愉しい旅行(1)

「で、あんたはいつまでここにいるつもりなんだい? 二人はもう帰ったよ」

 艶やかな色合いの着物を大胆に着崩した女が落ち着いた声で言った。崖の淵に立って、どこか遠くを眺めている。

「あたしはまだいいの。いいでしょ、しばらく様子見することになったんだから少しくらい休んでも」

 木の枝に腰かけている少女が高い声で返した。少女はコルセットで裾を大きく膨らませ、襟などの至るところにフリルをあしらった、随分と可愛らしいデザインの着物を着ている。髪は頭の上の方でリボンのような形のお団子に纏められている。

「まあね」

 女はくるりと振り向いて少女の方を見た。そして気がついたように口を開く。

「今更だけどあんた、また着物変えたのかい」

「可愛いでしょ?」

 少女が嬉しそうに言う。

「人間の流行りって、すぐに移り変わってくよね。考えてみたら、人間よりも更に寿命が短いかも。ほんとおもしろーい。いいと思ったものは、どんどん取り入れてかないとね」

 そう言って胸をときめかせている少女を見て、女は溜息をついた。

「……それにしても、化け狐も狂骨も古山茶もだらしない奴らだったねえ」

 女は少女から視線を外すと吐き捨てるように言った。

「特に狂骨、情けないよ。あいつとは都が江戸に変わった頃に出会ったばかりだけど、もう少し上手くやれたんじゃないかね」

「江戸て」

 少女は笑いを堪えながら呟いた。明らかに嘲笑と取れる笑いだった。

「だったら、あんな雑魚共にわざわざ指示出してないで自分から姫君のところに行けばよかったじゃない」

 少女が馬鹿にするように言う。

「あんたも知ってるだろう?」

 女は面倒臭そうな顔をしながらも振り向いた。

「姫君は力を解き放たれてまだ間もない。恐らく今まで以上に不安定な状態でおられる。記憶が戻る確証もなかった――実際戻っていないし――だから、死んでも支障のない奴らに任せたのさ」

「ふーん」

 少女は、まったく興味のなさそうな相槌を打った。

「……しかし、記憶を失くされているとはいえ、姫君が陰陽師にくみされるとは努々ゆめゆめ考えもしなかった。今後も何が起こるか分からない……」

「相変わらず真面目ねー」

 ブツブツと呟きながら考えこむ女を見て、少女は能天気に声を上げた。足をぶらぶらと動かして空を見上げる。すると小さく物音が聞こえ、少女は素早く音のした方を見た。

「失礼いたします」

 一見少女と見紛うような端正な顔立ちをした少年が、穏やかな声で言った。女が少年の方を向く。

「なんだい」

「僕を、姫君の元へ行かせてください。必ず姫君を連れ戻してみせます」

 女は、黙って少年を見つめている。少年は真剣な表情を浮かべて続けた。

「策があるのです」

 女は、血のように赤い紅を差した唇を吊り上げた。

「そうかい。それじゃあやってみな」

 その返事に、少女は少し驚いたような顔をして女の方を見た。

「期待しているよ」

「ありがとうございます」

 少年は礼儀正しく頭を下げると、素早く姿を消した。その瞬間、少女が木の枝から真っ直ぐに飛び降りて地上に降り立つ。

「いいの? 様子見するんじゃなかったの?」

「いいんだよ。あたいはやる気がある奴は好きなんだ」

 女はそう言うと、崖の先に向かって不意に両腕を伸ばした。両方の中指の腹の先の辺りから、細く白い糸が遠くへと勢いよく伸びていく。女が腕を引くと、登山服を着た二人の男がそれぞれ糸にぐるぐる巻きにされた状態で引っ張られてきた。二人は、恐怖を滲ませた顔で女を見つめている。

