうございました。このお店また来ます!」
柚子が嬉しそうに言うと、咲也はパッと顔を輝かせた。
「ほんとー? よかったー! お気に入りのものを誰かに気に入ってもらえるのってすごく嬉しいよね!」
「咲也さんってかっこいいよね……」
基地に戻った柚子は、寮の部屋に向かう前に寄った食堂で勝元を見かけたため、隣に座ってぼんやりとそんなことを呟いた。
「あれはマジのイケメンだよねー」
勝元はのんびりとそう言いながらカキフライを頬張る。
「顔だけじゃなくて性格もかっこいいよ」
柚子は熱っぽい声で言った。勝元は柚子の様子がどこかおかしいと気付いたらしい。
「……柚ちゃんどこ行ってたの? 晩飯は?」
「んー、いらない。あんみつ食べてきた」
「え、今? 誰と?」
「……咲也さん」
柚子の答えを聞いた勝元の表情が、みるみるうちに変わっていく。
「え……柚ちゃん、一回り以上年上の人がタイプなんですか……?」
愕然とした顔で言う勝元に、柚子は思わず笑い声を上げた。
「そんなんじゃないってばー! かっこいいなーって言っただけ!」
楽しそうにそう言ってから、柚子は声を落とした。
「……腕なし様のこと話してたんだけど、流れで私が白面金毛の娘だって言っちゃった」
「え、マジ? 大丈夫だったの?」
「……まあ、一応は」
動揺している勝元にそう言って頬杖をつく。それから先程のカフェで過ごした時間を思い出して、柚子は小さく微笑んだ。
「団長は、何を考えているんだろう……」
咲也は部屋の中でパソコンに向かって呟いた。
八郎は、やはり何かを隠している。そして、何かを企んでいる。白面金毛とその娘にまつわる何かを。
——疑問に思ったことはありませんか?
——咲也さんなら真相に辿りつけると思うんです。
咲也の頭の中では、つぐみに言われた言葉がぐるぐると渦巻いていた。
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