第27話 作り物のすべてと「方法の放棄」
大学の講義に出てもなにも頭に入ってこない状態が続いた。
教授は、なにか概論じみた話しをまくし立てているようだ。
「テキストに書いてある通り、近代に入り理性は、それ以前の神性にとってかわり、人間中心主義を築きました。というか理性があらゆるものの標準、基準になったために近代になったといえる。古代からの理性概念とはちょっと違うものでしょう。
しかし考えてみますと理性の存在など、神のそれと同じで証明出来ない。当初からそう批判する思想家もたくさんいました。その言い分にも、いち理はあるのでしょう。だが理性は存在するという大前提のもと、どんどんと世界は革新されていきます。「近代」と名の付く人工物つまり、人間観も、社会や政治も同様ですが、そういった人工物がどんどん造られていきます。知性ももちろん理性に制限されたものです。その意味ではすべてフィクションですね。それが現代です。ですからまた変えることも出来るのでしょう。変えるというか展開でしょうかね。笑い話みたいですが、我思う故に我ありの「我」が壊れていたり、不安定だったらどうする、などという屁理屈も語られています。
えっと、では次に近代性の克服に関する考え方について、非理性の合理化の問題、感覚や感情、情緒の説明方法の発見、その辻褄について・・・
でも「理性を信仰する」って、なんだかおかしな言い方ですよね。最後には「方法の放棄」しかないのかも知れません」
大教室ではいつものように独演会が開かれていた。
大学の講義が薬になる分けはない。学校は病院ではない。私は食前ではあったが、落ち着かないので処方されているやさしい薬を飲んだ。
「薰かおる、最近様子がおかしいんじゃない」
教室を出る際に宮沢が私に歩み寄って言った。私は宮沢のことも、他の友人たちをも最近は避けていた。避けるというより逃げていたといったほうが正確かも知れない。それでいて彼らを探ってもいたのだ。
「事故の影響かな?」
「そうかもしれないね」
私は否定することなく答えた。
「学食は混んでそうだから。外に食べに行くか。午後は講義ないしな。どうする」
「今日は急いでいるから、これで帰るよ」
古びた廊下を歩きながら、そう答え宮沢とはそこで別れた。
(つづく)
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