第32話 つかの間の「ただいま」

「うわあ、懐かしいね」

「まだ半年も経ってないのに、すごく久し振りな気がするな」


 柔らかな木漏れ日の差す昼下がり。私とダニーは、緑に囲まれて静かに佇む孤児院を感慨深く見回す。西エウロパ大陸の中でも西の果て、帝国から最も遠いこのふるさとに、私達は久し振りに帰ってきていた。


「ねえダニー、トルネードのことは――」

「ああ、皆には内緒だ。極秘任務だもんな。皆が寝た後で、ママにだけこっそり教えよう」

「うん。じゃあ、せーのでドア開けよっか」

「いいぜ、きっと皆びっくりするだろうな」


 私とダニーは玄関の両扉のノブに手をかけ、同時に引き開けた。


「「ただいまー!」」

「え!? あ!! アーシャとダニーだ!」

「お帰りー! ママ、アーシャとダニーが帰ってきたよー!」


 玄関続きの廊下に元気よく声をかけると、食堂からわあっと兄弟達が出てきた。玄関先で兄弟達に囲まれて動けないでいると、食堂からパタパタとママが駆け出てくる。


「あら! お帰りなさい! どうしたの2人とも。帰るなら連絡くれたら良かったのに――ううん、とにかく無事に帰ってくれて良かったわ。さ、中に入って入って」


 久し振りに会ったママは、ほんの少しだけ痩せて見えたけど、いつもどおり明るく迎えてくれた。私は思わず駆け出し、ママに抱き着く。孤児院を出てから、色んな、ほんとに色んなことがあった。ママの変わらぬ顔を見てほっとしたのか、ぽろぽろと涙がこぼれる。


「……ただいま、ママ」

「……お帰り、アーシャ」


 ママはそれ以上何も言わず、私の灰髪を優しく撫でてくれた。あの頃と変わらない、水仕事で少しだけ荒れてるけど、柔らかくて暖かい手で。



……


 食堂に入ってからは、兄弟達からの質問の嵐だった。鉄道旅の話から樹都の様子、ブランチや樹士団の仕事などなど……(もちろん、ダニーの灰人化のことは話していない)。私が鉄等級アイアンブランチに、ダニーが三等樹士になったことを話すと、ママは「パーティーしなくっちゃね!」と張り切って料理を始めた。


 やがて日が沈み、ママが用意してくれた豪華な食事(森豚のカットステーキに根菜のポトフ、ダニーの大好物の揚げ鶏に私の大好きなオムレツもある!)を囲みながら、まるでお祭りのように賑やかな時間が過ぎていく。ワイワイお喋りして、カチャカチャと食器の音がたくさん鳴って……やっぱり、皆で食べるといいな。体も心も暖かくなる。こんなに楽しい食事は久し振りだ。


……


「樹都も広いし、お互い忙しいだろうけど、ダニーとはよく会うの? 一緒に遊んだりとか」


 隣に座るママが、チビ達にステーキを切り分けてあげながら、私に聞く。そう言えばダニーはどこかと食堂を見回してみると、食卓の隅でゴンスとこそこそ話していた。


「んー? いや、それが全然。一回基地にお邪魔して話したぐらい……むぐ、ママこれ美味しい!」


 ママ特製のミートソースオムレツを頬張ると、頬が落ちるくらい美味しかった。酔いどれの幹ドランクトランクのシンプルなオムレツも絶品だけど、これもやっぱり大好きだな~。


「あら、そうなの。まあでも2人とも樹都にいるんだから、これからまた機会があるわよね」


 ママはパンと手を合わせて微笑んだ。孤児院を出ても、ママは私とダニーに仲良く遊んでいてほしいんだろうな。


「これから……か。そうだね、もっと遊べるといいな」

「? うん、それが良いそれが良い」


 私は一瞬、これから始まる大きな戦いが頭をよぎり言葉を濁す。ママは少しだけ首を傾げたが、安心したように笑ってくれた。やがて隅でこそこそ話していたダニーもやって来て、楽しい時間が続いていく――


……


「で、お土産の若草は? 樹都の名物まんじゅう、あれ楽しみにしてたんだよねー」


 長卓の皿々が空になり皆のお腹が膨れきった頃、太っちょゴンスが私とダニーの間に座り、話しかけてきた。今は麓の村のベンおじさんの牧場を手伝っているらしく、筋肉がついて全体的にでっちりした体つきになっていた。


