私はあんたとは違う(4)

 放課後、柚子が荷物をまとめていると、先に準備を終えた沙也香が柚子の席までやってきた。

「柚子、私先生に手伝い頼まれちゃったから下駄箱かなんかで待っててー。遅かったら先帰ってていいから」

「ほーい了解。沙也香って中学の時からそういうの多いよね」

 少し前のことを思い出しながら柚子が言う。

「出席番号が早いと駆り出されるんだよ。先生は順番のつもりだけど大抵最後まで行かない」

「あ、そういうことかなるほど」

「そういうこと」

 柚子は眉を寄せた。

「嫌じゃない?」

「ちょっと面倒だけど、悪いことばっかでもないよ。用事があるって言えば断れるし、先生によってはお礼くれたりするし」

 沙也香はそう言ってニヤッと笑った。

「そうなの?」

「うん。アイスとか貰える」

「え、いいな!」

 柚子は思わず大きな声を上げていた。

「その代わり働いてるからね」

「そーだった」

「じゃ、宗くんに気をつけて。行ってくるね」

 沙也香がそう言ったので、柚子は小さく笑った。沙也香が教室を出て行くのを見送ってから、鞄を肩にかけて立ち上がる。

「柚ちゃん」

「わっ」

 後ろからいきなり声をかけられ、柚子は驚いて振り向いた。後ろにはニコニコと笑う勝元が立っている。

「な、何?」

「何、って。一緒に帰らない?」

 まるで沙也香がいなくなったタイミングを狙ったかのような誘いに、柚子は溜息をついた。……でも、たまにはいっか。そう考えていいよと返そうとしたその瞬間。

「きゃあーっ!」

 どこからか大勢の悲鳴が聞こえてきた。教室にいるクラスメイトたちも慌てて辺りを見渡す。誰かが教室を出て何が起こったのかを確認しようとしたが、その必要はなかった。

「やばい! なんかやばいのいる!」

「バケモンだーっ!」

 そんな叫び声と共に、隣の教室から生徒たちがブワッと飛び出て走っていくのが見えたからだ。その様子を見たクラスメイトたちも、叫び声を上げて教室から飛び出して一目散に逃げていく。柚子はパニックになったクラスメイトたちを呆然と見つめていたが、ハッとした。

 妖怪だ。妖怪が出たんだ。今の私なら、簡単に倒せるはず。だったら、するべきことは一つだ。柚子は一気にその場から駆け出した。

「柚ちゃん?」

 勝元が柚子を引き止めようと名前を呼んだが、柚子はそれを無視して人の流れに逆らって走り、隣の教室に駆けつけた。

 教室の中央に置かれた机の上に、体に白い衣を纏った骸骨のようなものが立ち尽くしている。頭からは長い髪が生えており、頭蓋骨にべったりと貼りついている。柚子は息を呑んで目を見開いた。それから、急いで教室の中を見回す。逃げ遅れた生徒はいないようだった。

 骸骨の妖怪が柚子に気付いた。柚子の方を見てカタカタと音を立てる。どうやら笑っているつもりのようだ。気味が悪い。柚子は目の前にある机を持ち上げると、妖怪めがけて投げ飛ばした。机が直撃して妖怪はその場に倒れこんだ。

「ほら、こっちおいで!」

 柚子の声に、妖怪は素早く立ち上がると凄まじいスピードで柚子の元へ四足歩行で駆け出した。柚子はその不気味さに面食らいながらも、勢いをつけて駆け抜けて妖怪の進行方向とは反対の教室の隅へと走った。

「ほらほら、こっちだよ!」

 柚子はそう叫ぶと、不敵に微笑んでみせた。すると、妖怪は体を震わせて声を上げる。

「ヒ、メ、ギミ……」

「……っ!」

 柚子はたじろいだ。こいつもあの化け狐みたいに、私のことを連れ戻そうとしてるんだ。

 柚子は意を決して妖怪の元へ近づくと、骸骨の体を思いきり蹴り上げた。妖怪は吹っ飛んで天井に激しく打ちつけられ、バラバラになって床に落ちた。

「よ……よし!」

 柚子は冷や汗をかきながら嬉しそうに声を上げると、教室を出ようと扉の元へ向かった。すると、背後から再びカタカタと音がして柚子は慌てて振り向いた。なんと、バラバラになったはずの骨が動いて集合していっている。

「うそ? キモッ!」

 柚子は叫んだ。

「柚ちゃん! 何考えてんの?」

 慌てた声が聞こえてきたと思えば、勝元の腕が後ろから伸びてきて、柚子の腕を掴んで引き寄せた。

「な、何って……」

 勝元は柚子を教室の外に引っ張り出すと、両手を合わせた。

火行為丙壱急急如律令かぎょういへいいちきゅうきゅうにょりつりょう

 勝元はブツブツと呪文のようなものを唱えながら、両手の指を素早く組み替えて不思議な動きをした。

ひのえの壱、螺旋火炎!」

 勝元が指を組み終えたその瞬間、教室の中に炎が現れ、渦となって妖怪の体を包みこんだ。柚子は教室の中を覗きこんで思わず叫び声を上げた。そして、振り向いて勝元の顔を見つめる。今の何……?

