腕なし様(1)

「いや、僕剣は扱えないよ」

「ええっ」

 あっけらかんとして言ってみせた八郎に、柚子は悲痛な声を上げた。

 研修旅行であきらから貰ったメモには、剣術に関して何かあれば八郎に聞くようにと書いてあったし、桐真も八郎に聞いてみるといいと助言してくれた。今日こそはぜひ八郎に剣の振るい方について教えを乞おうと思っていたのに、期待外れな結果となってしまった。

「祖父が剣を作っていたのはほんとだけどね……天叢雲剣を作ったのも祖父だ」

「……そうなんですね」

 八郎は溜息をつきながら言った。柚子はひとまず相槌を打った。

「でも、僕は武器は使えない。……赤塚くん、僕に君の世話を押しつけようとしたんじゃないの?」

「そ、そんなことあります……?」

 柚子は困ったように言った。八郎は姿勢を正して胡坐を掻き直してから、真剣な顔をして柚子を見つめた。

「何か問題でもあったのかい」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」

 柚子は首を横に振って続けた。

「大丈夫そうではあるんですけど、せっかくなので聞いておこうと思ったんです」

「そう」

 柚子の答えに、八郎はつまらなそうに答えた。

「別に大丈夫だとは思うけど、心配ならちょうどいい。今日君たちにはある先輩たちと顔合わせしてもらう予定なんだ。彼女になら、頼めるかもしれないね」

 八郎がそう言ってにやりと笑う。柚子は目を瞬いた。



 他の智陰陽師たちは既に部屋に集合していた。八郎の部屋から戻った柚子は、部屋に入ると早足で勝元の隣までやってきて席についた。

 正式に陰陽師となった柚子たちは、週五日でこの教室風の部屋に集合することになっている。まずはそこで連絡事項を聞いてからそのまま座学を受けるか、あるいは各自訓練に励む。今のところ妖怪退治の任務に就いたのは、まだ雪女の時の一度だけだ。

「なー、お前らどっか暇な日ねえ?」

 柚子が座ったのを確認してから、翼が一同に声をかけた。

「どうしたの?」

 椿が尋ねる。翼は少し悩んでから、言いにくそうに切り出した。

「なんかあいつらがまたお前らに会いたいらしくてさ……」

「あいつら?」

 翼の隣に座る沙也香が怪訝な顔をする。それを見て、翼は「あー」と声を上げた。

「天野と都は知らねえよな。まあ……俺のダチのことなんだけどよ」

 翼は微妙な顔をして言った。椿の前で不良仲間たちを友人と呼ぶことに少し抵抗があるのかもしれない。

「なんか、都市伝説? みたいなのが気になるらしくってさ。今までは信じてなかったけど、あいつらあの一件で妖怪も信じるようになったから、もしかしたら都市伝説も本当にいるんじゃないかって言い始めてよ。都市伝説も妖怪みたいなもんだろ?」

「都市伝説も妖怪みたいなもんっていうか、妖怪だよ」

 翼の質問に、勝元がはっきりと答えた。

「要は人間の恐怖心が何らかの形で具現化してるんだから、現代に生まれた妖怪ってことで間違いない。なぜか区別されて呼ばれてるけど」

「へー」

 勝元の説明に、柚子と翼は感心したような声を上げた。

「新しいとは言っても、生まれたのも一昔前よね。今の人たちはもうそういうものを信じないし……」

 椿がそう付け加えた。

「でも最近、信じる人地味に増えてきてるよー」

 沙也香が言う。一同が驚いた顔をすると、沙也香は小さく笑った。

「前に柚子と宗くんが倒したっていう狂骨って妖怪。あれ、表向きには不審者が出たってことになってたけど、実際は妖怪だったって噂が広まってるんだよね。で、なんでそんな噂が出たのかって言うと、出現したのが一年三組で教室に残ってた人たちはその姿を見てるから」

 そういえば、教室から逃げていく人たちを見て気付いて駆け出したんだった。柚子はその時のことを思い出して小さく頷いた。

「三組の子たちは口止めされてたみたいだけど、まあ話すよね。それで地味ーに話は広がってて、ネット上でも若干広まってる」

「怖いなー現代社会……」

 勝元が他人事のように言う。

「あと、ムーンアイランドに行った時も古山茶の姿を見た人結構いたし。極めつけは雪女だよね。あんな異常気象おかしいじゃん。この辺の情報が錯綜してて、どうもこれも妖怪の仕業だって思ってる人はそれなりにいるみたいだよ。新葉区に住んでる人は特に」