「ねーよ! オレ達国境砦からトンボ返りしてきたんだからっ! つーかまだ食べられるのかよ」

「若草は別腹だよ別腹。ていうかさー、出発の時にちゃんと頼んでおいたのにー」


 すぐさま返すダニーと相変わらずのゴンスのやり取りがおかしくって、私はつい吹き出す。


「ふふっ、ごめんごめん。次はちゃんと買ってくるからね」

「頼んだよー、アーシャ。ダニーはどうせ忘れちゃうから」


 ゴンスはよっこらと立ち上がり、私とダニーの肩に手を置いて言う。


「……今日は2人が帰って来てくれて嬉しかったよ、ママったら久し振りに張り切っちゃってさ。2人が出てってから、ちょっと元気無かったから……。今度からさ、もっと帰っておいでよ」

「! ママが……?」


 ゴンスは少し寂しそうな顔をしてから、しまっったとばかりに笑顔を作り、冗談めかしてお腹をポンポン叩いた。


「2人が帰って来てくれたら、豪華なご飯いっぱい食べれるしね!」

「……結局それかよ!」


 ダニーはゴンスの冗談に乗り、笑ってツッコミ返したが、目元はうまく笑えていなかった。ママ、元気無かったんだ……。痩せて見えたのは、気のせいじゃなかったんだ。


「ふあ~、ご馳走食べたら眠くなってきちゃったな。僕はチビ達を寝かしつけてくるから、2人はママとゆっくり過ごしなよ」


 ゴンスはお腹をさすり生あくびをすると、兄弟達に食器の片付けを指示し、ぞろぞろと2階の寝室へ連れて上がった。


……


「ゴンスに気を遣わせちゃったわね。ホントはあの子ももっと2人と話したかったと思うけど」


 さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返った夜の食堂で、私とダニー、ママの3人で卓を囲み、お酒を注ぎ合う。


 杯をコツンと合わせ乾杯すると、ママがくいと一口飲んで口を開く。


「何はともあれ、2人が無事に帰って来てくれて良かったわ。またこうして3人で飲めて、ママとっても嬉しい」


 ママは目を伏せながらしみじみとそう言った。続けてもう一口飲んだかと思うと、急に心配そうな目をして言う。


「……で、どうしたの? 何かあったんでしょ」


 ――どきっとした。ママは、私とダニーが何か隠してることなんて、お見通しだった。私は声を落として、話し始める。


「うん、実はね、私達ママに話したいことがあって帰って来たんだ」

「あら、なに?」


 私とダニーは目を合わせた。ダニーが頷いたので、私は続きを譲る。


「トルネードが生きてたんだ。樹士団の会議で聞いたんだよ、聖女様の極秘任務で帝国に潜入してる。皆には内緒だけど、ママには教えてあげたくって」


 私とダニーは興奮しながらママの顔を見た。きっと驚いて、すごく喜ぶぞ……と思っていたのに、ママの反応は予想外のものだった。


「……教えてくれてありがとう。やっぱり、帝国に行っていたのね」


 ママは卓に肘をつくと、杯を持つ手で顔を隠すようにうつむき、静かに呟いた。やっぱりって、それじゃあ、ママは――


「――知ってたの?」

「5年前、ウィルが聖女様の極秘任務だって、行き先は教えられないって言い残して出ていったのよ。それから噂を聞かなかったから……きっと、この国にはいないんだろうなって。黙っててごめんね」


 ママは申し訳なさそうに、杯をことりと卓に置いた。……ママは、ずっと耐えていたんだ。誰にも話せない秘密と、押し潰されそうになる不安を、5年もの間、ただ一人抱えて……。


 少しの沈黙の後、ママがハッとしたように顔を上げる。


「まさかあなた達……ウィルを追うつもり?」

「うん」

「! おいアーシャ――むぐぐ」


 ママの問いに私が頷くと、ダニーが否定しようとしてきたので、すかさず手でダニーの口を覆った。


「ダニー、ちょっと黙ってて。ママ、私トルネードのもとへ行こうと思ってる。トルネードは人知れず帝都で平和の為に頑張ってたの。私も手伝いたい」


 ダニーが何やらむぐむぐ言っているのを押さえながら、ママの目をじっと見つめる。ママは、何かを悟ったように目をそらし、ため息をついた。


「あなたが帝国に行くなんて……なのかしらね」

「……どういうこと?」


 ママは決心したようにお酒をくいと喉に流し、とうとうと語り始める。


「いつか話さなきゃと思ってたんだけど、今がその時みたい。アーシャ、あなたはね……の。教えてあげる。15年前、帝国に潜入したウィルが、あなたを連れて帰ってきたあの日のことを――……」

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