にてないふたご(4)

 柚子は、真空刃を天叢雲剣で弾きながら鎌鼬の元へと走り出した。柚子が近づいてくると、鎌鼬は真空刃を放つのをやめ、直接柚子を斬りつけようと鎌を大きく振りかぶる。その瞬間、勝元が火ノ壁を作り出した。

「あっちィ!」

 鎌鼬が叫び声を上げて鎌のついた腕を引っこめる。少し焦げ臭い匂いがした。鎌の刃先が燃えてしまったらしい。

「まあ、少しくらいならいいでしょ」

 勝元がしてやったりという顔で呟いた。

 柚子は火ノ壁にギリギリまで近づくと、急いで天叢雲剣を門の札に納めた。そして、火ノ壁が消えた瞬間に鎌鼬との距離を詰め、鎌のついていない二の腕の辺りをがっちりと掴む。

「なんつー力だよ……!」

 鎌鼬は歯を食いしばりながらそう言って、柚子の手を振り解こうとしたが、柚子はびくともしなかった。

 たかが雑魚妖怪の力を借りた人間と、この世で最も恐れられた妖怪の娘の力比べだ。どちらが強いかなんて、そんなことは分かりきっている。

 柚子は鎌鼬の腕を押さえつけたまま、少し悩んでから、思いきって鎌鼬の急所を蹴り上げた。

「いッ……」

 鎌鼬が痛みに悶える。柚子は間髪入れずに鎌鼬の腹に膝蹴りを食らわせた。

「かはっ……」

 鎌鼬は苦しそうな声を上げたが、まだ意識は残っている。柚子は困ったように声を上げた。

「ま、まだ?」

「柚ちゃん、もう一発!」

 背後から勝元が呑気に囃し立てる。

「行けーっ!」

「頑張れ、天才空手少女!」

 不良少年たちも柚子に声援を送っている。その天才空手少女はたった今彼らのボスを痛めつけているところなのだが、いいのだろうか。

「あいつすげーな。マジで天才空手少女なのかよ?」

 翼が尋ねる。

「それは知らないけど……握力測定器を破壊したっていう噂はあるわ」

「えっマジで?」

「すげえ!」

 椿の言葉に、不良少年たちは更に感嘆の声を上げた。

「ちょっとその話、他校にまで広めないでよね……っ!」

 柚子はそう言いながら鎌鼬の腕を掴んでいた手を離した。その場に力なく崩れ落ちていく鎌鼬がスローモーションのように見える。柚子は的確に鎌鼬の顎を狙って、右手で渾身のアッパーをお見舞いした。

「ぐぁ……っ」

「うがっ……」

 重なるようにして聞こえていた敦の声と男の声が、別々に聞こえてきた。見れば、吹っ飛んで仰向けに倒れた敦の頭上を、何か生き物のようなものが放物線を描きながら飛んでいる。茶色い毛並みに寸胴な体、長い尻尾。前足は鋭い鎌になっている。従来より大きな体をしたイタチのようなそれが、本来の鎌鼬の姿なのだろう。

「これどうすればいい?」

 柚子が叫ぶ。

「私に任せて!」

 椿が声を上げた。椿は怪我を押さえていたハンカチを投げ出して、弓を構えていた。右手にはゆがけと呼ばれる手袋のようなものをはめて、矢の羽を持っている。椿は鎌鼬から目を離さずに狙いを定めると、やがて、強く弓を弾いた。

 放たれた矢が真っ直ぐ進んでいく。羽が頬の傷をなぞったのか、椿は顔をしかめた。矢は椿の左手の人差し指の上を通りすぎると、そのまま方向を変えずに進み続け、鎌鼬の腹を貫いた。鎌鼬の体が、その場に落ちた。

「おおーっ!」

 廃工場にいた者たち全員から歓声が上がる。柚子はホッと胸を撫で下ろした。それから、「いったーい!」と思いきり叫んで右手をブンブン振る。強く殴りすぎて手を痛めてしまったのだ。

