第12話 それぞれの理性と普遍

 交通事故の時、一晩だけ病院に泊まったことはあるが実質、これが生れて初めての本格的な入院生活だった。精神科病棟といっても、さほど驚くことはなかった。おそらく統合失調症が半分、残りの半分の内うつがまた半分で、後はてんかんやチック、それにアルコール、ドラッグの後遺症の患者だろう。姿を見ているとすぐに分かるようになる。

 私の大部屋のベッドはすべて塞っていた。隣の患者は朝から晩まで一日中、紙に何か文字を書き続けていて、レクリエーションやクラブに出てくることはほとんどなかった。


 タバコを吸うときはナースステーションへ行き預けてあるタバコとライターを受取って、二重の扉を開けて貰い病棟の外にある喫煙所へ行く。喫煙者は決まっているので、だいたいいつものメンバーが、それぞれにタバコをふかしている。何階に入院しているかは知らないが、五十代ぐらいの男性はタバコを吸う分けでもないのに喫煙所に来て、ずっと一人で軍隊に指令を出して歩き回っているが、皆特に他人に構うことはない。そういうところなのだ。何故だか看護師から必死に逃げ回っている女の子の姿も、昨日と同じ日常の風景だ。


 私は缶コーヒー飲み、タバコを一本吸って、そろそろ昼食が始まるため、また三階へ戻った。インターホンを押して二重扉を開けて貰い、金属探知機を経て、タバコとライターを返し、部屋に戻る。まるで儀式のようだと思った。


 昼食後の薬は看護師が大きなワゴンのようなもので運んでくる。部屋の前に一人ひとり呼ばれ、コップを持って並ぶ。順に薬を貰い飲み込み確認をされて服薬が終わる。そんなことの繰り返しだ。


 このような日常のなかで、私は抱き続けていた違和感や不安が自然と軽減していくことに気づいた。

 トイレで鏡を見る。確かに以前と何も変わらない。私であって同時に私ではない自分がこちらを見ている。しかしここではそのことに安堵さえ感じるようになっていた。以前私を苦しめた、私が私であって私ではない違和感と不安の核は心にある。しかしここではそれが私を安心させていたのだった。それが自己の確認ともなっていた。


「気分はどう?」

 母が着替えを棚に入れながら尋ねた。専業主婦の母は三日と空けずに見舞いに来ていた。父は仕事の帰りに度々、病院に顔を出してくれていた。今日は主治医との面談があり二人揃っての面会だった。

「大分、良くなった感じ」

 入院も三週間を過ぎると慣れるもので、この場に安心感さえ抱くようになっていた。

「さっき先生とお話しして、今週中には退院できるそうよ」

「そうみたいだね」

 退院の話しは私も聞いていたので笑顔を作り、頷きながら答えた。

「退院の日は、お父さんとお母さんが車で迎えに来るからね」

 父も笑顔でそう言った。



(つづく)

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