第19話 鏡割り

 今日で講習は二回目だ。特別な専用施設がある分けではない。その時々の参加者の特性や参加人数などを考慮し、公民館や学校施設を借りて、全国各地で日々、頻繁に行なわれているようだった。

 講習の目的は受講者の不自然な歪みや逸脱を「辻褄の範囲内」に戻すことにあるので、様々なひとが対象になっているのだろう。それこそ自転車泥棒から政治犯、思想犯と呼ばれるひと、また難治性の精神病者も対象になっているという。一見、なにもおかしなところがないひとも、その必要があると判断されれば講習を受けるようだ。

 辻褄の範囲内に戻すことを目的としているが、その具体的な方法は様々で、対象者により異なってもいる。


 母と弟と私は講習の日程がそれぞれ違っていた。母には仕事があり、弟はまだ精神的に不安定だ。個別講習プログラムの作成に際しては、そういう点にも配慮がなされる。


 今日の私の講習は、市が運営している比較的大きなスポーツ施設で行なわれる。これでほとんど一日が潰れてしまうと、私は溜め息をつきながら会場に向った。


「この講習の受講者は、一般的に「私」が不安定な方々、しっかりとした我を持っていないため、様々な困難をお持ちの皆さんを対象にしています。これがために不自然な歪みが生じてしまう。先にも申しましたように、不自然な歪みは社会悪であり、正義、正しさからの逸脱行動に繋がります」

 八割ほど埋まった会議室で講師は、以前の講習のときにも聞いた話しをまた繰り返し始めた。

「それは正しくないので「やさしい薬」と講習で矯正し、社会的に更生して頂きます。そうしなければ辻褄が合いませんので・・・。今日は先ずグラウンドでのレクリエーションから始めます」

 私たち受講者は、これから何が行なわれるのか不安を抱えながら、スポーツ施設のだだっ広いグラウンドを、口を開くこともなく、俯うつむきがちに、一列に並んで歩いて行った。


「では、芝生の上で恐縮ですが、皆さんお座り下さい。これから『鏡割り』というレクリエーション運動を行ないます」

 そう説明する講師の横で、四人の助手が大きな台車の中から様々な形の鏡を運び出している。大きさは揃っていないが、どれも手で持てる程度の鏡だ。私たちは黙って説明を聞いた。

「皆さん先ず、この鏡をそれぞれ持てるだけお持ち下さい。それに自分の顔を映し、自分の顔を見ながら、何も考えず、私が『止め』というまで素手で叩き割って粉々にして下さい」

 私たちは運ばれてきた鏡を抱え、またもとの場所に戻って座った。鏡には私が映っていたが、やはりあの私ではない私が私を見ているように映っている。少し微笑んでみた。鏡の顔も同じように微笑む。唇を尖らせてみた。やはり鏡に映る私も寸分違わず同じように唇を尖らせている。その顔を見ていると今までの不安や違和感に加え、何か怒りのような感情がわいてくるのを覚えた。

「こいつは一体、誰なんだ」


 講師が吹く笛の音が曇り空の下、広いグラウンドに響くとともに叫び声が上がった。

「始め!」


 私は一心不乱に拳で鏡を殴った。鏡に映る私を殴りつけた。鏡にひびが入ると同時に私の顔にもひびが走る。粉々に割れた私の顔は、私であって私ではないのだ。一枚を粉砕し尽くし、次の鏡を手に取り同じように素手で殴り続ける。怒り以外の感情はもうない。他の参加者の存在も忘れるほど必死に、何かとても巨大な恐怖から懸命に逃げるように鏡を割り続けた。右の拳から血が流れる。鏡に映る私の顔が血で見えなくなると急いで手を変え、今度は左の拳で鏡を割った。鏡に映る私であって私ではない私を殴り続けた。痛みも出血もどうでもよくなっていた。怒りに任せて次々に鏡を割っていった。


「鏡はいくらでもあります。皆さんに必要な数は十分用意してあります。皆さんが求めるだけ鏡はあるのです。手元に無くなったら言って下さい。すぐに持っていきます。私が『止め』というまで割り続けて下さい!」

 講師はマイクも使わず大声で指示を出している。

「鏡に映る皆さんの姿は間違った姿、歪んだ自分です。認識だけではない。その存在も歪んで正しくありません。皆さん、それを自分で割ってこなごなにして下さい!」と講師は叫んだ。


「止め!」

 数十、数百の鏡が割れる音のなか講師の声が響いた。

 私は手を止めた。なかには講師の声に気づかず割り続けている者もいたが、助手たちに羽交い締めにされ地面に組み伏せられた。

「脱落者確認!」

「了解」

 助手たちは私たちが座り込むグラウンドを回り始める。気を失うように倒れている者もいる。膝をついて空を見上げ放心している者もみえる。倒れている受講者は、鏡を運んできた台車まで引きずられ、放り込まれた。


「十分間、休憩します」

 講師がそういうと放心している者たちに助手が声を掛けて回る。ときに頬を何度か殴りつけている。

 どのくらいの時間、どれほどの鏡を殴り続けたかは分からない。私も心を失ったような感覚はあったが、両の拳から流れる血を眺めながら、じわじわと湧いてくる満足と安心を感じ、芝生に座っていた。粉々になった鏡の破片には、まるで分割されたような私が映っていた。破片の数だけの私が見えた。



(つづく)

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