愉しい旅行(3)

「それでは、座学を始めます。担当は私、桜庭です。よろしくね」

「よろしくお願いしまーす」

 一同は朗らかに挨拶を返した。厳しいあきらではなく和泉が教えてくれるというだけで、少しは気も楽になるというものだ。初めて出会った時、あきらが柚子の正体を知った瞬間に態度を変貌させたことを思い出す。憎しみのこもった顔で銃を突きつけられたことも、忘れられるはずがない。

「では……今日は陰陽師として戦う上で覚えてもらいたいことを教えます。必要に応じてメモを取ってね。そんなに難しくないから心配せんでいいよ」

 和泉はそう言って微笑んだ。

「まず説明するのは、五行の術について。これは、さっきも言った通り、勝袁さんっていうお坊さんが編み出した技です。勝袁さんが開いた風煌宗っていうのはちょっと変わっとって、陰陽五行思想いんようごぎょうしそうを取り入れた、魔を祓うことに特化した仏教宗派です。この陰陽五行思想っていうのがそもそも陰陽思想と五行思想が結びついた中国の思想なんやけど……」

 柚子は思わず目を瞬いた。既によく分からない。

「勝袁さんは陰陽師でもあったんやけど、ざっくり言うとまず陰陽師っていうのが元々はこの陰陽五行思想に基づいた占いとかをする人たちの役職を指す言葉で、勝袁さんがこの陰陽五行が妖怪に効果的だと知ったことで生まれたって言われとって——」

「全然分かんねえ」

 和泉の早口な説明に翼が正直な声を漏らした。

「——ってわけで、この陰陽団にとってはとても馴染みのある技なんです。使える人はどんどん少なくなっとるけどね。やっぱり風隊に多いんかな?」

 長々と説明していた和泉はそう言って首を捻った。勝元が欠伸をした。

「これもさっき言ったけど、五行の術の五行っていうのは、木行、火行、土行、金行、水行のこと。五行にはそれぞれ陰と陽の二つの特性があって、例えば木行の陰はきのと、陽はきのえ。こうやって順番に、丁、丙、つちのと、戊、かのとかのえみずのと、壬があります。術は全部の行にそれぞれ十個あって、陰と陽で五ずつあります。まあこの辺は、五行の術を使う人が分かっとったらいいね。で、この五行の術には、みんなに覚えてほしい相性が二種類あります」

 和泉はそう言うと、ホワイトボードに矢印のついた五芒星を描いた。そして、それぞれの頂点に漢字を一文字ずつ書いていく。一番上の頂点から時計回りに、木、火、土、金、水。矢印はそれぞれ、木から土に、土から水に、水から火に、火から金に、そして金から木に伸びている。更には、木から火に向かって緩やかに弧を描いた矢印を描き、次は火から土に、土から金にというように時計回りに繋げていった。一見、星のマークが丸に囲まれているように見える。

「まずは相生そうせい

 和泉は、外側の円のような形になった矢印を指差した。

「これは簡単に言うと、この矢印に向いた術とは相性が良くて、より大きな効果を生むことができる関係のことです」

 和泉が矢印を一つずつ指していく。

「火行に木行を重ねるとより強くなる、土行に火行を重ねるとより強くなる……って感じです。ちょっとややこしいけど、逆にやると意味がないので覚えとってね」

 逆は意味なし! 柚子はノートに取った内容の横に大きく書き加えた。

「そして、もう一つが相克そうこく

 和泉は次に五芒星の方を指差した。

「これは逆に、効果を小さくしてしまう関係のことです。土行に木行を重ねると土行の効果は弱くなる、水行に土行を重ねると水行は弱くなる……。そしてこれも相生と同じように、順を逆にすればこうなることはありません」

 柚子は、先程書いた「逆は意味なし!」の下にアンダーラインを二本引いた。

「この二つは、妖怪にとっても効果的なことがあります。例えば、植物の妖怪はこの中の『木』に当てはまるけん、水行を当てても相手を活性化させてしまう可能性がある。逆に金行はその妖怪が防ぐことのできんもので、より大きくダメージを与えることができる。……でもこれは、当てはまる妖怪の方が少ないと今のところ言われてます」

「……覚えるの、結構大変そうだな」

 涼介が呟いた。

「どうしてこれをみんなに説明したのかっていうと、自分が五行の術を使わないとしても、五行の術を使う人と一緒に戦うならこれを理解しておかなきゃいかんから。人任せにせんで、ちゃんと覚えておこうね」