「柚ちゃん!」

 教室の扉を勢いよく閉めた勝元が、真面目な顔で言った。

「いくら陰陽師になろうとしてるって言ったっていきなり妖怪倒すなんて無理だよ! あれは狂骨って妖怪で、バラバラにするくらいじゃ倒れない。焼き尽くすか頭蓋骨を再生不能にしないと!」

 勝元が真剣な表情で柚子に言う。柚子は驚いて何も言わずに勝元を見つめることしかできなかった。今のは何? 今の炎は宗が出したの?

 しかし、ゆっくりしている暇はなかった。閉じていた扉が開く音が聞こえてきて、二人が振り向く。僅かに開いた扉の向こうに、こちらを見つめる狂骨の顔が見えた。柚子と勝元は、衝撃のあまりしばらくの間声を失って狂骨の顔を見つめていた。

「……さすがにびっくりしたわー。なんだっけ、こんなホラー映画あったよね? シャイニン……」

「そんな呑気なこと言ってる場合じゃなくない?」

 驚きすぎたせいか逆に妙に冷静になっていた柚子と勝元は、狂骨が扉を蹴り飛ばした瞬間大慌てでその場から走り出した。柚子が走りながら後ろを見ると、狂骨は勝元には目もくれずひたすら柚子を追いかけてきていることが分かった。その時、狂骨が腕の骨を柚子の方へ伸ばして手を開く。

「オ許シヲ……!」

 狂骨が唸った。その瞬間、狂骨の手から針のようなものが五本ほど柚子めがけて放たれる。柚子は息を呑んだ。

火行為丁壱急急如律令かぎょういていいちきゅうきゅうにょりつりょう……ひのとの壱、火ノ壁!」

 その瞬間、勝元の声が聞こえてきたかと思えば、柚子の目の前に炎が現れて壁のように立ちはだかり、柚子の背中に向かって放たれた骨の針を燃やし尽くしてしまった。

「……!」

 柚子は勝元を見つめた。私にはこんなこと、できない。

「ありがと! このまま屋上まで連れてくから!」

 柚子はそう叫んで勝元の腕を掴むと、勝元を引っ張って走り続けた。

「え? いや危険だから! 通報して陰陽師来るまで待っとこ?」

 勝元は柚子に引っ張られながら必死に声を上げた。だが、柚子のスピードが速すぎて手が離れそうになっている。

「そんなの待ってらんないし、必要ないし!」

 柚子がそう言ったところで、二人は階段の目の前まで辿りついた。一年生の教室は四階にある。屋上に行くにはあと一階分の階段を上ればいい。柚子は勝元の腕を離すと階段を一気に駆け上がった。勝元は既に息が上がっており、階段を登る前に膝に手を当てて息を吐いている。

「ゆ、柚ちゃん、足速す、ぎ……」

 勝元は息絶え絶えに言った。踊り場まで既に上っていた柚子は、振り向いて勝元を見つめた。早くしないと狂骨が来てしまう。柚子は階段を軽く飛び降り、全段ショートカットして勝元の元に戻ると、勝元を軽々と横抱きにしてそのまま再び階段を駆け上った。

「えっ」

 勝元が素っ頓狂な声を上げる。

「文句あるなら後にして」

 柚子はそう言いながら全速力で階段を駆け抜けた。勝元は両手で顔を覆い、悲痛な声で「女の子にお姫様抱っこされた……」と呟いている。屋上まで上りきると、柚子は勝元を降ろした。

「ドア開けてくれる?」

 めくれそうになっていたスカートを整えながら柚子はそう言った。勝元は呆然としていたが、ハッとして屋上に出る扉のドアノブを握りしめた。

「か、鍵かかってるけど」

「もー……ちょっといい?」

 勝元が扉から離れたのを確認すると、柚子は素早く脚を上げ、文字通り扉を蹴破った。

「ハア?」

 勝元が絶句する。柚子はそんな勝元の腕を引いて屋上に連れ出した。そして勝元から手を離すと、蹴破った扉の方を真剣な表情で見つめて立ち止まった。

「もう隠せないから何が特別なのか言うけど」

 柚子はそう言って目を細めた。狂骨が屋上にやってくるのが見える。狂骨は柚子に向かって腕を大きく広げていた。その姿は、まるで歓喜に酔いしれているように見えた。

「ア、アアア、ヒメギミ……! ワレワレト、共ニ……!」

 柚子は何も言わずに狂骨の方へ走り出すと、本気で狂骨の体を蹴り上げた。狂骨は空高く飛び上がり、屋上の床に叩きつけられて再びバラバラになった。ところどころ骨が折れている。少しは時間が稼げるだろう。柚子が勝元の方を振り向くと、勝元は酷く驚いた表情をしていた。