「あ、そっちも痛いのね……お疲れ様」

 そう言って、勝元が近づいてくる。

「どうだった? ばれてない?」

 柚子は声を落としつつも大慌てで尋ねた。勝元はニッコリと笑って頷いている。

「うん、みんな天才空手少女だと思ってるから」

「そ、それはそれで困るんだけど……」

 柚子は呟いた。

 ふと、椿が黙って歩き始めたので一同は彼女の方を見た。椿は鎌鼬の元へと歩いていくと、膝をついた。そして、鎌鼬の胸に刺さった矢を引っこ抜こうとする。片手で抜いても取れなかったのか、左手で鎌鼬の体を押さえている椿は、これでもかというほどに顔を歪めていた。初めて妖怪を討ち殺したのその感覚に、喉元までこみ上げてきたものを必死に飲みこんでいるようだった。

「う……んっ……」

 呻き声が聞こえる。敦が目を覚ましたらしい。敦の上にはいつの間に翼が馬乗りになっていた。苦しそうな声を上げて上半身を起こそうとする敦を、翼は鬼のような形相で見下ろしている。

「なあ、敦」

 翼は低い声で唸った。

「俺はシスコンなんかじゃねえ」

 一同は、息を詰めて翼と敦を見守っている。

「家族を侮辱されて、襲われそうになって、黙ってられると思うか? そうは思えねえような環境で育ったんなら可哀想だけどよぉ……」

 翼はそう言いながら、拳を構える。

「今のお前に同情の余地はねえ! この……ゴミクソクズ野郎が!」

 翼は怒声を上げると、拳を敦の頬めがけて思いきり振り下ろした。敦は再び意識を失い、大きな音を立てて廃工場の床に倒れこんだ。

「……翼」

 椿が、少し怯えたような声を上げる。翼は立ち上がると、気まずそうに頭を掻きながら双子の姉の元へと大股に歩いていった。

「天才空手少女マジですげーね!」

「つーか敦も言ってたけどめっちゃ可愛いな」

「学校どこ? えってか彼氏いる?」

「やだー! 私天才空手少女じゃないですー!」

 いつの間にか四人の不良たちに囲まれていた柚子が悲鳴を上げた。それに気付いた勝元が近づいてきて、助け船を出す。

「君たち、ナンパなんかしてないで敦くん介抱してあげなよ」

 勝元の冷静なツッコミに、不良少年たちは顔を見合わせた。

「どうする? 正直、やりすぎで引くよな……」

「最近の敦、ガチでやばかったし自業自得だよな」

「でもまー、報いは受けたんじゃねこれで」

「まあ確かに……そうだな。敦ー!」

 そう話し合って、四人はリーダーの元へと駆けつけていく。

「さっきまで天才空手少女にデレデレだったくせに何言ってんだこの人たち……」

 勝元は呆れたように呟いた。辻斬り事件を起こした敦に、彼らは少し距離を置き始めていたのだろうか。

 不良たちが気絶している敦に声をかけ始めた。その少し離れたところでは椿と翼が向き合っている。それを見て、柚子は「ねえねえ」と勝元の肩を軽く叩いて囁いた。

「ん?」

 勝元が柚子の身長に合わせて体を横に反らせ、耳を傾ける。

「今日は私とどめ刺してないし、ノーカンだよね!」

 柚子の言葉に、勝元はニヤッと笑った。

「うん。今日俺たちは何もしてない」

 柚子と勝元はおかしそうに笑った。二人して年上の青年を痛めつけたことも、なかったことにしよう。

「じゃー、帰ろっか」

「うん、そだね」

 勝元の言葉に、柚子は頷く。二人は椿と翼に何も告げずに、こっそりと廃工場を後にした。

 西新葉を足早に抜けて、ネオンが明るく光る大通りに出る。夜空に浮かぶ月を見上げていた柚子は、ふとある違和感を思い出した。今日の戦いは、今までとは何かが違ったのだ。

「……あ」

「どうしたの?」

 柚子が小さく声を上げると、勝元はこちらを向いた。

「あの鎌鼬、私のことを姫君とも呼ばなかったし、遠慮せずに真っ先に襲いかかってきた。なんかいつもと違うなーと思ってたんだけど、それだ」

「あー、確かに」

 勝元も考えながら続ける。

「というかあの鎌鼬、いろいろおかしかったよね。貰ったとか言ってたし……」

「私のことを連れ戻そうとしてない妖怪もいるってこと……?」

 柚子はそう言って首を捻った。鎌鼬は、柚子が白面金毛の娘だということに気付いてすらいないようだった。元はといえば鎌鼬の力を貰ったという普通の人間なのだから、当然と言えば当然だが……。