 和泉は真面目な顔で言った。

「はい!」

 一同はしっかりと返事をした。

「よし! それじゃ次は、妖怪についてやね。妖怪とは、人間の負の感情が長い時間をかけて実体化したり、あるいは怨念となって生き物や物体に取り憑いたりしたものと言われています。妖怪の子として生まれてきたものも妖怪。また、稀に神が妖に堕ちてしまうことや、取り憑いた人間の負の感情が大きすぎて逆に取りこまれて更に強大な妖怪となってしまうことがあります」

 柚子は鎌鼬と融合したような姿になっていた敦を思い出していた。彼は、鎌鼬を取りこんだというわけでもなさそうな奇妙な姿をしていた。一体どういうことだったのだろう。

「妖怪にはたくさんの種類があって、強さも種類によって変わります。やけど、人間に被害を及ぼす中級以上の妖怪たちは基本的にみんな人間よりも身体能力が高く、傷を修復する力を持っとるけん、よほど強力な一撃でも与えない限り即死することはほぼありません。また、人間に化けることができる妖怪も多いです。デフォルトで我々人間の方が圧倒的に不利です。やから複数人で協力して戦う」

 和泉の言葉に、一同は固唾を飲んだ。

「まあ例えば戦車とかでドカーン! ってやったら大体の妖怪には勝てると思うけど、妖怪は基本そういうのが使える場所には現れんけん陰陽師が頑張って戦います」

 和泉は無念そうな声で言った。

「……ここにおるみんなは、これからはそんな奴らを相手に戦うということを分かっとって覚悟を決めて来たんよね。それでもやれる力が自分にはあると信じてここまで来た。その思いは、私たちも無駄にしたくない」

 和泉は力強い口調でそう言って、説明を続けた。

「今までに陰陽団が戦ったことのある妖怪は、どんなことをするのか、どんな風に戦えばいいのかっていう記録が残っとるから、みんなは陰陽師になってすぐにその辺りを学ぶことになります。今から説明するのはそれとはちょっと違う、この世で最も恐れられた妖怪について」

 真剣に話を聞いていた柚子は、不意に聞こえてきた言葉に体を強張らせた。

「陰陽団は、いろんな妖怪と戦います。人間を襲ったり、害を与えたりする妖怪を滅するのが我々陰陽団の仕事です。……妖怪が人間を襲うことに大きな意味はないと言われています。人間を襲う理由は捕食……悪戯……あるいは、縄張りを荒らした人間を撃退しようとしとるのかも。でも基本はそんなもので、大きな目的はないとされています。これは妖怪だけではなく、西洋で発見されているモンスターも同様です。やけん陰陽師や他の対モンスター組織の世界では、『目的』を持って行動する存在が恐ろしいとされています」

 高校生たちは、黙って和泉の話に耳を傾けている。

「……過去に、明確かつ邪悪な目的を持っていた妖怪がいたと言われています。その妖怪は、人間を殺し、妖の世を作るという意思の元に行動していた。才気に溢れ、膨大な知力と強大な妖力を持っていたとされる妖怪……それが、白面金毛九尾の狐です」

 柚子は、声を出しそうになるのを必死に堪えた。

「この世で最も恐ろしい妖怪とされた白面金毛九尾の狐は、その名の通り白い顔と金色の毛並み、そして九本の尻尾を持つ狐の妖怪です。九本の尻尾には、それぞれ特別な力が宿っとうと言われる……。白面金毛は、三千年ほど前から悪事を働いていました。彼女は、相手にとって最も愛すべき姿に化けて相手を魅了したと言われています。美しい女性はもちろん、赤ちゃんや男性にも化けられた。白面金毛はかつて中国、インド、そして日本においてその力を使い、美女に化けて権力者に取り入り、国を滅ぼそうとしました。初めてその姿を発見されたのは中国最古の王朝、いんです。白面金毛は妲己だっきという女性に化け、紂王ちゅうおうの妻となり、かつては徳高き支配者であった紂王を堕落させて実際に殷王朝を滅ぼしました。彼女は本当に邪悪で……当時の記録を見る限り、人を殺すことを楽しんでいたとしか思えんような残虐な行いをたくさんしています。例えば……」

