第8話 「今、それを掴まない理由ってあるんすか?」

「は!? このコーナーって、その速度でクリアできんの!?」


 俺がその天才と出会ったのは、新しい年が順調に動き出した1月の終わりの事だった。




 ――20xx年、2月。


『クロードさんって配信者のクロードだったんですか!?』


「そっす」


 『アンリミテッド・ロード2』は俺がバイト時代に時間を費やしたレーシングゲームの最新版だ。


 前に配信の中でFPS以外に得意なジャンルは何かという話になり、レーシングゲームには杵柄があるという話題で盛り上がって、近々配信する運びとなっている。


『もしかして、最初から配信してましたか?』


「してない、してない。流石に人の部屋に勝手に入って無許可で配信しないって」


 配信する前に勘は取り戻しておきたいとDL購入した『UR2』の初プレイを、生意気にもオンライン対戦で始めたところ、テキトーに入った部屋の部屋主、『Hayate』にぶっちぎられて敗北した。


 それから一週間ほぼ毎日、配信外にハヤテの部屋に入り浸って挑戦し続けるものの、まだ勝てずにいる。


『そっか! そうですよね! やっぱり配信者さんって色々配慮していらっしゃるんですね!』


「いーや、会社のマニュアル通りよ」


『あはは!』


 一週間も交流していればチャットで気兼ねなく会話できるようになるくらいには、俺のコミュ力も配信をするようになって向上していた。


 とはいえハヤテもなかなか会話のしやすいという人間性のお陰と言っても過言ではなかった。


 たぶん歳は俺と同じくらいで、昼間のイン率の高さから学生じゃないかもしれない。

 でも白神曰く、暇な大学生もいるらしいから、大学生かもしれん。

 分からん。


『誰もいませんけど、やりますか?』

「かかってこいよ!」

『いや、私が勝ち越してるんですから、かかってくるのはクロードさんの方ですよ』

「そっか。……かかってこいよ!」

『話通じねぇ……』


 この後、きっちり分からされた。




「そうなんだ。最近はそのハヤテさんとよく遊んでるんだ」

「そうそう。白神もやる? 教えてやれるほど俺は速いよ」

「じゃあ、その速い黒木よりも速いハヤテさんに教わって黒木に勝とうかな」

「ナメんな!」


「――みたいな会話を蘭丸とした訳よ。クソ生意気じゃない?」


『蘭丸さんって、普段から面白いんですね』


 事務所で白神と打ち合わせの休憩中の会話をハヤテに話すと、ハヤテは喜々としてチャットを返してきた。


「んでさ、蘭丸がもう少ししたらUR始められて、その上達を配信で流そうと思うんだけど、ハヤテも参加してくんない?」


 アンリミテッド・ロードシリーズは車のリアルな挙動を追求し続ける作品で、そこが長所であり、また短所であると俺は考えている。


 URはゲームの完成度が高いものの、実際売れているかというと、実のところ、そうでもなかったりする。


 というのも、大多数の日本国民が最初に触るレーシングゲームはオジサンキャラ達のとてもカジュアルなレーシングゲームで、あれは遅いプレイヤーでも逆転が可能なギミックをふんだんに入れた、URとは逆方向のベクトルで完成された作品だ。


 そしてこのアンリミテッド・ロードという作品はアイテムも無ければ、ショートカットも存在しない。

 それこそ腕前だけがリアルに結果へ直結する、ある種シビアな作品だ。


 練習しただけ速くなれる、そのシビアさが俺は好きなんだけど、シビア過ぎるが故にハードルが高いと手に取られない理由も分からなくはない。


 だけどやっぱり好きなシリーズだから、俺達がプレイする事で面白さを知ってもらって、配信する事によってプレイする人口が増えて裾野が広がれば、URが安定して未来に残るのではなかろうかと考えていたりする。


 でも容量が馬鹿デカいのは良くない。

 最低必要容量が50ギガバイトって何やねん!

 今はアプデで120ギガって、アホか!