「でも、それじゃあ姫君って呼ばれないように気をつける必要はない妖怪もいるってことじゃない?」

 勝元が明るい声で言った。柚子も笑顔になる。

「そっかー! それじゃ多少は楽……じゃない!」

 柚子は顔を青くした。大切なことを忘れていた。

「私、怪我も早く治っちゃうから……攻撃を受けないようにしないとばれちゃう!」

「え、柚ちゃんその辺も妖怪に近い感じなの?」

 驚く勝元に、柚子は頷いて悲痛な声で返した。

「そうなの。前はたんこぶだったから誤魔化せたけど、切り傷とかだったらやばい……だから問答無用で攻撃されるのも危険だ……」

「……チートのはずなのに縛りが多いね……」

 勝元は何とも言えない声で言った。



「俺、陰陽師やるよ」

 不良たちが敦を介抱しようと騒がしくしている様子を横目に、翼が言った。椿は目を見開いた。

「え……? でも……」

 椿は口を開いたが、翼は首を横に振った。

「今はお前と学校違うし、ちょっとでも会話増やすならそれしかねーだろ」

「でも……夜ちゃんと帰ってくるならそれでいいのよ」

 翼の言葉に少し嬉しくなりながらも、椿は優しく言った。翼はぶっきらぼうに「まあそうかもしんねーけど」と声を上げる。

「さっきの戦いを見てて俺いろいろ足りてねーなって思ったから、やるわ」

「……じゃあ、また弓道をやるの?」

 椿は期待をこめて聞いてみた。もう、彼の才能を妬ましく思うことはない。むしろ、彼が戻ってきてくれることは喜ばしいことだった。

「いや」

 翼は即答した。

「弓道はやらねえ。梓弓じゃなくて、別のなんかで戦う。刀とか」

「そう……」

 椿は少し寂しく思ったが、それ以上は特に何も言わなかった。

「どうにかなるだろ。俺なら」

 翼が調子に乗ってそんなことを言う。椿はぎこちなく微笑んだ。

「そうね。喧嘩も強いし、どうにかなるわ」

「ん」

 翼が頷く。すると、翼は椿の頭越しに何かを見つけたらしく、視線を動かした。椿も振り向く。

「あーあー、また陰陽師が来る前に倒しちゃったの? 今回も柚子ちゃん?」

 袴を着た男が嘆息がちに言いながらこちらへと歩いていた。プロの陰陽師がやってきたのだと気付いた椿は、柚子か勝元が通報してくれたのだろうと思い、辺りを見回した。

「ええ、あの二人も……ってあれ? いないわ!」



「一橋翼です。新葉第一一年。あ、知ってる奴もいるけど、椿の双子の弟っす。よろしく」

 髪は黒く、目は吊り気味。そっくりというわけではないが、一重の目元が似ている気がする。そんな翼が、柚子たちの前で自己紹介をした。八郎が手を叩いた。

「ありがとう! いやー、まさかあれから志願者が増えるなんてね! 僕としては嬉しいけどね。なんと六人。今年は本当に豊作だ!」

 八郎はニンマリと笑って言った。

 今日は五月一日。四月が終わり、陰陽師の卵たちは始めの一歩を踏み出す時が来た。既に勝手に何歩も踏み出している者もいるが。

「では僕も、改めて自己紹介しよう。僕は山川八郎。この陰陽団の団長を務めている。陰陽団基地本部は栃木にあるんだけど、僕は大体東京支部にいるよ。実質ここが本部みたいなものだね」

 八郎は笑顔で頷いた。

「それじゃ、既に大体話は聞いてると思うけど、明後日から三泊四日で研修旅行だ。今年はゴールデンウィークが長くてよかったねえ」

 確かに。柚子はそう思った。学校はできるだけ休みたくないものだ。

「少し説明をするよ。この研修旅行は、君たちに陰陽師としての戦い方を見定めてもらうためのものになる。既に分かってる人もいるだろうけど、そうでない人もいるよね。そういう人は、いくつかのやり方を試せる。今後自分が何を武器としてこの世界で戦っていくのかをここで見極めるんだ。まあ、何かあれば途中で変えてもいいし、そこまで深刻にならなくていいけどね」