「それから、たっぷり栄養を蓄えた人間の男の肉もね」

 満足げに微笑む女の横で、少女もにやりと口元を歪ませた。少女の両手の爪が、硬く鋭い牙のように伸びる。

「わーい。あたしもだーいすき」



「ねーねー、栃木県の三本槍岳って山で遭難しちゃった人がいるみたい。まだ見つかってないんだってー」

 沙也香の隣に座っている柚子は、前の席にいる勝元に向かって声を張り上げた。

「え、柚ちゃん俺に言ってる?」

 勝元が声だけ返してくる。

「うん。だって栃木って地元でしょ?」

「……その人たちは可哀想だけど、俺は関係ないからね」

 柚子の言葉に、勝元は淡々と返す。

「……まあそっか。見つかるといいね……」

 柚子はスマートフォンの画面を見つめながら静かに言った。

 現在、柚子たちはマイクロバスに乗って研修旅行に向かっているところだ。北新葉の方にある小さな森が陰陽団の私有地らしく、そこに宿泊施設があるという。

「……あの、気になっていたんだけど、宗くんって勝村さんの息子さんなの?」

 通路を挟んで柚子の左に座っている椿が尋ねた。

「……そうだよ」

 勝元はどことなく不機嫌そうな声で答えた。

「宗って聞いたことあんなと思ってたけど……お前、その宗なのかよ」

 椿の前の席に一人で座っている翼も声を上げた。

「その宗って?」

 沙也香が問う。

「恥ずかしいから俺の話はやめてー」

 勝元はふざけた声でそう言うと、通路側に身を乗り出して後ろを振り向いた。勝元の顔がいきなり近くに現れたので、柚子はびっくりしてしまった。勝元は、一番後ろの席を占領して寝転んでいる涼介を見て呆れたような声で言う。

「都くん、静かだなと思ったら爆睡してんじゃん」

「起こしちゃ可哀想だよ」

「柚ちゃん、前から思ってたけどなんか都くんに優しくない?」

「だって害がないから……」

「えっ、それ俺は有害ってこと?」

 勝元が心外だという声で言う。柚子は適当に相槌を打ったが、涼介のことが気になっている理由はちゃんとあった。

 勝元の言っていた噂が真実ならば、涼介は人間と妖怪のハーフである可能性があるのではないかと考えていたからだ。もしそうでなくても、身近に妖怪がいる環境で育ったのだとしたら、妖怪について詳しい話が聞けるかもしれない。決してそのためだけではないが、柚子は涼介ともっと距離を縮められないだろうかとずっと思っていた。この研修旅行が、そのチャンスだろう。

 バスには他の人たちも乗っている。あきらと群治郎に、二人の若い陰陽師。彼らの名前は七瀬とうと桜庭和泉だ。到着してからきちんと紹介すると言われたので、まだ詳しいことは知らない。他にも、一人の陰陽師が運転手として同行している。

 バスに乗って一時間ほど経った頃には、窓から見える景色は柚子たちにとって馴染みのないものに変わっていた。真新しい綺麗な一戸建てに、横に日本庭園らしきものが見える和モダン住宅、玄関に大きな門がある家。通り過ぎていく風景に、柚子は溜息のような声を漏らしていた。いわゆる高級住宅街だ。

 更に進んでいくと、自然が多くなってきた。木々に囲まれた道を走る。やがて、バスは目的地に辿りついた。

 森の中の少し開けた場所に、中学生の頃に林間学校で利用したような宿泊施設に似た小さな建物が建っている。一同はバスを降りると、きびきびと歩くあきらの後ろについていく形で施設の中へと向かった。

 男女ごとに三人一組で使う寝室や食堂、浴場などの案内を終え、柚子たちは小さな教室のような部屋にやってきた。三泊四日の研修旅行の一日目に行われるのはオリエンテーションだ。今からこの旅行、それから陰陽団についての詳しい説明が始まる。

「それでは、皆さん」

 あきらが声を張り上げた。狭い教室の中に充分すぎるほどにあきらの声が響く。柚子たちはそれぞれ好きな席に座って、ホワイトボードの前に立つ陰陽師たちを見つめていた。

「バスでの長旅お疲れ様でした。今からオリエンテーションを始めます」

 お疲れ様だなんて微塵も思っていなさそうな声音だ。

「まずは自己紹介から。はじめましてではない人も多いですがはじめまして。赤塚あきらと言います。あなたたちの教育係のようなものに任命されました。どうぞよろしく」

「のようなものって……?」

 椿が首を捻った。

「じゃー、次は俺ね。高杉群治郎です。あきらのパートナー。なんか言うことあっかなー……あ、俺のことはぐっさんって呼んでいいよ。よろしくね」

「おねしゃーす」

 翼が気の抜けた声で言った。あきらより話しかけやすそうな雰囲気に一同がホッとしたのが柚子にも分かった。

「二人も軽く自己紹介を頼むわ」

 あきらが桐真と和泉に声をかけた。二人は頷いた。まず前に出てきたのは桐真だ。桐真は切れ長の瞳が目を引く、顔立ちの整った青年だった。

「こんにちは。私は七瀬桐真。みんな、仲良くしてちょうだいね。よろしく」

 桐真は柔らかい声で言った。次に和泉が口を開く。和泉は大人しそうな見た目の女の人で、桐真より年下のようだ。

「こんにちは。えー、桜庭和泉です。桐真のパートナーです! あ、ちょっと訛っとうのは福岡出身だからです。よろしくね」

「よろしくお願いしまーす」

 一同は返事をした。勝元が「博多弁、いいね……」と呟いたのを柚子は聞き逃さなかった。

「それでは、陰陽団の説明に入ります」

 再びあきらが話し始めた。

「陰陽団は、南北朝時代から続く由緒正しい組織です。一般的に妖怪の存在があまり知られていないのでそれに伴って知名度は低いですが、きちんと国に認められた日本唯一の対妖怪組織です」