『ちょっと分からないんですけど、参加できるの最初だけかもしれません』


 いつもレスポンスの良いハヤテにしては珍しく、かなり間を置いてからの返事だった。


 その事に首を傾げていると、机の上のスマホに震えて通知を知らせた。


 通知はDMを開放している呟きSNSからのもので、確認するとハヤテからのプライベートチャットへのお誘いだった。


「これ、入った方がイイ感じ?」


 会社の規約でフトクテイの人とは深入りしないように決められている事もあったけど、何より、いざ声を発しての会話になると二の足を踏んでしまう。


『できたらお願いします。チャットに残したくないので……』


 ――真剣な話か……。がっつり深入りだな……。


 だけど一週間くらいとはいえ、このハヤテの人柄的に俺を陥れるような事はしないという確信があった。


 これはハヤテと一緒に走った人間にしか分からない感覚だと思う。


 送られてきたプライベートチャットのパスワードを入れて、ハヤテの待つ部屋に入ってマイクをオンにする。


「……あー、初めまして。クロードです……」


『初めまして。ハヤテです。突然お呼びたてしてしまいまして――』

「女子じゃんかっ!?」


 ――ピロロン。


「思わずミュートしてもうた……」


 発覚。ハヤテ氏、まさかの女子。


「いや、こっちが勝手に男だと思ってたのが全ての元凶。ハヤテは……。ハヤテさんは悪くない」


 今、全身の毛穴という毛穴から汗が大量に分泌されている。

 こんなに心乱されるのは、マジで久々の感覚だ。


『クロードさん? 大丈夫ですか?』


 URのチャットでハヤテさんが俺の心配をしてくれている。


「すー、はー……。すー、はー……」


 深呼吸をして乱れた心を落ち着かせる。


 ――ピロン。


「あ、すいません。ちょっと回線の調子が……」


『あ……。えっと、はい。直って良かったです……』


 ――よし! 上手く挽回できたな!


『レーシングゲームやってる女子って全然いませんもんね。初めに女だって言っておけば良かったですね。ごめんなさい』


「いや、もうこれは完全に俺の偏見! 俺が全部悪い! あと女子である事を知って、女子に勝ててない事にまたヘコんでる! あ! これも偏見! 配信外で良かったー!」


 いらん事を言った弁解に、重ねていらん事を言ってしまった。


「本題に入りましょう! 本題に! 話しにくい事って何ですか?」


 ――今度こそ上手く話を逸らせたな!


『そうでしたね。……実は私、プロチームに誘われているんです』


「は!? プロ!? スゴイやん!!」


 思わぬ言葉に図らずもデカい声が出た。


 どんな事でも他人に認められる何かを持っているヤツは凄いヤツだと俺は思っている。


 それがプロともなれば才能を持った人間の中でも特に光るモノを持ち、更に成功のタイミングを手にする運もある。

 その条件を満たす人間が何人いるだろうか。


 ――でもハヤテさんは暗い……。きっと素直に喜べない何かあんだろうなぁ……。


「驚いてデカい声を出しましたが、ハヤテさんはプロにはならないんですか?」


 それからしばらくハヤテさんは黙っていた。


 俺にできるのは黙って待つ事だけだ。


『……私の生い立ちに関わる話なので長くなってしまうんですけど』


「必要なら」


『ありがとうございます。

 ……私の父はプロレーサーでした。キャリアハイはF2。

 表彰台には一度も上がれなかったそうですが、堅実な走りで周りからの評価は悪くなかったそうです』


 プロレーサーと聞き、また大声が出そうになったけど、その声は雑音でしかなくて、堪えてグッと飲み込んだ。


『ただ父の選手生命は長くなく、痛めた腰が原因でF2を3年走り、現役を退きました。


 私は父がレースをしているところを見た事がありませんが、私がレースに興味を持つよりも先に、私の生活の中にレースがありました』


 話し出しから楽しそうではなかったけれど、より声のトーンが落ちたように感じた。


『幼少の頃、母は反対していましたが、父の強い希望で私はカートをしていました。


 センスは父譲りだったのか、小さいですけど大会でも度々優勝したりして。


 いつからか、お父さんの届かなかったF1の世界へ行く事が私の夢になっていました。


 だけど、ある日の走行会でスピンしたカートを避けられずにクラッシュに巻き込まれた私は、打ち所が悪く、下半身不随となりました』


「え……」


 ハヤテさんの壮絶な過去に、何を言えば良いのか。


 炎上とかの心配じゃなくて、意を決して話してくれたハヤテさんの心と釣り合う言葉が、俺の中からは何も思い浮かばず、ただ黙るだけしか選択肢が無かった。


『もともとカートに反対していた母は激怒し、これが原因で母は私を連れて実家に帰り、離婚こそしていないものの、ここ数年は月に何度か電話で父と話すだけで、顔を見ていません』