 八郎は更に続けた。

「陰陽師は人によってそれぞれ戦い方が異なる。それが研修旅行の時によく分かると思うよ。だから、基本的に陰陽師は班を組んで戦うんだ。どんな状況にも対応できるようにね。班の仲間はここにいる六人だよ。今回は人数が多いから、他の班との調整の必要もなさそうでありがたいねえ。そして、全員で戦えない時でも一人になることがないよう、みんなにはペアを組んでもらう。そのペアも、研修旅行で相性を見て決めるよ」

 柚子は隣に座る勝元の方を盗み見た。八郎からやらせのリクエストがあったことを、すっかり忘れていた。

「この相性ってやつの説明をすると、主に条件は二つある。一つは前衛と後衛の二人になるようにすること、もう一つは男女ペアにすること。前衛と後衛っていうのは、それぞれ接近戦を得意とする人と遠隔戦を得意とする人のことさ。例えば刀で斬りつけやすい妖怪もいれば、遠くから術で攻撃する方がやりやすい妖怪もいる。二人でもできるだけ上手く立ち回れるようにするってことだね。そしてもう一つの方はどうしてかっていうと」

 八郎はそこまで言うと、ニヤニヤと笑い始めた。

「妖怪にはそりゃもう圧倒的に、綺麗な女に化けて男を誑かす奴が多いから!」

 八郎はなぜかすごく楽しそうだ。

「簡単に言うと、男が妖怪に魅了されて鼻の下を伸ばしてても冷静な判断ができるパートナーが欲しいってことだ。悪いねえ、女の子諸君」

 八郎の言葉に、柚子と沙也香と椿は思わず「えっ」と声を上げてしまった。勝元を見て、柚子は呟いた。

「うわ、心配……」

「えー、俺、どの妖怪よりも柚ちゃんの方が可愛いと思うけどー?」

「アリガトー」

 柚子は棒読みで答えた。

「まあこれには、例えば性的指向が女性である女性はどうなのか……という疑問が出てくる。逆に女性を誑かそうとする女妖怪がいるのか? という疑問も出てくる。とりあえず前例がないので男女ペアで行くけど……古臭くて申し訳ないね。何かあったら気軽に言ってくれていいからね。できるだけ考慮するよ」

 私の時は考慮してくれなかったじゃん。柚子は心の中で毒づいた。結果的にはそれでよかったのだが。

「そして、陰陽団は万年人材不足なので……君たちは研修旅行が終わったら自動的に陰陽師になれます」

 八郎の力強い言葉に、柚子は目を丸くした。難しい試験などがあると思っていたのだ。

「へえ」

 沙也香も驚いたように声を上げている。

「そーなんだ」

 柚子は小さく呟いた。

「優秀な陰陽師になれるかどうかは、君たち次第だけどね」

 八郎は皮肉っぽく付け加えた。

「研修旅行は適正診断のようなものも兼ねてるから、もしあまりにも向いてない……ってなった場合は陰陽師になれないけど、よっぽどのことがなければ大丈夫だよ」

 八郎はそう言ってウインクした。

「と、まあ、研修旅行前の説明はこんなものかな。あとはその時にいろいろ教えてもらうことになるだろう。君たちは心構えをしておいてね。それじゃ、今日はここまで。またねえ」

 八郎はそう言うと、にこやかに手を振って去っていった。

 柚子は部屋の中にいる仲間たちをじっくりと見つめた。これからは、この五人と共に戦っていくことになる。柚子は小さく微笑んだ。きっと上手くやっていけるだろう。

 お母さんを殺した妖怪はもういないけど、それでもまだ、許せない。この世にあんな奴らがまだ残っているというのなら、私の手でみんな倒してみせる。同じような悲しみを背負う人をこれ以上増やしたくない。

 柚子は決意を新たにそう心に誓ったが、その奥底には不安げな思いも揺らめいていた。

 ——私も、妖怪だけど。

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