 和泉は「殷」、「妲己」、「紂王」とそれぞれの名をホワイトボードに書かながら説明していたが、ピタリと止まって高校生たちを見つめた。

「今ここではやめとくね」

 そう言って和泉が曖昧に微笑む。

「……」

 一同は緊張した面持ちで和泉を見つめていた。

「妲己はやがて正体を暴かれ、討ち敗れます。やけど、ここで重要だと言われとるのは、妲己は紂王を堕落させて殷王朝を滅ぼすこと自体は成功させているということです」

 柚子は瞬きもせずに和泉を見つめていた。

「……この時暴君紂王を討った武王によって創建された周王朝にも、白面金毛は現れました。十三代目の王、幽王を骨抜きにして皇后となった褒姒ほうじという女性が白面金毛です」

 和泉は、ホワイトボードに「周」、「褒姒」、「幽王」と書いた。

「白面金毛の策略によって幽王は殺され、周王朝も滅びました。褒姒も死にましたが、二人の息子である伯服はくふくは生き残りました。後々考えるに、この時白面金毛は息子に化けて逃げ果せたのだと言われています」

 もはや言葉もなかった。

「次に彼女が現れたのは、紀元前五世紀くらいの頃。天竺の摩訶陀まがだこく……今で言うインドにあった国です。白面金毛はここでも華陽夫人という美女に化けて王子の斑足太子はんぞくたいしを魅了し、妻となりました」

 和泉が、ホワイトボードに「摩訶陀国」と「華陽夫人」、それから「斑足太子」の名を書く。

「斑足太子も立派な人やったけど、華陽夫人の魅力によって堕落してしまいます。華陽夫人はやがて正体を暴かれ、逃げていった……摩訶陀国は滅びずに済んだけど、白面金毛の悪名は更に広く知れ渡ることとなりました」

 和泉はそこまで言うと、教室をぐるっと見回した。

「その後白面金毛は日本へとやってきて、平安の頃に玉藻前たまものまえという女性に化け、鳥羽上皇の寵愛を受けます。しかしそれから間もなく鳥羽上皇は病に倒れ、妖狐の仕業だと気付いた安倍泰親あべのやすちかという陰陽師によって正体を暴かれ、逃げていきました」

 和泉はそれぞれ「玉藻前」、「鳥羽上皇」、「安倍泰親」と書きながら説明し、一息ついてから続けた。

「白面金毛は那須へと逃げました。栃木の方ね。そこでも悪さをしとった白面金毛は訓練を重ねた討伐軍によってとうとう追い詰められます。しかし、止めを刺す前に彼女は巨大な石へと姿を変えてしまいます。石は狐の姿に戻ることは一切なかったけど、近づく者の命を奪う強い瘴気を撒き散らしました。結局石には誰も手が出せず、その石は殺生石と呼ばれ、接近を禁じられるようになります。その後、南北朝時代に玄翁さんっていうお坊さんの力によって殺生石はようやく砕かれることになります」

 和泉が大きく「殺生石」の文字を書く。

「え、南北朝時代? そんなに後なのかよ?」

 翼が驚いた声を上げた。和泉は頷く。

「そうなんよ。……それで白面金毛の脅威は消え去ったと言われとったけど、最近新たな事実が発覚しました。白面金毛の娘を名乗る妖怪が現れたのです」

 柚子は瞳を閉じて心を落ち着かせようとしたが、頭の中はパニック状態だった。心臓がバクバクと音を立てている。

「十九年前のこと。突如現れた白面金毛の娘の元に、多くの花隊員と数名の月隊員が向かいました。その時娘は、母親を復活させる方法を知っており、それを果たすことこそが自分の使命であると語ったと言われています。それから、力を蓄えるために既に八回の転生を遂げており、次の九回目の転生で終わりが来ると説明した。そして……その時出動していた陰陽師たちは、ほとんど彼女に殺されてしまいました」

「え……」

 柚子は、とうとう我慢ならずに声を上げてしまった。

「……悲しいね」

 和泉はそう言って目を伏せた。しかし、すぐに顔を上げて続けた。

「私はこの年に生まれとるけん、実際にこの事件を経験したわけではありません。でも、こんなことは二度とあってはいけない。白面金毛の娘が言っとったことが事実なら、彼女が次にこの世に生まれた時に白面金毛が復活してしまう。そうしたら、とんでもないことになります。きっと白面金毛は今の時代に合った方法でこの世を支配しようとするやろうと言われています。たとえこの世を支配すること自体は叶わんくても、きっとたくさんの人が死んでしまう。それだけの力を彼女は持っとる……」

 柚子は愕然としていた。どうして自分は今ここにいるのだろうと思った。あの時のあきらの反応は正しかったのだ。一体、どうして八郎は自分を陰陽師にしようだなんて考えたのだろうか?