 沙也香の説明に、柚子は少し不安になった。妖怪が現れた事件の半分以上は自分の存在が原因のようなものではないか。

「もしかしたら、本当は妖怪を見たことがあるけど、見たことに気付いていなかったとか、怖くて見なかったことにしたとか、そういう人も結構いるのかもしれないわね」

 椿が言う。

「なるほどね……」

 その言葉を聞いて、柚子はぼんやりと呟いた。

「まあそういうわけで、あいつらは都市伝説が本当にいるのか確かめてみたいらしくてさ」

 気を取り直して翼が話を戻す。

「マジだったらちょっとこええから、何かあった時のために天才空手少女たちと一緒にやりたいんだと」

「まだそれ言ってるの……」

 翼の言葉に、柚子は思わずうんざりした声を上げてしまった。

「天才空手少女って何?」

 沙也香が興味津々の様子で身を乗り出す。柚子は首を横に振りながら「なんでもないよー!」と誤魔化した。

「っていうか、あの人たち柚ちゃんにまた会いたいだけなんじゃないの?」

 勝元が呆れたように言う。

「……まあ、それもあると思う……」

 翼も何とも言えない顔をしてそう言った。

「……時間ある時ならいいけど」

 柚子は少し不機嫌な声で返した。

「でも、そうも言ってられないわ」

 椿が厳しい声を上げた。

「私たちは陰陽師の座学や訓練で忙しいし、月末は中間試験よ。勉強しなくちゃ」

 その言葉に、勝元と翼が思いきり嫌そうな顔をした。

「まだよくない?」

 勝元が抗議の声を上げる。

「あと三週間しかないのよ」

「三週間あるじゃねえかよ」

 同時に声を上げた椿と翼を見て、柚子たちは笑い声を上げた。椿が大きな溜息をつく。

「でも実際あんま勉強する時間ないし、試験終わってからのが気は楽だよね」

 柚子はそう言うと、スマートフォンを取り出してカレンダーアプリを起動した。

「確か、試験最終日が休みだったと思うんだけど、その日は? テストの日って早く帰れるよね。第一って試験いつ終わる?」

 柚子が尋ねると、翼は「あー……」と唸りながら目を瞑って考えた。

「水曜だったかな……」

「あ、じゃあ一緒じゃん」

 柚子はカレンダーを見て嬉しそうに声を上げた。

「じゃーその日頼んでもいいか?」

「別にいいよー」

「まあいっか」

 勝元と沙也香が答える。椿も頷いた。

「サンキュー」

 翼はそう言いながら、先程からずっと黙っている涼介の方を向いた。

「都は?」

「ん?」

 涼介はたった今気がついたというように顔を上げた。何か考えごとでもしていたのか、表情が微かに険しい。涼介は一瞬考えてから、口を開いた。

「ごめん、今は行けるか分からないからまた近くなったら言う」

「オッケー。わりいな」

 翼は軽い口調でそう言った。

「正直あいつら藤原が来れば満足だと思うけどな」

「えー、みんなも来てよ!」

 柚子が堪らず大声で言ったその瞬間、「やあ、遅くなって申し訳ない」という声と共に襖が開いた。一同が前を向く。ちょうど八郎が部屋に入ってきたところだった。

「あれ? 団長?」

 勝元が声を上げる。

「はい、団長ですよ」

 八郎はふざけてそう返すと、ニヤッと笑った。

「全員集まってるかな? よし。今日は訓練の前に、顔合わせしてもらいたい人が二人いるから連れてきたよ。一人とは僕もさっき久しぶりに顔を合わせたばっかりなんだけどね。それじゃ、入っていいよ」

 八郎が部屋の外に向かって声をかけた。開いたままの襖から二人の人物が入ってくる。一人は長い髪を明るく染めた女性で、もう一人は黒髪の男性だった。女性より少し年上に見える男性を見て、柚子は目を大きく見開いた。今までに見たことのある男性の中で一番顔立ちが整っていたのだ。スタイルもよく、まるで芸能人のような出で立ちだ。後から入ってきた男性は襖を閉めると、高校生たちに向かって爽やかに微笑んだ。