 言葉のニュアンス的に、ハヤテさんは下半身不随の原因を作った父親を恨んではいなさそうだった。


 そもそも恨んでいたらレーシングゲームなんて手にしていないだろうから、多分そこは間違いない。


『母は普通の子供よりも手の掛かる私を育てるために毎日休み無く、夜遅くまで働いてくれて、私も来年は大学を卒業して就職して、ようやく母に少しは楽をさせてあげられると考えていました』


 やっぱり大学生だったんか、などと真剣な話の最中に余計な事を考えてしまう自分思考回路が恨めしい。


『……去年末にURの大会があって、お祭りイベントだからタイムだけ残そうって気持ちで走ったら、世界ランクの8位に入ってしまって、日本では最高位だったからイベント会社の方からは必ず出てほしいって言われて、足の事もあるから無理ですって一度は断ったんだけど、オンラインだから自宅からでも参加できるって説得されちゃって』


「説得されたんかい!」


『説得されちゃいました……。

 大会では10位と振るわなかったんですけど、大会をきっかけに目に留めてもらって、誘って頂いた事はとても嬉しいのですが、チームが私に求めているものは、私の能力ではなく、境遇の方なんじゃないかと……』


「? 説明もらっていいですか?」


『その……、私が呼ばれたのって、私がレーシングゲームには珍しい女で、足が悪い障害者だからなんじゃないかって』


 ハヤテさんの悩みが大まかに理解できた。


 瞬間的に異論を唱える事もできたが、悩み相談のコツは全部吐き出させる事だと白神が言っていた。


『レーシングゲームする女子は少ないからパンダになるし、障害者でも別け隔てなく採用する優良企業ですって世間へのアピールもできる。

 そういった意味で私は一石二鳥の優良物件なんですよ』


 早口で語るハヤテさんは自嘲気味で、苦しんで、ささくれていて、聞いていて心が痛かった。


「事実だと思います」

『え?』


 ハヤテさんの声は戸惑っていた。

 きっと、そんな事無いと慰めの言葉が返ってくると思っていたに違いない。

 現に言葉に詰まって、え? を連発している。


「今の時代はイメージが重要視されますから、同じレベルの人間を採用するなら費用対効果を考えれば別のところで旨みのある人間を採用するのは当然の事でしょう」


『それは……、そうですけど……』


「でもパンダになろうが、イメージ戦略に使われようが、それでもプロになれるんです」


 ハヤテさんは完全に黙ってしまった。


 どうやら会社に良いように使われる事は気に入らないが、プロになれるチャンスは捨てきれないようだ。


「最近、配信界隈が賑わってきてて、ウチの会社に入りたいって応募が先月だけで300以上ありました。

 でも採用されたのは2人です。あ、これはオフレコで。

 俺より喋りに自信があっても、ゲームが上手くても、企画力があっても、採用されないヤツが多い中で、ハヤテさんはプロになれるチャンスを手にしている。

 今、それを掴まない理由ってあるんすか?」


 黙ったままのハヤテさんに、俺は更に畳み掛ける。


「それにプロになれば、成績を残しているうちは給料が出るじゃないですか。

 その金で通院費を自分で出したり、給料日になんかウマいもんでも買ったら、お母さんも喜びますよ」


 数分の沈黙の後、ハヤテさんは「少し考えてみます」と言い残し、それ以降、URにログインすらしなくなった。




 ――2か月後。


 アンリミテッド・ロードの大型アップデートに伴い、その記念大会が開催され、俺と蘭丸もゲスト枠で招待された。


 大会は、プロドライバー、プロゲームチーム、予選を勝ち上がったアマ、そして配信者、全40名20チームで競われる、50周耐久レースだ。


 陽気な司会の方が各チームの紹介と共に出場者に意気込みを順に聞いている。


「では本大会の紅一点。プロゲームチームのハヤテさんにも一言いただきましょう!」


 司会者に呼び込まれ、車椅子に乗った女性がステージの中央へ誰の手も借りず、車輪を押して上がった。


「ノイジースキール所属のハヤテです。今日は楽しみながら優勝を目指します!」


 力強いコメントに、会場からは大きな声援と拍手が彼女に送られ、その中でハヤテさんは幸せそうに笑っていた。

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