第29話 何かの独白

「鏡なんていくらでもありますよ。無数にある。鏡こそがこの世のすべてです。時々刻々じじこくこく、一瞬一瞬が鏡といってもいいくらいです。それがすべてです。ひとが望むと望まざるとに関わらず、鏡はあるんですよ。どんな隙間にでも現われている。そこに映るものの全体が世界なんです。この鏡がなければ世界は成立しません。


 また意識して欲しがれば、望みどおり鏡は現われますが、それはまた別の鏡です。ひとが意図して作ったもので、本来の鏡とは根本的に意味が違うものです。次元が違います。本来の鏡ににせの鏡を重ね合わせて、自分を映すようなものですよ。そんなのは本物じゃない。本来の鏡は意識でコントロール出来るものじゃない。反対に本来の鏡に映ったものが、そのひとの意識であり同時にこの世界です。


 もっといってしまえば本来、鏡というものも無い。「うつる」という働きしか実際はないのです。譬えとして「鏡」といっている分けです。説明上の仮設かせつです。この「映る」とうい働きは常にむことなく続いています。ですから譬えて鏡は常にあると申し上げている分けです。

 いま話している私も、それを聞いているあなたもそうです。話している言葉も、それを理解する能力も映ったものに過ぎません。

 しかし、なにが本物なのか、真に在るものなのかと問われれば実際、私も困りますけどね。本来あるのは物ではなく「働き」なのですから。展開というか流れというか。そんなものですよ。


 いずれにせよ鏡に一瞬一瞬映ってゆくものが、まさにあなたであり世界の姿です。それは止まりません。鏡を破壊しない限りは。しかし鏡を壊したら世界も同時に消えるでしょうね。


 この鏡のなか奥深くに世界を映し出し、作り出す材料が無限にあります。譬えて「鏡に映る」とはいいますが、その無限にある材料が、なにかの切っ掛けで働きだし、世界となる、といった方がいいのかも知れません。その意味で世界は一瞬一瞬に発生しては消えていきます。もちろんこの「材料」というのも譬えですよ。


 たまにこの鏡の中に吸い込まれるひとがいることは確かです。しかしそこが真実、正しい現実であるにも関わらず、鏡の外の辻褄の世界からみれば、まったく理解できない。狂気にしか映らないというのも不思議ですよね。映っているにすぎない世界が、かえって正しい世界を狂っているというなんて。本当の自分は譬えれば混濁こんだくで、理解などすべて拒否するのです。理解そのものも、その方法も鏡に映った幻にすぎませんから作り物です。世界はすべて作り物です。真実の姿は奧にありますよ」




(つづく)


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