「じゃあ、自己紹介よろしくね」

「はい」

 八郎の指示に、二人は頷いた。

「こんにちは! えー、梅津つぐみです。産休と育休で休んでたんだけど、今日付けで復帰しました。少し体が鈍っているので、復帰に伴って月隊所属にしてもらいました。しばらくは現場に出ずに訓練したり事務仕事をしたりします。よろしくね!」

 そう言って、つぐみは朗らかに笑う。一同は「よろしくお願いいたします」と返した。

「陰陽団は、できるだけみんなの希望に応えるホワイト組織です」

 八郎は自信たっぷりに言った。

「でも、これからは大丈夫なのかい?」

「はい! お気遣いありがとうございます。次に主人が育休を取ったので、とりあえずは大丈夫だと思います」

 つぐみは元気よく返した。愛想がよく、快活な人だということが見て取れる。柚子は自然と笑顔になっていた。

「梅津くんはこう見えても剣術の達人だからねー。めちゃくちゃ強いよ」

 八郎の言葉に、つぐみは恥ずかしそうに笑った。

「いや、でも、ブランクがあるので。しばらくは訓練に励みます」

 はにかみながらそう言うつぐみを見て微笑んでから、八郎はつぐみの隣の男性に声をかけた。

「それじゃ、日下部くんも」

「はい」

 男性が返事をする。柚子は無意識に姿勢を正した。

「こんにちはー。日下部咲也です。月隊所属だけど、僕、ほんとに一切戦えないんだ!」

 にこやかに笑ってそう言ってのけた咲也に、一同は「ええっ?」と声を上げた。

「ははは。僕はこれでも学者でね、妖怪や妖怪にまつわることについていろいろ研究していて、知識を提供する形で妖怪との戦いに貢献しています。復帰したつぐみちゃんと、新しくパートナーになりました。仲良くしてねー」

「そういう人もいるのね」

 椿が小さい声で言った。

「この色男もかなりの切れ者だからね、僕も頼りにしているよ」

「はは、色男って……」

 八郎の言葉に咲也は苦笑した。

「さて、それじゃあ顔合わせ終了だ。あとはみんな、就業時間後にお喋りしてね。訓練にかかっていいよ。そしてこれは提案なんだけど、翼くんはぜひ梅津くんに剣術を教えてもらったらどうかな? よければ、柚子くんも」



 八郎に言われた通り、柚子と翼はつぐみに指導してもらうために道場に移動した。なるほど、八郎の言っていた先輩とは彼女のことだったのだ。

「よろしくお願いしまーす!」

 つぐみが陽気に言う。

「おねしゃーす」

 翼が言う。

「よろしくお願いします!」

 柚子が頭を下げる。それを見て、つぐみは「気楽に行きまっしょ!」と笑った。

「二年くらい新人の子が入ってなかったけど、今年は多いんだねー。いやー、嬉しいね! 頑張ろうね!」

「あの、つぐみさん」

「はーい?」

 柚子が声を上げると、つぐみは笑顔でこちらを見た。

「私、刀じゃなくて剣を使ってるんです。団長につぐみさんなら教えてくれるって言われたんですけど……」

 柚子の言葉に、つぐみは一瞬固まったように見えた。それから、ちょっぴり申し訳なさそうな顔をして控えめに微笑む。

「え……っと。団長、私のこと買いかぶりすぎじゃないかなー。ごめんね、剣を使ったことはないんだ」

「……そうなんですか」

 柚子は落胆の感情を抑えきれない声で言った。

「ごめんね。でも、刀と剣の違いは知ってるよ。刀は簡単に言うと叩き斬る武器なんだけど、剣は突き刺す武器なの。だから、斬る動きだけじゃなくて刺すような動きも練習してみたらいいんじゃないかな」

「へー、かっけーな」

 翼が呑気な声を上げる。

「突き刺す……」

 柚子は呟いた。つぐみは大きく頷く。

「私もだいぶ鈍ってると思うから、一緒に頑張っていこう!」

「はい!」



「あれ、都くんもう帰ったの?」

 勝元が声を上げる。訓練を終えて一度部屋に戻ってきた一同は部屋を見回した。つぐみと咲也と話しているうちに、いつの間にか先に出ていってしまったらしい。

「ほんとだ、もういない」

 沙也香が言う。

「はええな」

 翼も驚いた声で言った。

「……」

 柚子は先程まで涼介が座っていた席を見つめた。相変わらず、涼介はいつも忙しそうにしている。研修旅行で少しは打ち解けることができたと思っていたのに。

 もしあの話が本当なら妖怪の話が聞きたいという気持ちもあるが、それよりもまず、せっかく仲間になったのだからもう少し仲良くなりたいと思う。だが、今の彼の態度にはやはりどうしても壁を感じてしまう。

