第30話 縁起の光

 講義が終わったあと少し気を休めるため、私は遠回りをして近くの公園をぶらついてから帰ることにした。夕暮れが迫ってはいたが、このまま家に帰りたくはなかった。母のことも、もちろん自分の心の不安定さもある。またすぐにそれら諸々もろもろに巻き込まれたくはなかった。


 大きな公園にはたくさんの木々が植えられ、茂る葉が夕日を隠していた。犬の散歩をするひと、ひとり黙々とランニングにはげむひとがまばらにだが、まだいるようだ。荒い息や犬の鳴き声が、よく聞こえも見えもしないが、感じられる。私は人目を避けたい気持ちもあり、木陰の薄暗がりに隠れるベンチに腰を掛けた。


 木々に囲まれていると自然に心が軽くなる。陽が沈み始めて夕闇が人目をさえぎってくれる。しばらくその安心感にひたっていた。


「こんばんは」

 突然、耳もとで声がした。

 気づかなかったが近くに誰かいたのかと、咄嗟とっさに辺りを見回したが誰もいない。暗くて見えないのかと思い、私は声のぬしを探したがいなかった。

 サッサッっと私の横をなにかが過ぎる音がした。私は早く公園を出ようと立ち上がった。しかしすでに闇に包まれており、戻る道が分からなくなっていた。

 とにかく遠くにおぼろにみえる表通りに向かい足早に歩いた。

「本、返してくれてありがとう」

 木の陰から真輝まきがこちらをみて笑っている。私は逃げた。走り過ぎるベンチには整形外科医が座って診察をしている姿が見える。私はとにかく逃げた。木からぶら下がる父が揺れている。子どもの私が弟と遊んでいる。どちらに逃げても様々なひとの姿が、声が感じられる。

「お前はだれだ!」

 突然の大声に私の体は止まった。


 木々に囲まれた闇の中に立ち尽くしていると、無数の小さな光が眼の前を流れていることに気づいた。光は輝きを増し、速度を増して近づいてきては私の顔に触れる。そしてまた流れてゆく。

 光と光が衝突する。そこに母の姿が現われる。また別の光が当ると中学のグラウンドが現われる。次々に光は光とぶつかり合い様々な情景を映し出す。姿だけではない。その感覚も感情も感じられる。

 そのなかに、私であって私ではない自分が、いくつもいくつも現われては消えてゆくのが見えた。




(つづく)

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