「……何よりも恐ろしいのは、白面金毛の娘の存在そのものです。白面金毛の娘は陰陽団を壊滅させた後、逃げてしまったそうです。その後、森の中で自殺した彼女の死体が発見されました。いつの時代に再び生まれてくるのかは分からんけど、いつか彼女はまた現れる。強大な力を持つその娘がこの世にまた戻ってくる。娘が母親と同じようにこの世を妖の世にしようと考えとったとしたら? たとえ白面金毛が蘇らんかったとしても、同じような脅威になりうる妖怪がもう一体存在することになる……」

 柚子は誰にも聞こえないようにこっそりと息を吐いた。

 なんとなくそんな気はしていた。やはり、あの夢はただの悪夢ではなくて本当にあったことだった。柚子が失くした前世の記憶の一部。そう考えれば、夢の話をした瞬間に八郎が柚子を白面金毛の娘だと確信したことにも納得がいく。

「やけん、私たち陰陽団の目的は二つあります。一つは、一般の人々を妖怪から守ること。そしてもう一つは、白面金毛の娘を見つけ出し、然るべき方法で始末すること。白面金毛の娘は、私たちが生きとる間には現れんかもしれんけど、その意識は常に持っとかんといけません。分かりましたか?」

 柚子は口を開いたが、喉からは何の声も出てこなかった。はい、と返事する仲間たちの声が遠くから聞こえるようだった。



「大丈夫?」

 座学の時間が終わると、前の席に座っていた勝元が振り返って小さな声で聞いてきた。私、勝元に正体を教えてよかったのかな……。そんなことを考えながらも、柚子は声を出さずに「大丈夫」と口を動かした。

 勝元は何か言おうとしたが、あきらが部屋に入ってきたので何も言わないまま前に向き直った。

「今から、先程見せてもらったあなたたちの力をそれぞれどうやって伸ばしていくべきかを書いたメモを渡します。今日の残り時間と明日は、これに従って訓練をしてもらいます」

 あきらはそう言って、高校生たちの名前を順に伸び始めた。一番に呼ばれた沙也香が立ち上がり、メモを受け取りに向かう。やがて名を呼ばれた柚子は、あきらから貰ったメモを見てまた気が滅入るのを感じた。メモには、「剣術は特に問題なし。何かあれば旅行が終わり次第団長に聞くこと。白面金毛の娘だと知られないように戦う練習をするように」と書かれていた。

「柚子、なんて書いてあった?」

 隣に座っている沙也香が身を乗り出してきた。柚子は慌ててメモを裏にして隠すと、「剣術頑張れ! 的な感じ。沙也香は?」と平静を装って答えた。

「私は、五行で水以外も使えるか試してみるように、って。それから、螺旋水流と白波以外も使えるように印を覚えなさいって」

「おー、なんかかっこいいね……」

 柚子がそう言うと、沙也香は照れ臭そうに笑った。

「剣使える方がもっとかっこいいよ! それにしても、みんなすごいよね。まだ正式に陰陽師になったわけじゃないのにもう戦える感じ」

 沙也香が言うと、話を聞いていた勝元が振り返って口を開いた。

「陰陽団に入る奴なんてほとんど陰陽師の家系の人たちばっかだからねー。既に家で特訓させられてた人が多いよ」

「なるほどねー」

 柚子が言う。すると、沙也香の前に座っていた椿も振り向いた。

「でも、沙也香もすごいじゃない」

「へへ、ありがと。案外向いてるのかも」

 沙也香はそう言ってニヤッと笑った。

 椿は、柚子には特に何も言ってこない。祖父が陰陽師だったとでも思ってくれているのだろうか。柚子がとりあえず上手く誤魔化せていることにホッとしていると、あきらが声を上げたので一同は前を向いて姿勢を正した。

「沙也香と翼は道場へ来てください。桐真と和泉が直接あなたたちに教えます。他の人たちは外の訓練場へ。時折私たちが見回って、何かアドバイスできることがあればその都度伝えます。それでは、十五分休憩してから各自訓練を始めてください。以上!」

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