「そういえば、さっき言ってた都市伝説ってなんていうやつなの?」

 沙也香が翼の方を見た。

「なんつったっけ。確か……『腕なし様』だったかな」

「『腕なし様』?」

 一同はおうむ返しに繰り返した。

「なんかちょっと不気味な名前だね」

 柚子が言う。

「聞いたことないなー」

 沙也香も呟いた。すると、ちょうど教室を出ようとしていた咲也が声を上げた。

「『腕なし様』? 『脚なし様』じゃなくて?」

「『脚なし様』?」

 一同は更に素っ頓狂な声を上げた。

「もしかして、誰か水地みずち小学校出身なのかな?」

 咲也が問う。翼は首を横に振った。

「いや、俺のダチが水地出身で」

「ああ、そうなんだ。水地小学校で有名な都市伝説っていうか、おまじないみたいなものだね。昔は『脚なし様』って呼ばれてたけど、今は『腕なし様』なんだねー」

 咲也の言葉に、椿が顔をしかめた。

「脚がなかったり腕がなかったり……ちょっと怖いわね……」

「私も知らないなー」

 つぐみも言う。

「確か、小学校では禁止されてたよ。なんでも、そのおまじないをやって死んでしまった生徒がいたとかいないとか噂があって……」

「えっ」

 咲也の言葉に、一同は仰天の声を上げた。

「君たちも、面白半分でやっちゃだめだからねー!」

 咲也は注意するようにそう言ったが、その顔はまったく怖くなかった。それから咲也はニコッと笑うと、部屋を後にした。つぐみも「それじゃ、またね」と言って部屋を出ていく。

「……」

 柚子たちは、思わず顔を見合わせた。



「それにしても、どうして僕をパートナーに希望したんだい? 僕は戦えないのに……」

 寮に向かって廊下を歩きながら、咲也は少し困惑した様子で言った。更衣室まで歩いていたつぐみは、大きくかぶりを振った。

「戦えないのは今の私も同じです。それに、咲也さんがとても博識で、聡明であることは存じ上げてますから。だから咲也さんを希望したんです」

 つぐみの言葉に、咲也は居心地の悪そうな顔をした。それから、困ったように笑いながら言う。

「はは、そんな大層なもんじゃないよ……」

「咲也さんは、疑問に思ったことはありませんか?」

 つぐみが急に立ち止まった。その顔は真剣そのものだ。咲也は思わずたじろいだ。

「休んでる間、ずっと考えていました。なぜ陰陽団は南北朝時代に創設され、栃木に本部を置いたのか。その時期や土地から連想されるのは、当然殺生石……白面金毛の成れの果てです」

 咲也は、黙って話を聞いている。

「それに、ここ東京支部だって不思議です。団長が住んでいるこの東京支部が、実質本部としての役割を担っている。それには何か理由があるんじゃないでしょうか? 各支部は基本的に妖怪の出現量が多い土地にありますが、なぜ東京支部としてこの新葉区を選んだのか……ここも人が多く、妖怪が出る頻度は高いですが、なぜ渋谷や新宿などのもっと大きくて有名な都市に作らなかったのか」

「……」

「組織を信用していないわけではありません。でも、団長は確実に何かを隠している。咲也さんは、真実を知りたいとは思いませんか?」

 つぐみの言葉に、咲也は唇を噛んだ。同じことを考えたことは、何度もある。だが、それは陰陽団という組織——ひいては、団長である山川八郎を疑うことと同義なのではないかという思いから、ずっと何もできずにいたのだ。

「咲也さんのように知識があって、探究心に溢れた方ならきっと疑問に思ったことがあるはず。それに、咲也さんなら真相に辿りつけると思うんです。その力をお借りしたくて、咲也さんをパートナーに希望しました……すみません」

 つぐみはそう言って深く頭を下げた。そして、更衣室へと足早に駆けていく。咲也は、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

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