第47話 鏡の慫慂(しょうよう)

「また、警察が来て。あのこと、ほら夫のこと聞かれたの。お母さんのことも聞かれたよ」

「私のこと、なにを?」

「お父さん、つまり夫殺しのことよ。なにか関係があると思ってるんじゃないかな」

「そう。でも私はあとで話しを聞いただけだしね。関係があると思われているとすれば、辻褄の処理上、確かに私が浮いてしまうことぐらいね。でもなにひとつ関わっていないからね。あなたたちが勝手に木に吊して乾かしたのよ。それはそれで不自然かも知れないけどね。たいしたことじゃないわよ。事件への関与の形の確認でしょう」

「でも夫と創造の女の浮気を私に教えてくれたのはお母さんよ」

「まあそうだけどね。でもそれ自体、辻褄から離れても逸脱もしてないわ」

 母は笑ってそう言う。心配はしていないようだった。


 私もさほど気にかけているわけではなかった。街では夫の死より不審者の出現の方が話題になっている。不審者は不審なアパート群とも当然、関連づけられている。その者たちと夫の事件、新住宅建設運動が関連づけられているようだ。しかしその不審者は私なのだ。そして私ではないのだ。


 それは鏡に映ったまったく別人の私であり、ネットや新聞、テレビ報道、近隣の噂のなかで意味づけられ整理され、外に拡散してしまった私でもある。この事態に私の意思は通じない。


 私は、回数は少なくなったが、鏡に映る私であって私ではない私をまた眺めるようになっていた。以前ほどの違和感や不安はもう感じない。かえってある種の安堵あんどを感じるほどだ。それにくわえ先日、警察が言った「鏡は相対化の原因になる」云々という言葉も思い出していた。

 相対化といってもすでに、まったく私ではない別人がいるし、私ではない私がネットなどで情報としてあふれている。これらは相対化などという単純な事態を越えている。純粋に自身の相対化を感じられるのは、以前から現れている鏡に映る私であって私ではない私ぐらいだ。辻褄から紛れもなく逸脱しているのはこれだけだろう。あらゆる理解を拒絶するかのようにやはりこちらを見て微笑んでいる。


「しかしこいつはなにかを知っている。鏡の不思議、不可解を知っている」

 鏡を眺めながら私はつぶやいた。

「もっと私のことを想像してみたら?」と鏡の中の私が答える。

「私があなたよ。実際に存在しているあなたよ。姿だけじゃない。心もここに映っている。感じない? 私の不安も違和感も安心感もあなたのものよ。反映でも反応でもない。あなたそのもの。私そのもの。元からあなたが抱えていたもの」

 鏡の中の私の声が聞こえた。

 この言葉の虚実は定かではないが、私はこの私を利用しようと考えた。そして個人としての方法の放棄を思った。これは当然に私個人として辻褄から逸脱することも意味している。


 以前「最後の講習」のあと「もはやどんなものでも構わない。辻褄が欲しい。私の辻褄が欲しい」と思った。「私は偏見に落ち着きたい。私は私の世界の中で安堵したいのだ。他の世界では決してない」とも強く感じた。それは決して自分の世界に閉じこもることではない。外の世界を破壊し、新たな世界の仕組みを創ることにも繋がるだろう。それこそ個人の自由にちがいない。個人の権利に違いない。私の新たな理法に違いない。






(つづく)

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