「私は、白面金毛九尾の狐の娘」

 勝元の目が揺れる。勝元はその妖怪の存在だって、危険性だって、きっと知っているに違いない。でも、もう隠し通せない。何よりも、勝元には知っていてほしい。

 これから一緒に戦っていく相棒になるならば。

「それでも私は、本気で陰陽師になりたいって思ってる。でも私は、宗とは違う。宗みたいな戦い方はできない。知識もない」

 柚子がそう言ったところで狂骨が戻ってきた。柚子は体を捻らせて回転蹴りをお見舞いした。狂骨が気味の悪い叫び声を上げる。その骨は、どんどん脆くなっていっているように見えた。

「……私には、宗が必要なんだと思う」

 そして、振り向いて勝元を見つめる。

「だから……」

 柚子は、立ち上がって背後にやってきた狂骨を振り向きもせずに勝元を見据えたまま殴りつけた。

「私のパートナーになって!」

 風が吹いて、柚子の髪を揺らした。

 勝元は、まるで魅入られたように黙って柚子を見つめていたが、やがてふっと微笑んだ。

「もちろん。っていうか、俺は最初からそのつもりだけどね!」

 勝元は親指を突き立ててそう言うと、狂骨に向き直った。

「……嬉しいよ。そういう風に言ってもらえるのは」

 勝元は呟いた。狂骨がヨロヨロと立ち上がり、勝元を睨みつける。

「ヒメギミハ、人間ニハ渡サヌ……!」

 勝元は狂骨を見てニヤッと笑った。

「姫君ってのは柚ちゃんのことか。なんか可愛いね、その呼び方」

 そう言って、術を唱えながらいんを結ぶ。

「丙の壱、螺旋火炎!」

 再び狂骨の体が炎の渦に包まれた。狂骨の体を覆っていた布が燃えて、周囲に焦げ臭い匂いが漂い始める。

「柚ちゃん!」

「はいよっ」

 柚子は勢いよく駆け抜けて飛び上がった。そして、狂骨の頭に狙いを定める。

「私は、あんたたちのとこには行かない!」

 柚子は歯を食いしばってそう言うと、サッカーボールをゴールにシュートするように狂骨の頭蓋骨を思いきり蹴りつけた。

「いよいしょーっ!」

 だいぶダメージが蓄積され、既にひび割れていた狂骨の頭蓋骨は、柚子に蹴飛ばされて胴体から吹っ飛び、床に叩きつけられて木っ端微塵に砕け散った。

「……」

 勝元の隣に、柚子が華麗に着地する。二人の視線は、粉々になった骨の元へ燃えながら落ちていく布に注がれていた。やがて、布は骨の上に辿りつくことなく燃え尽きた。柚子と勝元は顔を見合わせると、どちらからともなくハイタッチを交わした。



「あの、やっぱり、パートナー変えなくていいです」

 後からやってきた陰陽師たちに現場を任せ、勝元と陰陽団基地まで帰ると、柚子は真っ直ぐ八郎の部屋へ向かった。そう言う柚子を見て、八郎はふっと微笑む。

「一体どういう風の吹き回しかな?」

「いやまあ……いろいろあって」

 柚子がばつが悪そうに言う。

「まだ訓練も始まってないのに二人で妖怪を滅しちゃうとは……こりゃ期待も高まるねえ」

 八郎はそう言うと、「ま、元々パートナー変えるつもりなかったけどね!」と明るく言い放った。

「や、やっぱり……!」

 呆れている柚子を見て、八郎はふと真剣な表情になる。

「なんにせよ、仲良くやってくれることに越したことはないからね。訓練が始まるまであともう少しあるけど、これからも頑張ってね」

「はい」

「それと、これからも外で狙われた時に戦うつもりなら、天叢雲剣を持ち歩いた方がいいと思うよ」

「……はい」



 八郎の部屋を出ると、外で勝元が待っていた。

「どーだった? なんか変なこと言われた?」

 柚子は首を横に振った。

「特に何も。頑張れってさ」

「そっか」

 柚子は「そうだ」と声を上げてスマートフォンを取り出した。

「遅くなりまして申し訳ありませんね。FINE教えてあげる」

「おっ。やっとだ」

 柚子が皮肉っぽく言うと、勝元は嬉しそうに笑ってスマートフォンを取り出した。連絡先を交換し合うと、スマートフォンの液晶画面に映る勝元の名前を見つめて、柚子は呟いた。

「かつもと……」

「ん?」

 勝元が顔を上げる。

「でいいんだよね? 名前」

 柚子が言うと、勝元はニンマリと笑った。

「俺のこと名前で呼んでくれるの?」

「だってどうしても名前で呼んでほしいみたいだったし、信頼の証に。あ、ねえ、なんか渾名とかないの?」

 柚子が尋ねると、勝元は首を捻った。

「うーん、ないなあ。地元にかっちゃんって呼んでくる奴が一人いたくらい」

「ふーん。じゃあ勝元でいっか」

 柚子はそう言いながらスマートフォンをしまった。そして、とびきりの笑顔を浮かべる。

「よろしく!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る