「南北朝時代? すご……」

 柚子は驚きの声を漏らした。

「陰陽団は、現団長である山川八郎の先祖によって設立されたと言われています。……一応説明しておくと、団長は今でも世襲制で、次に団長となる者ももう決まっています」

 あ、団長、子供いるんだ。柚子は心の中で呟いた。

「陰陽団には四つの隊があります。花隊、鳥隊、風隊、月隊の四つ。あなたたちがまず入るのは花隊です。……十九年前にとある妖怪から莫大な被害を受けたため人材不足に陥り、他の隊と調整をしてどうにかやっていますが、基本的に人があまり足りていません。まあ、人が足りていないのは他の隊も同じですが……」

 あきらは溜息をついて続けた。

「花隊とは、花のように佇む隊という意味。つまり、他の隊への異動がない限り転勤のない東京支部勤務の隊ということです。東京支部は業務が多いため、最も人数の多い隊であり、またこのように転勤もないというシステムになっています。訓練などを受けられるのも東京支部と栃木にある本部のみなので、あなたたちは花隊で陰陽師の基礎を学ぶことになります。ちなみに私は花隊の隊長です」

「俺は副隊長だよー」

 群治郎がのんびりと言いながら手を振った。

「鳥隊は、花とは逆で鳥のように飛び回る隊。全国各地にある東京以外の支部に勤務する陰陽師たちが所属する隊です。他の支部への転勤もあります。いつかあなたたちも所属する可能性はありますが、当分の間はないと考えていいでしょう」

 あきらは一呼吸置くと、再び口を開いた。

「風隊……これはあなたたちにはほとんど関係ありませんが」

 あきらは一瞬ちらりと勝元を見た。

「陰陽団の設立に協力した、勝袁という僧侶が開いた風煌宗という仏教一派に関わる人たちが所属する隊です。風煌寺を離れられない者も多いためこのように隊が分かれていますが、実質は栃木に勤務する隊員の総称のようなものです」

 柚子はあきらに釣られて勝元の方を見た。勝元は無表情だった。

「そして最後に月隊。月のように人々を照らす隊。この隊には、妖怪と戦うことよりも他の陰陽師のサポートを得意とする陰陽師たちが所属しています。一番人数が少ない隊もここ。この隊の者たちは東京支部にいることが多いですが、必要に応じて他の支部からも呼び出されるので、基地間の移動が多いです。あなたたちからも、いずれ月隊に異動になる人が出るかもしれません。この二人は月隊所属の陰陽師です」

 あきらが桐真と和泉を差すように手を伸ばした。二人が軽く会釈する。

「陰陽師には階級があります」

 あきらの説明は終わらない。柚子たちは必死に耳を傾けた。

「階級は下から、、義、信、礼、仁、徳。階級は主に妖怪の討伐数で決まりますが、他の成績も考慮します。あなたたちはまず、花隊の智陰陽師として妖怪たちと戦うことになります」

 あきらはそこまで言い切ると、部屋の中にいる高校生たちをざっと眺めた。

「……ここまでで何か質問はありますか?」

 一同は黙っている。あきらは次に研修旅行の日程の説明を始めた。

「では続きを。この研修旅行では、あなたたちに陰陽師となるための基本を学んでもらいます。まず今日は、皆さんの力を見せてもらい、この研修旅行中にどんな訓練をすべきかアドバイスをします。皆さんが座学を受けている間にまとめますので、その後訓練スタートです」

 なかなか大変な一日になりそうだ。

「明日は丸一日単独で訓練です。それから明後日は実習を行います。仮でペアを組むなどして実際に動いてもらいます。初めてで上手くやれとは言いませんが、本気でやりましょう。最終日はテストを行い、その後ペアを発表します。この四日間であまりにも向いていないと判断された場合、陰陽師にはなれません」

 高校生たちの間に緊張感が走った。それを見たあきらは、勝気な笑みを浮かべる。

「それでは皆さん。覚悟はいいですか? 動きやすい格好に着替えて、十五分後に先程案内した道場に集合です。武器を持っている人は持ってきてください」

 どことなく挑戦的なあきらの声色に、柚子たちはごくりと唾を飲みこんだ。これから本格的な研修が始まるのだろう。

「今年は人数が多いものね。どんな子たちなのか楽しみだわ」

 桐真はニッコリと微笑んでそう言った。

「私たちも力貸すけんね」

 和泉が両手で拳を握って、応援するように言う。

「そんなに気負わなくて大丈夫大丈夫。頑張ろー」

 群治郎は緩い口調でそう言うと、ニヤッと笑った。

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